終日

高齢者講習に行って来た。
ここの自動車学校は昭和60年頃から平成の初め頃に夏期間だけ二輪車の講師として座学と実技に7年ほど通った。
その後後任に変わってから一度も行った事は無く
数十年ぶりに行ったが建物も変わり書けない事も多く何の感慨もない

受講者達は戦後の食う物もロクにない時代を港町や炭鉱町で過ごした方達なのでチョット雰囲気が違って面白かった。
俺みたいに年から年中ツナギと違いラインがビッシと入ったズボンやジャンバーでもリブが入って身だしなみもチョット気を使ってる。
おりゃ~若い者には負けんぞ~と言う気概が感じられて こりゃ~免許書返せとは中々言えんぞな~と思ったが
狭い駐車場に入れる時に何度も切り返すのを教室の中から見てるとやはりチョットなのだ。
マスクに帽子を眼深に被って黒の防寒ジャージ  手は指先の無い白い薄手の軍手をした目付きの悪いオヤジがいて
コイツと目を合わしたらイカンと思ったら目の前に座りやがって
そのオヤジはマスクと同じく帽子を眼深に被った俺を見て、
うん~コイツは何処かで遭った事あるなと思って自分の脳味噌のページを探っているのだが
なにせ人生が長い分だけページ数はあるし数々の修羅場を渡ってる世代なので頭の中を検索するにも
ページ落ちしたりして途切れ途切れになってる為に多分頭がごっちゃになってるのだ。

こう言う不特定多数が集まる場所は早く付いて出口に近い一番後ろに座るのが常套手段でまったく良かったぜ~と思っていたが
相手もなんか背中が気になるのか何度も後ろを振り返る。
名前を呼ばれても俺は何処にでもある名前と通り名で通ってるのでまだ気付かん
後ろを振り返そうになったら教本を読んでる振りして下を向くを繰り返していた。
まったく食うや食わずの世代は振り返ると謝っても済まない話も多く落ち込む事も多いので
前を見てゆこうと思ってる高齢者は下手な若者より多いと思う。

講義も終わり頃にマスクと帽子を取って顔を見せてやった。
お互い十年ぶりで近況を報告しあい またいつかと遭おうと言って別れたが本当に遭うなのだ。
元桜の代紋かと思えるオヤジと同じ実車運転になったが
アクセルがドッタラだのハンドルがドッタラだのと煩いのなんの
帰りの駐車場もワレ先に出ようとするしサッサと免許返せと思った。

一昨年は終活とかで良くも悪くも昔し十数年付き合ったオヤジがわざわざここ迄来て
「 すまなかった 」と謝れられたが
歳こそ上だが一緒につるんんだ仲なのに過ぎた事なのに無性に腹が立った なぜだろうと一昨年らい考え続けたが、


中村終日 ここを走り抜けた時代は遥か昔に終わったのだ。

三島由紀夫にはなんの関心も無いが何気なく見たテレビニュースで
当時一緒に自刃した25歳の若者が居たと知った。
もし三島由紀夫が現代に生き返り、
その若者に すまなかったと謝ったとしたら
返す刀で三島はその若者に切られるかも知れないと思った。

何でもかんでも謝れば自分は楽になるかも知れんが
相手はそれで失った時間もモノも価値観も戻って来る事は無いと
高齢者講習と重なったニュースでそんな事を思った。
そんな世代なのだ。

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