永遠のクズ 

頭がいいのと知恵との違いは俺自身の中では
頭がいいと言うのは頭の中で考える事で
知恵とは自分で考えて自分の手を使い完了させて初めて知恵と言われるような気がする。
一時期肉類がまったく食えなくなった時があったが 今も食べ物の命を考える事は他の人達に頼って暮らしている。
分業がいつの頃から始まったのかはわからないが末端の現場を見る事も無く、頭と手が分離し進んでいく
言いっ放し、考えっ放し、が人類の終末を加速させている事はほぼ間違えない

自分の親族を三親等も遡ればロクデナシや問題児はほとんどの人はいるのではないかと思う。
俺にもコイツとは近づきたくないと言う奴が二人ほどいる マッタそういう奴に限って冷たくしようが怒ろうが なぜかちょくちょく来やがる。
コイツは怒られる為に来るのかと思うほど来る度にツマらんのから大事(おおごと)まで揉め事を持込むのだ。
三親等身内にロクデナシが居るからと言って
そこら中にある齊藤姓を見るだけで吐き気がする 職業だけで吐き気がするなどと口にだし言われたら 
それを口にだし言う奴は相当の精神凶暴な奴で人間のクズであろうことは間違えない。


百田尚樹がハングル文字を見るだけで吐き気がすると言うのは、そう言う事なのだ。
百田尚樹殿には
言いっ放し、考えっ放しの日本のクズを飛び越えて人類のクズ

『 永遠のクズ 』 の称号を与えようと思う。

馬糞風


昭和60年 素手で作業する除染作業員

 
昭和60年 核で汚染されたロンゲラップ島を離れる島民
この事を第一当事者や科学者はどうとらえてるのか 己の気持ちの何処に落としどころを持って毎日メシを食うのか
結構頭のいい奴でもロクデナシは沢山いると言う事で バカが考える悪事はたかだか知れてるが
頭のいい奴が考える悪事は規模が違う。
 

昨日はバカデカイ ジーゼル、マニュアルシフト車が来たがアイドリングでもこれに轢かれたらチョットやそっとではすまんべなと思った。
今時の車は低速が効くので軽でもない限りエンストする事は無いのでマニュアルシフト車でも暴走する。 
確信犯以外に燃料も高い今時公道でアクセルをベタ踏みなど異常に操作する奴がいるのだろうか
アクセルペタルとEFIはワイヤーで直接連動してる訳ではないので途中に
ベタ踏み防止や異常な操作を制御する装置を入れる事は何も難しい事ではない
なぜ車メーカーは明日からでもしないのか不思議で仕方ない 
AI自動運転などは想定外の事故が起きた時に
その時までのんびり運転していた。
アクセルペダルから足を外す事すら出来ない運転者に自動運転を解除して手動に切り替える時にパニックになり制御出来ない事は目に見えてる。
自動運転など畑の端が見えない十勝の畑でやる事なのだ。
公道での自動運転など年寄にどんどん事故を起こして下さい 貴方だけはエアーバックで守りますから車はまた買って下さい と言ってるのに等しい

自動運転をそこまで考える頭がある頭のいい奴を沢山抱えてるなら なぜベタ踏み防止装置を明日からでも付けないのか理解出来ん
そう思わんかい 豊田 章男さん
「 アメリカには100年前、1500万頭の馬がいた。それが今は車に変わった。残ってるのは競走馬。変わらず残る車を、だか らスポーツカーを作っていきたい。… 」
馬が公道から消えたのはアスファルト道でシッポをあげてクソ垂れるからなのだょ~

北海道の浜は馬糞風が吹くと春が来たと実感したものだ。
人類を救うのは頭より知恵なのかもしれん

筑水キャニコムライガー

乗り物は空を飛ぶ物以外はスノーモービルから船までほとんどを所有し乗って来た。
バイクは750刀やTX650は一番長く乗り数年乗った 乗るのをすぐ止めたのがVFR750でなぜかと言うとかなりの高速でもスピード感が全然ないバイクで これはマズイとすぐ止めた。
身体のアチコチ切ったり貼ったりしながら事故に関しては
殴られるかも知れないが1センチ手前でも止まれば事故では無いと言う思いがあり 
歳食ったら乗り物は小さいに越した事は無いと思っている。
最後に乗ったバイクはスーパーカブで東北に行ったりした。車は現在はミニキャブバン


二年前に格安で買った車で他にハイゼットトラックが一台あるがエンジン音がもう~ダメ~と言っている。少し長い時間を使うと多少油の焼ける臭いもする。どちらも低速ギヤ付4輪駆動 

任意保険料が二台で約15万 燃料代が年間25万前後 車検費用が年間5~6万 原価消却損料は一台15万程度を見てる。
ざっと合計すると年間55万程度 これを月割りにするとざっと4,6万程度 
俺は思うのだが近場はバイクで遠くをタクシー代やバスに使ったら相当乗れると思う。 
そろそろ免許を返す準備をしようと免許センターに車の免許だけ返納しバイクの免許は残す事は出来るのか電話で聞いた。
結果はOKでバイクなら事故を起こしても自分だけで済みそうなのでいずれはバイクの免許だけにしようと思っている。
車の免許は修理工なのに20歳を超えてから取り大型免許はそれまでの運転の性格上絶対に誰かに迷惑掛けるだろうと取っていない 
俺は免許は原付、小型特殊。二輪。軽自動車、普通車などとそれぞれを独立させて個別に更新手続きをすべきで歳と共に車をドンドン小さくすべきと思うのだ  長野や鳥取などの山奥で鹿か猪しか居ない場所でも年齢に応じて車にスピードリミッターを付けさせる事も必要と思う。
それか最高時速15キロの筑水キャニコムライガーでも乗れって
4駆だしキャビンは付いてるし中々優れものだと思う。
いつかは筑水キャニコムライガーの中古を買おうと思っている。それまで頑張って製造して欲しい

足が悪けりゃ電動車椅子に乗れって思う。後はタクシーに乗った方がよほど経済的なのだ。
クソの役にも立たんプライドなど捨てれってハタリが迷惑だって
87歳は年代から言って何も無かった事に出来る記憶から消せる年代なっている。
残るはクソの役にもたたんプライドと誰それにこうしてやった俺は以前は官僚だった何々だったと言う記憶と行動
記憶を消してしまったからと言って責任は消えない家族にも賠償責任は及ぶだろう
事件の結審までに事前に財産の移転や自己破産では犠牲者は浮かばれんと思う


田舎者にとっては都会観光では車は止める所を探したり右折出来なかったりとかえって邪魔になり見たい処も行けない
都会は10分と歩かんでも公共交通があるので車での都会観光は邪魔になるのになぜ87歳になってまで車に乗るかわからん
操作技術が無くても乗りたいから乗る それは無免許とほぼ同じで犯罪ではないのか

帆待ち

あと少しで連休が来る無事に終わって欲しい
出来る事ならなくてもいいかとさえ思ってしまうのだ。
シーズン初めは海は歩いては戻れないと実感する船が必ず一隻か二隻は出て来る。
命への執着はどんどん薄れているのに海への恐さは歳を食うほど深まっている。
ボート屋にとっては高い銭を出して海に出ないお客さんほどありがたいお客さんはいないのである。
海に出ない事が最高の海上安全安心なのだ。


この冬の猛吹雪に一党一強の北朝鮮からの船と思われる木造船が漂着して来た。
まじかで見る船は想像より遥かに大きいがボロボロの木造船で、よくこんな船で波長の短い日本海で漁をするなと思った。
左右の舷は広がらない様に16ミリほどのボルトで留めてあるだけでボルトが切れた時には船はバラバラになるだろう。
同じ海でシノギをする者としてもし乗員が船内に残っているなら荼毘に付して国に帰してやって欲しいと切に願う。

海が開けて漁が始まった これは全部ザッパ魚で流通に乗る事は無い 分け魚にもならない箱代にもならないので捨てるしかない
北海道は広いその為に輸送費が掛かる市場まで50キロなど普通にあるが 
修理工兼そこそこの小商人(こあきんど)の俺にはなぜ道端で売らないのか不思議で仕方ないのだ。
よくはわからんが海で身体を張って生きる漁師は金の事を口にする事は何か卑しいと思ってる節がある 
それは職人と言われる人達にも共通する部分がある 
自分が作った製品をタダでやるから持って行けと言うが買うなら
『 俺からは言わんお前が値を付けろ 』と言う なら一円と言ったら怒らずに渡すのかと
小商人(こあきんど)の俺から言わせると だからいつまでも貧乏こいてるのだと
無意識のうちに原価計算を下手にする処に間違いがあるのではないかと思うのだが 
元々は捨てるものなのだホマチ銭なのだ。

『 このホマチとは帆待ちから来てると初めて知った それは宮津市由良港資料館で北前船の帆から来てると説明書きにあって知った 理由は大阪商人ならではでなるほど思った。ホマチ 』

50円でも120円でも買って貰えるならそれでいいと思うのだが子供に鉛筆を買ってやれるべと
段ボール紙に書いておけばいいだけと思うのだが
海ではクソの役にもたたんプライドがあるのか組合のシバリがあるのか
魚が口に入る それは安い魚しか買えない人を助ける事にもなり魚にとっても嬉しい事だと思うのだが

越冬ヌマチチブ

もっとも魚がどう喜びを表現するのか毎日水槽の魚を見てるがいまだにわからん

自民党パチンコ議連大臣うんざり

自分でもうんざりなのだ
俺は整理整頓が出来ない 最近つくづく情けないと思い始めてる。
思い当たるものは整理整頓が出来ないのは頭の悪さとある程度目鼻が付くと片付けずに次に仕事を移るからなのだ
後始末が出来ないケジメが付けれない奴と最近気付いた。

オリンピックに全然関心がない俺にとって復興とオリンピックがどう関係あるのかわからん
まず先に片付けるものがあるのではないのかと
原発さえ無かったならもっと早く始末出来たろうに

チェルノブイリが広大なロシアの何処にあるか知らんが後の無い俺ならロシア産も一向に構わんがもし子供や孫がいたらロシア産の食品は食わせない
WTO海外から見たら日本は狭すぎる島国だと思う。
政府も電力会社の人達も全員子供も含めて福島産を定価で買って食い続け
そのうえでの提訴だと思うのだが

自民党パチンコ議連の大臣が辞任した。
党首が決めた事にイエスとさえ言っていれば誰でも大臣に議員になれる事は
わかっていたがヤッパシなのだ。
安倍政権は地方の事など真剣には考えてはいないのだ。
そう言う人達なのだ。
うんざりなのだ。

鴨ネギ

ほんと忙しい 
その一番の理由は売りたいと全然知らない人からも連絡が来る為に売りたいと言う船の見積もりで地方に走る事が多いのだ。
売りたいと言う人が表れる時に不思議な事に一定の時期と流れがあり 
なにか太陽の黒点と関係があるのかと思うほど誰かが売りたいと言い始めると続く
この業界ではかなりの数の船を売っても来たが 買っても来た。
そこで感じた事はどんな場合も通用すると思うので残り少ない俺の戯言と思うがここで

親の稼業を全否定する者で現在 大金を持っている者は鴨がネギを背負っているように見えるのだ。
それはどんな稼業でもドロボウ稼業だろうがヤクザ稼業だろうが大社長稼業でも変らないだろうと思う。  その親の稼業でメシを食わして貰い学校にも行かせて貰い 育てられた事はほぼ間違えないのだ。
見ようとする者には見え 聞こうとする者には聞こえる。
一番傍にいてその親の苦労を全否定する者は何も見ていないに等しいし これからも何もみえる事はないだろう。  それでも元気のある者で一時的に金を持ってるのは逆起電流現象の様な気がしてならない
それは金を持ってる時から没落するまでの時間が短いのだ。
もう何度も没落ゆえに手放す事になったそんな船を買って来た。
船を最初に買って貰う時の商談で言葉の端々に親を否定する者は手放す時も早いだろうと感じる事が多いし その通りになる事が多い
物が動く時にすべてとは言わんが利益が発生する 親を否定する者は鴨がネギを背負っているように見えるのだ。
時節の見切りが出来ない 決断が出来ない者は損を上乗せする事になってゆく
鴨ネギにならないように親の生まれた土地を見てそこに素足で立つ事を薦める。


遥か向こうに見えるのは三頭山連山か
あまりいい取引にはならなかった早く帰ろう 
もう大した食いたい物もない銭もたいした要らない年寄にとっていい取引とは銭の過多ではない
気持ちよく終わるかどうかなのだ。

選挙が終わった。

13億人も居て広さはなんぼあるのよ!と言う中国と言うだけでいまだに二級品と決めつける人は多い
食糧生産基地の北海道に原発もカジノも要らない なにかあった時には北海道など狭い
北海道と言うだけで買って貰えなくなる事は目に見えてる。
なんぼ善意があろうがこの自由競争社会 己の失点は競争相手の得点になるのだ。
新知事の若さ期待にしたいが衆議院の足掛かりの道具にしないようにと願う。
 

京丹後 自分にないもの手の届かないもの普通の場所 普通の人を見るのが好きなのだ。

今年は週2日働いたら5日休みたいと思っているのに鴨の足掻き状態で何がなんだか毎日が忙し過ぎて気持ちにも余裕がない 
元々性格は短気で荒く身勝手で結構セコイのでブチ切れそうになる日々を送っている。
あ~あ~何処か雪の無い何処かに行きたい
雪もまだ降ったりやんだりで春とは言えないし 気持ちも仕事の切り替えも出来ないのだ。

日本列島は長い この長さが気温の違いを生み品物の格差を生み、それは必要とされる時期も違い価格の差にも繋がり その格差は北前船のように利益にもつながってゆく
この長い日本列島のドライバー不足はもっと深刻になるだろう その時に運転手一人で大量に運べる鉄道線路を無くした事を後悔しても後の祭りなのだ。
一般道の危険な自動運転などせんでもいいと思うのだが
廃線になった処は沢山あるが JR北海道島田社長は金も無いのにまるで復活を恐れかのように金を掛けて廃線と同時にすぐ線路撤去をする。
雪原や車では見る事が出来ない草原の中を走る北海道の鉄道は良い観光列車になると思ったのだが
残念 
人が乗り降りしないすれ違う事のない駅など駅とはいわん


 
 

増毛醤油

朝ドラを見始めて朝の時間が拘束されマズイと思いながらも見てしまう。
まんぷくの手法は何にでも通用すると思ったので
偉大なガムテープに繋がる次はセロハンテープ開発物語かと思ったのだが
違って北海道が舞台になった。
毎回次回は一週間は見ない事にしてるのだが今回は二回目から見始めてシマッタ

『 よそのメシにはトゲがある 』
と言うが他人のメシを食った者にしかわからない言葉と思う。
一食や二食ならいいが毎日毎食となると拷問に近いものがある。
性格が悪くなるかそこを逃げ出すかしかない 物語なのでそうはならんが極寒の十勝ならやがて凍死かそれなりの稼業に付くしかない
草刈正雄のやり方は正しい選択だと思う。働いて使用人として堂々と食って生きる。
昔はおかずは大皿で出て来る事が多くそれを取り皿で取るのだが箸を付ける順番が暗黙のうちにあり
忖度しなければ食って生きてゆく事は難しかった。
最後に残った一個のおかずをどう取るかでその後の人生が変わると言っていい
笑って誤魔化すかコッソリ取るかほんと難しいのだ。どうしても上目使いになってしまう。
江波杏子のような三白眼お姉さんに手を出したらどんな仕打ちが待ってるか知れんと思うほどの
恐い~三白眼はその人のそれまでの生活が表れると思うのだが

俺は実親から虐待を受ける子供達は毎日がそんな日々を暮してると思うとたまらんのだ。
朝は近場の漁師の網外しを手伝い魚を貰い 山に山菜を採りに行って働いて自分の手で食う
自分で稼ぐ事が出来るまで いっそここ増毛に施設を作っで腹一杯食って生きた方がいいとさえ思う。
廃校は沢山あるし少しは手伝う事も出来ると思うのだが

育ち盛り食い盛りの時に食い物を得る、食うと言う事はそれほど大変な事だったと朝ドラを見て思い出してしまった。
親のゆがんだ価値観がはけ口として子供を虐待すると思うのだが それが本当に歪んだ価値観なのか もしかしてその歪んだ価値観は周りから与えられてるのかも知れないと思う時に自分の頭と手で考える事が必要と思うのだが
自分には何が出来るのか何が出来ないのか知る事はとても大切な事と思う。


なんにでも醤油をザブザブと掛ける俺は醤油が大好きで少しうるさい
町内の健康診断に行ったらこの減塩醤油を2本貰った。
胃ガン検診に行くと何が嫌といってチ~を抜かれるのが一番嫌で倒れそうになる
チ~を抜き取ってる最中は
もっと色っぽいネエチャンならチ~の出もいいだろうにとか
他の事を色々考えて過ごすのだが
やっと終わってレントゲンになると「 ハ~イ右に回ってもう一回右に 」
緊張が解けるのか あれ~どっちだったべと上下左右グルグルと回されて方向音痴になり右と左が分からなくなる。
時計をしてるのが左なのでとか考えてから回ったりするが
作業員はまったかよチッと舌打ちもせずに指示する声は全然変わらずに
「 反対で~す 」と言う
 爺婆相手にムッタシ来るだろうにと思うがそれを黙々と毎日何十回と繰り返す
声の主に俺には絶対に出来ない仕事と尊敬してしまった。

令和

人間生きてゆく限り知ってるか知らないかはあっても
そんなはずではなかったと思わぬ事に何かに加担する事は沢山あるだろう。
それが昭和の初期時代だったと思う。

最低限の食ってゆく為に食糧を得る為に動く事はあっても
働く仕事なら
今自分の手で作る小さな部品が四方から集めれて組み立てられ 
やがて出来る物が後世の役に立つ事になって欲しいと願うだろう。
そうして何をやってるんだと言う退屈な流れ作業の様な日々を真面目にコツコツと過ごす。
小さな源流の水が集まりが大河となってゆくような人々の暮しを束ねるのが政治というものだと思う。
そのコツコツと積重ねる退屈な日々の中で
捨てあったたパイプ椅子を剥がして穴を開けて
板を拾って来て緑の色を塗って
水が漏って来ないようにさらに緑の色を塗って 
ああでもないこうでもないと水に浮かぶ姿を思い浮かべて考えて考えて造ってゆく
そのささやかな庶民の幸せを守る指導者とは政治とは
いつの時代も政治家に求められているものは無我無欲ではないのか
ら行の令 昭和の和 令和

北前船

いつもなのだが旅から戻ると あれはどうだったべ~と見落とした事を思い出しもう一度見にゆかんとないと同じ処に何度もゆく 
二度目の琵琶湖だったがまた行ってみたいと思い始めてる。

今回は偏西風に乗って北上した北前船の戻りに二つの航路があった事がわかった。
一つは敦賀で荷を馬に積み替えて琵琶湖を船で渡り大阪に出る航路と そのまま下り関門海峡を通り大阪に出るコースがあった。
当時は西洋の船やヨットの様に風に向かって走る事 切り上がる事が難しかった日本の船は
追い風に乗って走る為にアメリカ側に流される太平洋航路は動力船が出来るまで中々発達しなかった。
その点は難破しても流されるのは日本の陸地だった日本海側航路が早くから発達する事になってゆく
北前船が運んだものは古着や酒など様々な物が運ばれたが同時に近江商人や富山の薬売りなど
人も考え方も商法も荷物と同時に運んだ。
なのになのになのだ 太平洋側と日本海側ではあきらかに格差がある なぜそうなったかは今回は少しわかる気がした。
地球を見た場合は都市は北半球に多くそれも偏西風の吹く北緯40度周辺に集中している。
資源は南半球の方が多いと思われるのになのだ。
これは勝手に想像するのだが個の確立の問題ではないのかと思うのだ。
個の集団が地方であり地方の集団が国なってゆくと思うのだが

 
由良港 慶応時代高札の説明文
北前船寄港地は動力船や列車の普及と明治維新の中央集権によってザップンピュ~と黄昏てしまった。

北海道でも莫大な資源を誇った12号線と452号線に囲まれた産炭地は今は見る影もないのだ
それはすべて中央に持っていかれた結果なのだ。
さらに旧産炭地振興と称してビックリするほどの箱物がアチコチに点在するが それを建てたのは中央の大手ゼネコンでその稼ぎはほぼ中央に持っていかれて現在は財政再建団体になって爺婆から集めた銭で借金を返済してる。
これは返せない事が分かっているの貸し付ける 
最後は娘だせ~と 寝ている病人の布団を剥がす悪徳金融の手法で
それに乗っかってシマッタ首長を頂いたか 選んだか個の馴れの果てなのだ。

弱い者を見捨てるのは人として忍びないが手を出すにも財源がいる 
ではその財源は何処から出るか
それは強い者にせいぜい稼で貰うしかない 儲ける事が趣味で銭には頓着ないと言う者も確かに居る。 

自民党と言う強者を守ろうという党があり対極に共産党と言う弱者に寄りそうと言う党があり
そうした両輪が成立った時に初めて国が成立する事になってゆくような気がしてならない

それが現在では偏狭な指導者によって、相手を殲滅する所までやろうとする。民主主義の限界をみる。
やがて江戸時代の様に絶対君主制が始まるのかもしれない 江戸時代も民衆受けしないバカ殿は結構引き摺り降ろされたりしたらしいし
庶民にとってどの時代が良かったのか今更わからんが 

現在は藩の取潰し切腹はないので気を付けていれば良い時代と言えるし
いまは選挙と言う手段がある
それは間違いなく大事なもので大切にしなければない
一党独裁などロクた事がないのは歴史が証明してる。
願わくば右も左も両輪の均衡と尊敬を持つ選挙であって欲しいと思うし
それが日本海側もソコソコに生きて食っていける道と思うのだが