母の日

妹はクタバッタが他の5人の子を飢えさす事もなく育てた母親は偉大だった。
言葉が7~8歳になっても遅く頭も悪い俺は学校にゆく事は苦痛でしかなかった。
ある言葉を切っ掛けに学校に通う事を勝手に免除してしまった俺はさらに字も読めない書けない状態になったが
今の市立病院とバイパス道路の間に大きなコンクリー製のタンク群があった そこでの鉄屑拾いや開運町での空き瓶を拾い西田商店に持って行って買って貰いアチコチにチョコまかと稼ぐ事を覚えた。
一向に稼ごうとしない実兄に替わって
その稼いだ金を母親に持ってゆくのだが鳥取出の厳格な母親はその金を受け取らなければ
たった一合の闇米すら買えないのだ。
冬を過ごす暖房の為に薪も石炭も買えない一家は人造石油にゆき沢山落ちていたコークスを袋一杯詰めて持ち帰って冬の燃料にする  
副港の原田木材に行って原木の皮を剥ぎ冬の燃料にと
好都合な事にアチコチにゆくには学校などノンビリ行ってられないのだ。
母親は子から金を受け取る度に自分の不甲斐なさを突き付けられる様に感じたのだろうと思う。
母親はあきらかに俺を嫌っていた。
母親に気に入って貰えるように媚びるようにさらに稼ぐ、
まるで虐待を受ける子のような その悪循環に落ち入ってしまったのだろうと今は思える。
やがて言葉の遅い分力に暴力に頼る癖が付いていった。
母親には一度も怒られた記憶がない
その母はいつも「 悪に強い者は善にも強い 」と言った。
母は辛抱強くそれから そこそこの大人になるまで十数年も待つ事になったが当時はどうやって苦労して稼いで来るかわかっていたのだと思う。
それでも受け取らねば一家飢え死に状態にしてしまう父親
父親には本気で殺意を持った事は何度もあった。
やがて限界を感じ親元を去る決心をするがそれは正しい判断だったと今でも思っている。


母の日に
俺は男で立場は違うが ふっと桜木紫乃の本日開店を思い出した。
桜木紫乃にどうして書く気になったのか聞いてみたいと思った。

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