小っせい通りの小っせい商い

とうとう雪が降って来る。
春に行った和歌山と岐阜にもう一度行きたいと思った秋の旅行も忙し過ぎたのと銭が~で諦める事になってしまった。

敦賀に行けば時間短縮になるがフェリー代33000円、新潟は21000円で船酔いをするので出来る限り短い乗船がいい
ひと月休めたら青森から陸路を走って和歌山も面白いのだが
いっその事、春まで戻らんのもありかと思ったりと
考えてばかりでなんか出不精になってるが歳なのか山菜取りもいかん冬山も登らんくなって確実に身体がなまっている。
修理は立ったりしゃがんだりとスクワットをやってる様なもんだが
これも回数が減ってドンドン老人の域に近づいてる。


一番奥のべリング交換 ベアリングは三ヵ所付いてる
開発当初の試作機を使った時から除雪機を見て来たがカバーの芯、センターを合わせる事は大変な事でそれがベルト外れやシャフトの破断を招いた。
以前はそれを防ぐ為に自動調芯のピローボールベアリングが付いていたが
今は殆どのメーカーは単純なボールベアリングを使用している。
せめてセンターのベアリングだけでも自動調芯を使って欲しいと思うのだが
と言う事は除雪機も使い捨ての時代に入ったのだろうと思う。

長持ちするいい物を作れば売れなくなり
ガサい物を適度に!適度に!うまく作り金掛けて宣伝をすると販売もドンドン回転してゆく
現在の消費社会の矛盾でもある。
ところがである。
コロナになって全体の売上は減少したが一回の販売額は数百円や数千円と小さいが取引回数は明らかに増えてるのだ。
ボートの様に一回の販売額が大きい物は次迄の間が永く資金や設備の待機期間が増えてしまうので結構不安があったりと大変な商いなのだが
その点は細かい数百円や数千円の商いは毎日あるので安定と安心感がある。
その数百円規模の商いがコロナ以降明かに増えて儲けは薄いが仕事は増えたのだ。
原因は船と違い除雪機はエンジンが止まっても焼付いてもたいした事は無い
それなら時間もあるし何処にも行けんし自分の機械は自分で修理をやって見るかと言う人が増えたのだと思う。

自分の手を使う事に目覚めた人が増えたのだとしたら、
それはとてもいい事で自分の手を使い自分の手を汚して初めて人の苦労もわかり視線も変わってゆく
よいよ手に負えなくなった時にはそこら中に歳食った鍛冶屋や修理屋が居る。
年寄りは皆なにか言いたくて仕方ないのである。

動かない物が自分の手で動き出すそれを子供さんや家族や近所で
アッチ持てやとかコッチ押さえれとかと一緒にやって行く事で
家族や子供と何かをやって見る。
それは今までとは違った世界が広がると思うのだが
コロナがまったく全てを奪うとは限らんと思い始めている。

最近また朝ドラを見始めた
雉真たびのオッカが言った。
「 小っせい通りの小っせい商いが 」これからを変えてゆく可能性も見えて来たような

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