暖かい時はトランクにテントを積んでテントを張るのだが 今回は寒そうなので帯広の東横イン 朝食付き2980円に泊まる事にし帯広まで戻ることにした。すると前から猛スピードのクラウンのパトカー次々と来る。状況レベル3ほどの猛スピード。
思うに気のせいかパトカーはクラウンばかりのような気がする。セドリックやグロリアのパトカーは見た覚えがない。それに引き替え消防車は日産が多いような気がするのだが。
何か訳でもあるのだろうか
昔のクラウンパトカーは6気筒を乗せていて驚いたことを覚えてる。いまも何かトヨタだけの特殊なエンジンなのだろうか、それともなにか警察官僚出身の薩摩と豊田家との密約でもあるのだろうか、
などと考えていたら要所要所に検問があるが
なぜか俺の赤い車は相手にしてくれない見てると色で分けてるらしい 川で魚をすくう網セットも積んでいないし 何時もなら一台に二本は積んでいるナイフも山に入る予定もなかったのでダッシュボードにはナイフも無いそんな時に限って何も止めもせずに何も聞いてもくれない
それも拍子抜けで寂しい
明治維新以降、刀とちょんまげは禁止されたらしい廃刀令のおかげで現在も手ぶらで夜道山道を歩けるのだが
現在は刃渡り6センチを超える物は所持することは禁止でカッターナイフでも正当な理由をなく持ち歩くことは禁止である。これなどは世界にまれなる時の官僚政策の大成功と言っていいと思う。
などと考えていたら宿に着いた。
以前、中山道や金谷の宿を少し歩いたことがあったが、なぜこんな道があるのか当時の道徳観や宗教観が行き渡ってなければ為替やカードなどの無い時代に商人や路銀など、いま以上の多額の現金を持ち歩く人々が歩ける訳がないと思うのだが
いったいどんな価値観が江戸時代の人々にあったのか、なぜ明治時代に入ってから他国に攻め込むことが多くなったのか 色々くだらん事を考えながら歩く これが内地の田舎を歩く楽しみなのだがしばらく銭も暇もなく歩いていない
いまは一週間休めたら石狩から増毛まで歩いてみたい この増毛から石狩間はあちこち貧乏旅した俺が思うに何日も掛けて歩く価値のある、かなりイケてるベスト5に入る場所なのだ。 他には富良野から老節布などの裏道を新得に向け歩く狩勝峠の眺めは歩いた者には最高の場所と今回も思った。あと石狩川の堤防を河口に向けて歩くのもいいと思う。
夜は帯広の屋台で呑むのが楽しみと宿に到着
「角曲がったらそこから旅 」と言ったのは泳六輔だが あ~あ~暇と小判一枚が欲しい~