新情悶時代

2年間で45000キロ乗ったキャリーの初めての車検が来た。
忙しくて延び延びになっていたがよいよ期日が迫って来たのでこの後ろの箱を降ろして元の状態に戻す。

箱を降ろして外していたガラスを戻す キャリーの後ろガラスは通常の軽より大きくこの窓から後ろの箱に出入りが出来る様になっていて寝る時は運転席の下に足を入れて寝た。
このガラスを嵌めるのは何十年振りでやったがすっかり忘れていて割らない様に悩みに悩んで3時間掛かってやっとこさ終了。
一時は面倒臭いのでエブリーでも買うかと思ったが2台持つ事は経済的に贅沢と思い留まる事に

復元完了

コロナになって毎日毎日経済が経済がと五月蠅いが
もう宇宙船地球号の経済はコロナでなくともすでに破綻しているのだ。
いまパレスチナ自治区ガザで戦闘を行っているイスラエルはWW2で酷い目に遭っている筈なのだが既得権益を守る為に自治区の子供達を殺戮する。
既得権益の多くは経済活動が基本になっている。

アイアンサイトの先に子供が見えても経済優先でトリガーを引かせる指導者達や政治家はバカなのか無能なのか一生掛かっても使い切れない金の亡者なのか
日本では経済が優先してオリンピックも波及効果経済がドッタラコッタラと命より経済と言う。
命より大事な経済などあるはずはないのにまことしやかに経済が命より大事と庶民にすら言わせる。
それは一般庶民の命で利益を手にする者達の命ではない

若かりし頃にコンマ何秒を争って来た経験則だが10秒を縮める事は簡単に出来るが最後の0.1秒を縮める事は中々出来ない
逆を言えば0.1秒を諦める余裕を持たせる事で何倍もの余裕が出来る。
それは今の自分の生活レベルをコンマ1下げるだけで何倍もの余裕を生む事も可能なのだ。
普通車が欲しいと思ったら軽にする事で財布に随分余裕が出来る。
そんな事をされては経済がドッタラコッタラと言われそうだが
銭も有り過ぎると狙われるので適度な財布の余裕は心の余裕も生む
心の余裕は今迄見過ごして来たモノが見えて来る。
誰かを泣かせる資本主義消費経済優先はもう終わった。
経済が停滞し銭が足りないなら財布に合わせて買う、
自分の手で作る、直して使う、悶々と悩み知恵も頭も使う。
そこに生産者の苦労もわかる人様の苦労が分かれば情も沸く

自分の手を使う人が評価される時代が縄文時代の様に再び来たのだ。
名付けて新情悶時代と

メシの数と恩義

おら~別に国粋主義でも右翼でも左翼でもなんでもないが
国は一次産業で成り立っている。
工業製品もそもそもは一次産業を支える為に作られて来た。


朝3時、目の前の浜ではホタテ稚貝出しが始まった。
ここで生産された3センチ程度のホタテの稚貝をオホーツク海に大型トレーラーで運び再度海にばら蒔き成貝にする。
稚貝は海から上げたら如何に早くここから約200キロあるオホーツクの海に戻すかで生存率が変わってゆきそれは漁業関係者や地域の生活に直結する。
追い越し車線をチンタラ走るな!

ここ数日若い漁師がなんとか漁を再開出来る様にとアチコチの漁師が使える物があったら使えと言う。
持ってきて使えそうな物を仕分けをしている。
同業だから先も見える苦労もわかる、これが一般者と漁業者が同じ場面に遭遇した時の違いなのだ。
見た事もない利害関係者でもない者が相手をSMナンチャラで袋叩きにするのは素人だからこそ
顔が見えないからこその責任を取ろうとしないで思い付きでモノを言う。
修理でも全くの素人が傍で見ていてアッタラコッタラ言う奴がいる。
それだけクッチャべっるならテメ~が手を汚してヤレ~とスパナを投げたくなる。

ネット社会になって誰でも簡単に字面で知った気になり なんでも言える状態になったが
これが個人が自分のバカを世間にさらけ出してるうちはいいが
最近では大組織でもその状態が起きて上司にネットで知った何か目新しい事をクッチャべって見ようとし
大した知見も矜持も持ち合わせていないアホで無責任でバカな上司も社長もそれに乗って行く
それがアホな取り巻きを持った一国のアホな責任者の言動に繋がっていく
それは今や巨大化したメーカーや組織にも及び末端現場は虚しさしか残らん

商人(あきんど)は儲けを第一に考えるがそれは自分を信じる者をいかに沢山持つかに尽きる。信じる者と書いて儲けと言う。
誰のおかげで大きくなったのか
それは地域に暮らす海や農地や工場の末端現場で働く人達なのだ
恩義を忘れずに自分が大きくなったら返してゆく支えてゆく
それを忘れた者には明日はない
スギ薬局しかりSナンチャラメーカーしかりガースーしかりと
今週と来週は頭文字にSが付く奴を見ると回し蹴りをしたくなる。
なにがグローバルナンチャラだ虚しい

メシの数

ここに来て約27年ほどになり引いて来た船も二桁になるが
同じ海の事でもレジャーと漁師ではその場に居合わせた者の対応は違う。
レジャーの場合は全く関係ない、その場に居合わせたと言うだけで
何か自分に不都合が起きたとか不利益が無くとも関係なく第一当事者を責める傾向にある。
ただ野次馬として見ていただけなのにやっと戻った者を責める これは酷いなと思う事も多々あった。
その様は現在のSMナンチャラ言う物で見た事もない相手を袋叩きにする様に似ている。

ここがドコモ携帯の電波圏外の頃ある船が途切れ途切れの連絡で帰港出来ないと連絡が入った。
そこから見える景色で緯度経度とおよその場所を特定し万が一失敗した時
当時の俺のボートは2サイクル175馬力で燃費は時間60リッターなので航続時間は2時間で捜索を終了しないと自分自身が帰港出来ない為に待機のバックアップ要員とバックアップ船の手配をして出航した。
揺れる小型のボート上では双眼鏡はほぼ役に立たないのが普通なので海上で裸眼で見え識別出来る範囲はおよそ2海里が限度なのだが
バッテリー電源喪失 の場合は現在位置特定のGPSも使えずさらにボートが海上に出れる海況の時は回りに結構な数のボートが居る為に要救助ボートの確認を中々取る事は出来ない
その為にすぐ傍に居るにも関わらず時間が掛かる事はよくある。
そうしてなんとか牽引して帰港し戻っても野次馬が皆に心配掛けてなんの詫びもないと言い出す奴がいた。
拡声器でも使い
「 え~この度は~皆様におかれましては~お日柄もよく~ 」
とでも怒鳴れば気が済むのだろうかと思ってしまった。
それは心配はしたかも知れんが陸に足を付けてる奴がなに一つ手助けする訳でもない逆に誤情報で振り回し足を引っ張る場合もある。

漁師はそんな時は紙一重で明日は我が身と実感する。
ある者は自分の船から缶コーヒーを持って来て飲めと差し出す
タオルを差し出す者や無事を確かめその場を黙って去る者


文中には全然関係ないイカを追掛けて船で生活しながら全国を回るイカ船

本当に命が掛かった時は一秒がゆっくり動きその様は粉々に砕け散るガラスの破片すら一枚一枚が数えれるかの様にスローモーションで動き
過ぎ去った時間が走馬灯の様に脳裏を駆け巡る。

「お.も.て.な.し」も「ボランティア」も一円でも受け取ればそれは業なのだ。
業には採算分岐点がある。
現場も状況も今後の事も熟知した仲間に手弁当持ち出しでも探して貰えるか助けて貰えるか
自分の命を守るのは結局は今迄どう生きて来たかと星の数よりメシの数なのだ。

明日は我が身

コロナでここは逆に他所の車が増えたそんな某月某日9時4分一報が入る。
急いで浜に駆け付ける そこには突風か竜巻に呑まれた無残な姿の船が引き揚げられていた。
家族と共にこの地に流れ着き漁師になってまだ数年の日が浅い若い漁師は救命胴衣と浮いていた船に掴まっていた処を他の漁師の船に助けられる。
漁師が船を失う事は明日からどうやって家族を食わして行くのか
隠居した老漁師から譲って貰った償却年数を越えた船には保険も雀の涙で万度におりる事はない
船に積んであった自分の手に合わせ使い易い様に作った漁具もすべて失ってしまった。
それは陸の勤め人が本社と工場が一気に全焼するに匹敵する。

北海道では62年前の4月6日に当時の目梨郡羅臼村知円別沖合約4キロ付近で突然の突風天候変化でわずか3~4キロの海岸にたどり着くのもままならず次々と遭難、15隻が沈没・転覆し、死者・行方不明あわせて85名が亡くなっている。
天気を見る事に長けてる漁師でさえ突風や竜巻を予測する事は難しく
その危険をおかしても生活の為に家族を養う為にと海に出てゆく
その船が無くなってしまった。
浜の男達の歩く凶器と思われる顔とダミ声で集まり明日は我が身の浜の男ならではの
その場で即断即決で次々と若い漁師の明日からの身の振り方が決まってゆく


80歳になった漁師の徳さんはいつも胸ポケットに1000円札一枚だけを入れ帽子の中にはタバコとライターを入れている。
仕事が終わるとここに寄ってビールとラーメンを食って好きな事を言って帰るのが土日の日課
某月某日その日の午後にここに事後処理の相談に来た若い漁師に
「 時化たら出るな ラーメンおごる食え 」と一言
朝から何も口に入れてないのか浜の漢二人で黙々と食うラーメン
これからの家族や銭の心配する若い漁師に
こらからも続けていくと言うならエンジンの心配はするなと言いそうになったが
老漁師と若い漁師が無言で肩を並べて海を見る後ろ姿を見て言葉を呑んだ。
命を的に稼ぐ浜では言葉は目と背中で語る。

くんまの兄貴

どんな時にもへこたれないで次の手を打つのが商人(あきんど)なのでまったく忙しい日々を送っている。
俺はホリエモンは好きではないが彼が言った。
「 100も200も挑戦して中のひとつが当たっただけだ 」
と言った言葉まったくそうだと思う。
常にへこたれずに挑戦し続ける事が商人の心粋なのだ。
ここ最近ではレクサス新車一台分ほどの大損をこいたが失敗と言えば失敗だが得たものも多かった。
勿体無いと言えば勿体無いが自分の失敗は他の人が同じ事をやったら必ず失敗するとは限らん
それは回りに教訓と下地を提供したと思えば全くの無駄にはならないと負け惜しみしながら耐え忍んでいる。


俺はなにせ乱暴なので高いカメラは持たない
普通の6000円程度のカメラで撮った耕作放棄された畑で草を食う、静岡のぐうたら二ホンカモシカにも驚いたが

くんま道の駅
以前ここまで来る者はそうはいないべと書いたが
驚いた事にこのブログを見たと言う人がいて
くんま道の駅は鍛錬の為によく行きましたと言った。
それも身近な人で海で働く人達を陰で支えている会社の若い人なのだ。
世の中は意外と狭い あまりろくでもない事は書けんなと思ったが
「グンマの兄貴」と言えば豚窃盗団の頭目らしいが今度逢う時は
「くんまの兄貴」と呼ぼうと思う。


厳しい冬が終わりまた臼谷の浜に通いだしたが大勢の年端もいかないベトナムからの若い子が決して安全な仕事でも楽な仕事でもない浜で働いている。
「 今年カラ来マシタ新人デスヨロシクオ願イシマス オニイサン 」と言う。
誰が見ても初老の俺にオニイサンと言う 歩いては帰れない異国の海を渡って来ると言う事はそう言う事なのだ。

旭川のイジメられた子も虐めた側の子も
コロナで苦しんでる自営業も
一度は歩いて戻る事の出来ない異国の地の浜で働く年端もいかん子達の働く姿を見て欲しい

命だけは勿体無い事をしたらいかん

右側通行

点検さえしてれば今時は故障するエンジンなど珍しいので今期の夏の仕事はもう終わった。
後は俺自身のミスを起こさない事に気を付けるのだが、もう引退をしたいのだが一度売ってしまうと数十年は使う事が多い機械なのでこんなに永い事末端現場に立ち続けるとは思いもしなかった。
ひとつにはお客さんに恵まれ続けた事が一番の原因だと思う。
売った物は物でしかないがそこから始まる付合いが楽しく面白く物は無くなっても多くの人達に付き合いは続けさせて貰っている。
ただ耳が悪いのと眼が悪いので段々顔認証機能が落ちて来ているので失礼する事も多くなった。

敦賀からの帰りは以前小樽舞鶴航路を走っていたフェリーすいせん、に敦賀から浜厚真航路に乗った。
全長224メーター 搭載車両トラック158台乗用58台 17000トンが最速32ノット 巡行速度は約28ノットで走るそうだ。
ボートでも昔は早いボートが多かったが最近のボートでは28ノットは早い方に入る。車の速度に替えると単純に2倍して1割カットなので時速約50キロになる。
これを昼夜休まず走るのでその移動効率は車とは比較にならない
その速度を支えているのは


この反転プロペラで進行方向側のプロペラが右に回り後ろのプロペラが左逆転に回る。
エンジンは12600馬力×2基で回しているがプロペラ連結方法に興味がある。

新潟沖を北上中 船は右側に多くの船室がある為に北上は本州は陸地を船室で見ながら走るが
途中で南下する すずらん、とすれ違うとアナウンスがあった。
不思議な事に右舷船室からすれ違う。すずらん、が見えた。
一応海での仕事をしてるのでフェリーに乗ったら必ず舷側の壁に手を付けて一番最初の非常口の確認と壁の確認をする様にしている。

それなので行きも確かすれ違い船を右舷船室から見たぞ~と思い
船も航空機も右側通行が原則なので右舷にある船室から同じ航路のすれ違い船が見える筈はないとあれ~寝ぼけてるのかと少々パニックになった。

船は右舷をスターボードサイドと言い右側に船室や機能を維持する物が数多くある。
左舷はポートサイドと言い港に着岸する側は多くはこちら側になるがフェリーの様に車両を積み込んだり港の構造によってはスターボードを着岸する事もある。
日本は交通方法に関してはイギリスの植民地と並び数少ないダブルスタンダードの国で車は左側通行、船と航空機は右側通行になっている。
その為に海では勘違いが起きて事故になったりする。

う~んいつから誰がこうしたのか現代では面倒な事になっているし
一度も海外に行った事は無いが海外でレンタカーを借りるとウインカーとワイパースイッチを間違えて曲がる度にワイパーを動かし歩道を歩く歩行者は晴天でワイパーを動かす車を見ると
オォ~ジャパニーズドライバー マイガーと言うらしい

海に出る事が多くなる季節だが歳と共にこの意識の切り替えが難しくなっている事に気付き始めている。
なんでだ!なぜ右舷にすれ違え船が見えるのだともう海に出る事も止めた方がいいのかと悩んだ。
なんぼ考えてもわからんので、すいせんのサービスカウンターに聞きに行った。
そしたらお互いの船が船室から見える様に途中で航路を左右入れ替えて航行するそうだ。
右も左もわからんくなるなど一時は船舶免許も返上しようかと考えた。

ラーメン屋再開

暇になると思ったら仕事がトロくなって何かと気忙しい日々が続いている。


土日ラーメン屋を木曜日から仕込みして再開したが4月17日18日と雨に降られて全然ダメだったが
それでも近所の人が集まって呉れた。

今は18リッターの水に2時間でダシ取り終了する鶏ガラと12時間出ダシ取りするトンコツを別々に火に掛け営業前に合わせ36リッターにする。
途中で状況を見ながら蒸発させて濃さを調整するのだがアマチュアなので自分の舌など当てにならん眼で見て確認がどうしても多くなってしまう。
その眼も免許更新対策用に眼鏡を作ったが左右が違いすぎて実践には使用出来ないので
やはり普段使ってる慣れてる眼鏡を使って眼鏡使用条件でなんとかクリア
左眼の角膜を移植しかないらしいが只でさえ足りない角膜を年寄りが使うなど勿体無いし
デジカメでレンズばかり良くなってもメモリーが一杯一杯では話にならんが今の俺はメモリーが破損状態なのでその時が来たら免許は無くてもいいやと思う。

車一台所有する経費が俺の軽トラですら保険、車検燃料減価償却などで年に60万ほど掛かる。
これだけあったらタクシーに充分乗れると思っていたがそのタクシーがこの町から無くなってしまった。
誰ぞ個人タクシーを開業する人は居ないのかと思うのだが
人口3900人の町で個人タクシーが成り立たないとは思えないのだがそんな話は何処からも聞かん
2016年に人口4600人居たので年平均100人ほどが減っているが
なにか自然滅以上に減っている様な気がする。
これは金イコール幸せな生活としか思えん考え方を変えるしか方法は無いのだろうと思うのだが

昨年から菊芋を空き地に植えたが自生してる状況をよくよく観察すると斜面に多く自生してる。
う~ん斜面は延々と留萌迄十数キロあるぞと思い昨秋一角にコッソリ菊芋を植えて見た。
黄昏た崖下村にも楽しみは沢山あるのだ。

NHKのチコちゃん叱られるは最初は面白いと思ったが見てる皆が身体を使う事もなく知ってしまう話などクソも面白ないワイと思い見ていない

 

古池や蛙飛びこむ水の音 


北海道狩勝峠佐幌にある歌碑群 北海道ではこんな広々とした土地に作物の代わりに
言うは水に流し聞くは岩に刻むとばかりに恨み辛みから嬉しい事まで石に歌を刻み沢山置いてある。場所は分かりにくくサホロ酒造周辺を探すとある。

説明は聞いたがそれでも芭蕉は怪し過ぎるだろう。
大たい何食ったら一日40キロも歩けるのだと
古池とは旧体制を意味し、そこに飛び込む蛙とは蛙は水陸両用で忍者を意味する。
それは旧体制に忍者が放たれたと読むべきではないのかと・・・・・俳句と称して暗号文を・・・・・
そう思うと町内や周辺に怪しい くノ一が数人

主君を持たない出稼ぎ忍者集団の伊賀流は同郷の出であっても敵対した時に即断即決でバッサリと切るのが伊賀忍者の掟らしい
グズな俺に一番足りないものでもある。

おそらくこれが最後なるだろうと思うが全国アチコチ回って歩いたが紀伊半島ほど生活が厳しいと感じる土地は知ってる限りでは他にはない
その厳しさが甲賀忍者や伊賀忍者を生んできた。
それは太古の時代から宿命付けられ琵琶湖が大きく関係していて琵琶湖はドンドン動いてるが その跡地は農地には向かいらしい

芭蕉記念館ですっかり話し込んで遅くなり 今夜の寝床針テラスに向かう道中
チョットでも平らな部分があれば家を建て集落が出来る。
これくらいは状の口でなんで誰もいない処に車がチョコチョコと止まってるのかと思ったら道路に車を止めて今度は歩いて坂を登って山奥の家に帰るのが日課らしい

北海道はそこら中に平原があり種さえ撒けば食える野菜が出来るし
山に入れば山菜が豊富にある 今時は山の菜と言われるが要は山に生えてる雑草なのだ。
その山菜の種を畑に蒔けば雑草もびっくり過保護で育つわ育つわでなんぼでも生えるのだ。
紀伊半島ではその畑すら儘ならないで斜面に住む事で大雨で多数の犠牲者が簡単に出てしまう。
それでもそこに住む理由は江部乙出身の岩橋永遠の
故郷とは自分を記憶して呉れる人達の住む処と言う事に尽きるのではないだろうか
何処でも住めば都なのだろう
この紀伊半島には修験者から忍者やサンカと厳しい土地ゆえの奥行きがあり
北海道とは違うその地に生活をする根本があるような気がする。

モップおじさん

春から秋までの今シーズン仕事はあと数日で終了する 後はのんびりと秋まで待機なのだが待機は無収入で拘束されるので何処にも行けないムッタシ

伊賀上野忍者屋敷
市営駐車場でクソ高い駐車料金600円を払い見に行くがコロナでドッタラコッタラで3時で終了、着いたのが3時15分頃
遅れて来た情報など大した役には立たんのはどの業界も同じなので忍者は時間を守る事は重要だとは思うが
うんだら駐車場のクソ高い駐車料金返せと思ったが手裏剣でも落ちてないか駐車料金の元を取る為に周辺を散策

伊賀上野城石垣
だけどこの石垣を積むにも銭が相当掛かると思うが
その銭をどうやって集めたかが商人としては興味深々なのだ。
「 胡麻の油と百姓は絞れば絞るほど出るものなり 」
と言ったのは
江戸時代の神尾 春央だが百姓と違い商人(あきんど)は儲からない事には銭は出さん
賄賂も戻って来るから出すのであって、それは現代も何も変わらんタダで酒を呑ませてくれるなどと呑気な事を言ってるのは最近では総務省の役人くらいのものなのだ。
江戸時代の侍人口比率は一割程度だったらしいがそれは現在の役人の比率から比べると大層多いが半農武士も居たろうから一概に比較は難しいが
そう考えると城は農民から見るとムッタシ来る事も多かったのではないかと思う。
弥生時代に始まった農民はその後も近代まで食管制度でいい風に絞られ続けるのである。
物事をどっちから見るかで大きく違うが困った修理ほど左右から見るのが修理では大事な事なのだ。
「 人は城、人は石垣 」と言ったのは武田信玄だが聞き位置や立場によっちゃ~結構残酷な話になる。
などと思案していたら

入館出来る建物発見で300円払って
300円払ったら蕎麦食えるぞ思いながら入館
博物館は大好きでかなりの数を見て来たが
俺は思うのだが博物館の着眼大局を見てる一番の関係者は学芸員や事務所に座っているネエチャンやオヤジでないと思う。
以前朝から晩までフィルムの現像をしてるカメラ屋のおばさんと話をした事がある。
亭主はチョットは知られた写真家ではあるが
自分では一切カメラを持つ事はなく
お客さんが持ち込むフィルムを現像し写真を確認してお客さんに渡す作業を数十年続けたおばさんが
意外と素人の方がこれはいいと思う写真を撮る事が多いと言っていた。
博物館で一番の着眼大局を見てるのは掃除のおばさんやおじさんだと思っているので見掛けたら必ず声を掛ける。
この建物を見掛けたら入館してモップを持ったおじさんを見掛けたら
それはラッキ~でこの博物館空間が何倍にも広がる事は間違えない


俳句にまったく興味はなく
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」しか知らんが
芭蕉は伊賀上野の生まれである 俺は芭蕉は俳句と称して情報を集めた忍者ではなかったのかと想像して博物館に入った。
木戸銭を払いながら学芸員らしいネエチャンに聞いてみたが
『 そう言う本も出てますが一切そう言う事はありません! 」
と言ってモギリを渡した。
入館後にモップ持ったおじさんが居たので同じ話をした。
そのモップおじさんは自分では俳句はしないそうだが
芭蕉はなぜ忍者でないのかとその後閉館まで様々な展示物を使い現代と比べて説明をしてくれた。
平均して一日40キロ歩いたそうだが奥州路のある場所は通り抜けているがその理由はなどと説明してくれたが
資料としてはさほどの量ではないがモップおじさんが居た事で
この博物館は大きく広がる。
毎日毎日同じ事をしてるからこそ見えて来るものがあるのだろうと思う。
ちなみにこの芭蕉記念館を寄付したのが間組だった。
間組うん!間者か忍者か!などと思ってしまった。
忍者と間者は違うらしいが忍者とは逃げる事にありと悟った。
幾らいいい情報を掴んでも捕まる様では話にならん

岐阜

崖下村は30人程度の集落で店もない交通機関もないタクシーも廃止ない
でも生活にはなんの支障もない顔を合わせると昨年とたいした変わらん同じ話が繰り返される。
それはいつ迄もここに居ていいのだと言っている様に聞こえる。
若い時は兎に角闘う事を前提にやって来た 敵を作る事、倒す事で前に進む
信号で止まると先の信号を見越してアクセルを開ける。
すこしまともになって商いをする様になっても昨年の売上を成長させる事で前に進む 昨年が10台なら今年は11台と翌年は12.1台と成長、競争を止める事など自分自身に許される事ではなかった。
メーカーの数百ある販売店を一か所に集め前列右から売上順に並ばせB5程度の成績賞を貰う アイツより下になってたまるか酒が不味いわと
さらに自分の中に敵を作り休む!満足!などクタバッテからせいと言う人生だった。


岐阜恵那上矢作
両側を山に挟まれたこの小さな町でスタンドがあるとは思わなかった車修理と雑貨を扱っている。
多分俺の人生で一番高齢の方に給油して貰ったと思う。
まず婆ちゃんが何処かに爺ちゃんを呼びに行ってから給油が始まる。

女城主の岐阜恵那岩村 のぼりが桜色

岐阜郡上八幡島谷

岐阜郡上八幡鍛冶屋
実際に役立つかどうかわからんが殆どの町家に、うだつ、がある。
道は広そうに見えるが車すれ違いは難しい処が多い

山之内一豊の妻 千代生誕の地 所説あるらしい

岐阜は愛知との県境の各務原や瀬戸と産業はあるが
そこ以外は周辺の県とは空気が全然違い何処を通っても時代から置いていかれた県と感じる。
更新をされない為に観光地として生き延びているのだろうと思うがこの福井から琵琶湖の東側を通り三重から奈良、和歌山のラインは思い込みもあるのだろうと思うが何かが違う。
女性の顔立ちはほっそり顔のキツネ顔が多くそのまま巫女さんにしてもいい日本顔の美形が多い
それに印象が浮かれていないのだ どことなく凛としたと言う言葉があってる様な説明は難しいが
ここまで店など殆どない山ばかり走って予算は余ったしコロナでなければ何処かの宿に泊まって呑み歩いてみたかったが断念する。

もう宇宙船地球号はイケイケドンドンが許される状態ではない今あるものを大切に使い明日に続ける。
さよなら三角また来て四角、四角は豆腐、豆腐は白い、白いは、、、、
と明日を信じる夕暮れ時が似合う岐阜の町々を見たら無性に帰りたくなった。
帰るわ