新説シントコ


終戦調停後にサハリンから引き揚げる船の中で一見不幸と思える母親の看病の為に稚内で小笠原丸を下船したが結果として5歳の納谷幸喜は難を逃れる事が出来た。
その船は留萌沖でロシアの潜水艦によって攻撃され二隻は沈没し泰東丸は鬼鹿沖に小笠原丸は増毛沖で今も沈んでいる。 
運の強さも持ち合わせていたのか その後も川湯温泉で食うや食わずの生活で8歳にもならん子が納豆を売り歩いて
家計を助ける この事がその後の納谷幸喜に与えた影響は大きいだろう。
そう思うとどこかに生かされている自分がいる事をしみじみ思う。

たった一回の地震で全道停電になって想定外と言うのであれば想定外を狙い裏を掻くのが戦争なので今の日本が勝者になる事など考えられない
今時は殴り合いの喧嘩もした事がない奴は沢山いるだろうが 
その辺の喧嘩でさえ勝つ見込みのある奴は先に手を出す事はしない
散々チョッカイ掛けて先に手を出して呉れる事を待っている。
ハイご苦労さんと さ~さ~どうして呉れると言うのが町の兄ちゃんから恐いオジサンの常套手段なのだ。

恐いのは喧嘩もした事が無い奴が下手に武器を持ってる状態は怖い 素人は手加減なしで何するかわからんのだ。
喧嘩をしないと決めたのであれば〆てしまうには勿体ないと一目置かれる事が大事で
それは何か 人間性か手先の器用さかを知り伸ばして必要とされてゆくしかない 
ただ単にミジカメ料だけを払い続けるといつまでもたかられる元にもなってゆく
う~ん難しい~

ただでさえ常に裏腹な事に取り組むのは指導者の役割で公私混同する奴は信じるに値せん


火山灰地の土地に何代もわたって客土をして地平線の果てまで農地が広がる。


数十年前に一度だけ行った美幌峠 思うに先住民のアイヌの人達はここら周辺は避けて歩いたと思うのだが
環境が厳し過ぎる。
縄文時代が1万数千年続いた中で戦争が無かったそうだが 今一度仕組みをたどってみる事が大事だと最近思えて仕方ないのだ。


釧路川源流 屈斜路湖アイヌ博物館


出ました~和人がアイヌをダマした道具シントコ 
だいたいがょ~名誉が命より大事なはずの武家の家紋入りの道具がそう易々とあちこちにある訳ね~べ~
俺が思うのはこれは当時内地でアイヌ向けお土産用として専門に造られたと思うのだが
遠い蝦夷地だ~ばれる訳ね~べ~と
それにサモサもナンチャラ家の家紋を好き放題に入れたのではないかと
偽物と熊十頭と交換などレートが高過ぎるべ~
アイヌがこれを大事にしたのは器よりそこに書かれていた家紋ではなかったのか

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