江別 川上丸

なんのコッチャ 昨年ふっと休みの日も律儀に金利を取る銀行の年間休日はいく日あるのかと数えたら127日ほどあると知った。
これは三分の一が休みで 銀行員になるほど頭は良くないが都合の良い所だけ合わせようと4日働いたら3日休もうと決めたのだが
定休日でさえ午前中は仕事があるなど全然そんな状態ではない 
さらに困った事に作業が年食った分確認に確認と手間取る事によって時間が掛かるようになってさらに時間がないなんのコッチャ

だが仕事が量が実際にあって忙しかった昔よりキャッシュフローは仕事を減らした現在の方があり
これは電圧と同じで電気の流れを一時的に遮断する事によって電圧が急上昇する逆起電圧現象のように
一時的なものかと思ったが仕事上のキャッシュフローはここ数年資金ショートもなく安定している。
思うに消費一辺倒の成長戦略には何か経済学者や嘘付き首相や政治家の言う物とは全然違うものがありそうな気がし始めている。  俺にとっては誰が月に行こうがナンチャラ星の泥芥を持ち帰えようが隣村で恐竜の骨が出ようが俺の生活には大した関係が無い!  これからの科学は地球を自然災害や卑怯者やロクデナシが起こす人災などから守り維持をする為の商売と科学が求められてゆくような気がしてならない 
それは何もしない事も一つの選択枝ではないのかと勝手に思い始めてる。 
それもあり勤労意欲は無くなりつつあるのだが半世紀に渡りやって来た仕事兼趣味なので
身に付いてるかどうかはまだ分からないが手を付けると面白味が出てしまいなんってコッタなのだ。
最低限自分で売った人達とその機械と一緒に朽ち果てようと思っているのだが
極貧を経験したので欲の固まりでセコイので徹底的に食い潰すと言う根性もなく
せいぜいその辺をチョコマカチョコマカと軽自動車で動くだけで終わって
なんのコッチャなのである。

江別 川上丸 原寸 大き過ぎて全体を写す事が出来なかった。
川上丸は石狩から札的内までを石狩川を航行して大活躍をしたらしい この船がある事を知ったのは月形集治管に何度も行って囚人の移送に川上丸が使われた事を知った。
身に詰まされる話で
これは一度は自分の目で見てみたいと思い始めて何の下調べもなく
いつも通り唐突に思い付きで出掛ける事昨年から3回 休館日やなんやで3度目でやっと見る事が出来た 中に入って舵輪を回して見てエンジンを見て甲板に寝てどんな夢を見るのかみて見たかったが
吊ってあるので中に入る事は出来ない勿体ない 
ついでにも一つホイ館内に美味そうに展示してる八つ目ウナギの店コジマに食いに行ったが秋しか食えないとの事だった。
なんのコッチャなのである。

砂川ラーメン

砂川ラーメンを食い続けて感じたのは これが砂川ラーメンと言う物が無い事だった。
多分思うには旭川ラーメン圏と札幌ラーメン圏とに挟まれて どちらも吸収しながら独自のラーメンが進化してる最中なのだと思う。麺も札幌ラーメンによくあるスパゲッテーの様な麺から旭川ラーメンにある麺自体を食う麺と色々 大盛り無料などもある。 
固定観念を持たずに自由に他所は他所と縛られない事が砂川ラーメンの魅力なのだと思う。
幾ら科学が発達しようが個人の自由や好みの分野は犯してはいけないと思うのだが
現代は普通に この個人の好みまでを操作する事が出来る まった最近はまんまハマッテしまう人が多い
手法はおもうに事前の分析とネット情報を使い選択肢を狭める事によって自由に選ばせない
その手法は共和党と民衆党 田舎の町を二分する処までやる町長選 現在に至っては与党対野党と徹底的に分ける。
お互いを叩く方法や一か所だけを宣伝する方法は早くからネット会社が操作をし続けてあっと言う間に
何がなんだかわからんようにしてしまった。
それを見た者は自分の目と耳で確かめた事でもないのに確信的か盲追なのか確かめもせずに
さらに何処かに流す現代は怖いなと思う。

俺が言うのもなんだが思うに 
如何に便利な物でも他者に危険を及ぼす可能性のある物は船でも車でも段階に応じた免許が必要になってゆくのだが
このネット社会は使える者は誰でも僅かな銭を払いさえすれば三歳児でも子供でも常識の全く無い大人でも、どんな奴でも使う事が出来る。
だがそれは三歳児がステック操作の大型ダンプや19トン船を操作出来るから乗っていいと言うのに近い
さらに厄介な事に自分の吐いた毒を回収する方法が無いし自分の好みにあった毒を探しそこに安心感と満足を求めてゆく

なぜそう思ったのかは
最初は砂川のOさんに言われた事が切っ掛けだったが
今回の店店を探すのに初めて食べログなるものを見て参考にした。
俺は俺とハイわかりましたと言う素直な俺ではないのが 
それを流されるままに参考にした事が少し怖いと感じたのだ。
大体が有名人嫌いな俺が有名という事で店に入ってシマッタ


砂川に全然関係ないが馬籠宿で数組の日本人グループもいたが 
このドイツ人一行だけが左に曲がり土と石で出来た山道をどんどんゆく
俺もチャッカリ何を喋ってるかわからんガイドの説明を聞きながら山奥に進む 
雨の中自分の目で見ようとする姿に感動した事があった。

この俺は俺と言う砂川ラーメンの店店には
芦別岳を中心にした砂川、美唄、三笠、夕張、芦別、赤平、砂川と旧産炭地の特徴なのか
型にハマらん混沌とした石狩川左岸、砂川の魅力があり、これからも機会がある度に立ち止まって見たいと思い始めてる。

砂川Ⅱ

今週火曜日で砂川有名処のラーメンはほぼ食った。
砂川でラーメンを食うには午前11時から午後2時頃まで再開は夕方と営業時間が少ないので中々大変だったが
この営業時間に関しては美味いラーメンを作ろうと思ったらスープを加熱し続ける事は段々劣化するので一旦休む事は合理性がある。

いまは商売とは待ち続ける事と駅前の姿はむやみやたらに変えるべきではないと考えるに至った俺にとっては一か所とても興味深かったラーメン屋があり 
その姿勢は田舎の小商いの見本になるかも知れないと思った。
砂川駅前にあり小さなその店で食うには暗黙のルールが幾つかあるらしく 常に不機嫌そうな昔は綺麗だったと思う、お姉さまがラーメンを一人で作っていて立待客が数人いるほどだった。  
ラーメンの写真を撮るなど厳禁らしく怒られる 価格表もどこにあるのか 
その昔は綺麗だったと思う、お姉さまは常に不機嫌か言うと そうではなく知合いと思しき人が入って来ると世間話をし始めるのだ。
それも久し振り~などとお互いに言って子供が学校に入ったとか言っている。
このひとは誰か旧知の人が来る事を待ち続けてるのかも知れない 
映画などのワンシーンである居酒屋の女将が待ち続けた客が来ると暖簾を下ろし昔話にこうじるそんな感じなのだ。
その無愛想は流行らなくてもいい日々食ってゆくだけあって誰かを待ち続けていけるなら、いいと考えてるのだろうか
その為に人を雇う事もなく客を待たせる事もいとわないのだろう。
だが誰かに美味いものを食わせたいと頑張ってる結果が望まぬ客が一見さんとして大量に来てしまってるのだと思う。
価格もいつ頃からの価格なのか破格の450円なのだ。

駅から発って行った誰を待ってるのか そしてその人は戻って来たのだろうか


雄信内駅前 竹内商店 酪農と農村地帯の雄信内駅は通勤客は無かっただろうと思うが 
ここから出稼ぎにいったり地元を去ったり 子供達がここの前を通り通学にも通っただろうに通りに明かりを灯し続ける事も たいした儲からんでも続ける事も大事な商いの道なのだ。

みんな蔭から誰かに見守られて育って来たのだ 自分一人で大きくなったと勘違いした結果が各種事件に繋がっているような気がしてならない。  
現在のJR線路も一人で育ったように勘違いしJR北海道も自治体も儲からないなら廃線してしまえと乱暴な考えかただと思う。
何かの方策はないのか唇の薄い薄情者でセコそうなJR社長を思い出した。
本当に方策は無いのか
利益と効率だけで本当にそれでいいのか
 
そんな事を思わせた誰かを待ち続ける砂川駅前ラーメン屋

待ち続けたのは俺ではなかった様だ~

マヌケな俺

海をゆく時に世界三大発明の一つと言われる。
羅針盤をルネサンス期から少し前まで永いこと使って来た。
だがそれは磁針方位と言う真北とは若干のズレがあり修正をくわえながら進んで行かないといけないし操舵室の環境にも左右され潮流れや風の影響もあり絶えず自分の位置を確認して修正が必要なのだ。
ところが現在の衛星位置を掴んで進むGPSは正確に進路を指し 何処にでもゆく事が出来修正は全く要らない
その為に一度間違って情報を入力してしまった場合はなんの物標も無い大海原は ゆくとこまで行かないと間違いに気付かないそれは現代の科学で便利なった代わりに間違えに気付かずに ゆくとこまでゆく危険性を多くはらんでいる。
人間社会と言う大海原をゆく時にどこで自分の間違いに気付き修正を加えるか それは原理原則で生きる馬や鹿や自然に学ぶ前に やはり人間社会に学ぶべきで たえず修正を加えて行かなければない 多くの友人知人に学び失敗に学ぶ誰かと疎遠になる手痛い失敗をする、その原因は何だったのかそこに真剣に学ぶ 三日かも知れない三ヶ月かも知れない三年かも知れない その原因を外に求めた場合はほぼ修正は出来ずに また条件さえ揃えばまた同じ事が起きてゆく
原因は我にあると思った方が 我を変えさえすれば過ぎ去った時間は戻らんが これから先の人間社会のかなりの部分で我のゆく道が見えると思うのだが
失敗は銭を失うかも知れない、腕の一本くらい折るかもしれん多少痛い思いもするかも知れないが 失敗は天が神が呉れた暗示なのかも知れない
何がなんでも失敗を恐れずドンドン進めとは思っていない 我の失敗は気付かなくとも誰かに迷惑を掛けている事は間違いないのだ。
土曜日に青い車に乗って来た人に火加減を間違えてマズイラーメンを食わしてしまった。
失敗してしまったスマン
万が一再度逢う事があったならひと月分の無料ラーメン券を発行しようと思うのだがどこの誰だかわからん


最近この「 ゆ 」という字が大層気に入ってるのだ。
マヌケな俺をゆるしてくれ

砂川

あらためて衝撃を受けた。
なんであんな こ汚いオヤジに高学歴の者達が考えなくてもわかる犯罪を犯してそれも何度も繰り返すのか 
その構造仕組みは解明されたのか何省などと もっと研究すべきではなかったのか 
それでなければ浮かばれない人達が大勢いいると思うのだが
そう思ってみるとつい最近も高学歴の者達が普通に考えてもわかる忖度や検証の必要な文書改ざん廃棄をしてしまう。
その構造仕組みは 自分の何を担保に取られてしまったら加担してしまうのか 

砂川でラーメンを食ってみないで やれラーメンが固いとかやれコクがとか言ってると 
チコちゃんにぼーっと生きてんじゃねぞ と叱られそうなので
大雨で外仕事が出来ないと言い訳して濁流の石狩川を超えて泊で砂川でラーメンを食い続けた。
最初は軽い気持ちで行ったのだが 
滝川には頻繁にゆくのだがよく考えるとどこから滝川でどこから砂川なのかわからんほど近くさらに同じ石狩川の左岸にあるのだが 
北海道の大きな街は石狩川の左岸に集中し多くの町は川の字が付く
砂川は余程用事でもない限りは通り過ぎていた街なのだが まじまじと見るとこれほど滝川と砂川と似ても似つかない街は他にあるのだろうか思ってしまった。
数年前にラーメンを食った時に一杯450円はこの店だけなのだろうと軽く考えていたが
砂川は一杯450円や550円は当たり前だった事が今回わかったしさらに味も美味いのだ。
ラーメンに関してはアイツが大好きでも俺は大嫌いと意見が極端に分かれる珍しい食べ物なのだ。
それが滝川駅と砂川駅はおよそ5~6キロしか離れていないのに価格帯も味も全然違うのだ。
一体これはどう言うの事なのだと思い始めて注意深く見ると あちこちの建物はやたら大きくて屋上にヘリポートまである。
さらに菓子屋の多い事それも異常に多いのだ
さらに焼肉屋に飲食店も異常に多い事に気付いた。どこから境界なのかもわからん隣町滝川は寂れた感が満載だが
砂川は元気が一杯で不思議が一杯の街が砂川

砂川の今までのイメージでは野郎は財布にクサリを付けて腰から下げてオリャ~オリャ~とジャラジャラ言わせて歩き
お姉さまは朝からヒールの高いサンダルを履き古代エジプト人のクレオパトラ風の白系のサラサラったワンピースを着て歩くイメージがあったのだが
三日もいればなんだかわからんが元気で奥の深い街だと気付いた。
でもその差はなぜなのか不思議が一杯なのだ。続く

バカこけ

月曜日から降り続いた大雨で水槽の水取り入れ口が石や流木で夜中に流されて水槽の水が止まってしまって
気付いた時には一番大きいニジマスが一匹だけオッチンデしまった。
その後は水道の水を源泉掛け流し状態にしたが増毛の水道水はそのままでもなぜか渓流魚でも飼育出来るのだ。
いまやニジマスは川でも池でも何処にでも居てニジマスは持ち帰らないようにしてるのだが 小さい時には狙ってる魚と区別が付かないので三年で一センチほどのものがこんなに大きくなってしまう。
思うに一匹だけが大きくなると他のエサを横取りする為に異常に大きくなってゆき他は大きくは育たない
その為に大きい魚を別水槽にするのだが活動域が大きくなってさらにエサを食う さらに大きくなるの悪循環に落ちいる。
まるで今の社会や政治のようなのだ。

岩盤になってる崖の石が崩れて来て大きい物で直径20センチほどある石がベットと壁一枚隔てた川を転がって来る音が凄いので目が覚めてしまうのだが
慣れと言うのは怖いもので雨がチョット強く降ると毎度の事なので最近ではまたかと気にならない
これもまるで現在の政治の様なのだ。


昨年から軽自動車に替えたが 最近気になって仕方ない事があるのだ。
俺の車と大して変わらん車が白いナンバーなのだ。以前あった排気量ボアアップ版とも違うようだし
物売り商売でよく使うカラーバス効果なのか気になり始めたら次から次と来るのだが一体なんなのだ。
と聞くと寄付すると白ナンバー貰えるらしい~
そう思って見ると軽は一体いつの間に黄色ナンバーに変ったのだ さらに最高速度も60キロに上がってるぞ~
板厚など作りは高い割にケッチクサいが税金は安い車検は二年といい事づくめではないかと言う事と引き換えで黄色ナンバーなら甘んじて受けようではないかと思うのだが
黄色ナンバーに皆は劣等感があるのかここに来て白ナンバーがやたら出て来る構造が気に入らない
銭さえ出せば~中身は何にも変わらんが 銭さえ出せば~国民の劣等感を払しょくさせまっせ~と言う お上のその根性が気に入らないのだ。
借金一千兆円で金が無いならオリンピックはやるな
まるで三河の百姓の出の藤吉郎に官位を売り付けた公家や都会にある中身は板張りなのにレンガ模様の壁と同じではないか
切ったらチ~の出るような無垢材こそが真実の道に繋がるのだと
バカこけ~貧乏人で 軽しか買えない維持できない俺は意地でも黄色ナンバーでゆくのだ。
俺は高速は走らんが料金はナンバーの大きさと色で見分けてるのだ像~

内開き 外開き

以前にドアの開く方向を書いたが危ない業界は安全の為にはドアは外開きにすべきで内開きにすべきではないと

俺は性善説を信じてるが危ない現代に置いてはドアは内開き外開きには大きな違いがある。
北海道は風除室がないと朝に外に出れなくなるし体当たりでも押し入られる可能性が無い人達は過剰な防備の為に失うものも沢山ある。最たるものは疑心暗鬼に負ける事 今まで生きて来てコイツは本当に悪い奴と思った奴に逢った覚えがあまりないのだ。
どっちを選択するかは本人の自由と言う事で 

欧米は防犯上内開きが主流と言う CMにレスリング選手が出て来るナンチャラ言う有名防犯会社は欧米ボケ平和ボケで間違えてる。  
欧米の内開きはもっと違う理由があると思うのだが
船の扉は浸水と水圧で押される為に外開きになっている。こんどフエリーに乗ったら内側はどんな構造になってるかを見て欲しい
さらに安全を考える時はドアには取っ手やノブを付けるべきではなく鍵を回して鍵の頭を引いてドアを開くようにしなければない これは鍵を奪われない限りはドアを開ける事が出来ないし 
もし襲われた場合に中に子供などが居る場合は鍵を何処かに投げてしまえば取っ手の無いドアは中に侵入する事が出来なくなる。
内開きのドアだとガタイのいい奴なら思いっ切り体当たりでラッチは壊れて内側に簡単に開いてしまうのだ。
外開きは内側に船のように頑丈なドア止めが有れば簡単に開く事はない
安全の為にはドアは外開きでドアノブや取っ手は内側にだけで外側に有ってはいけない

その為に危ない業界のドアはドアノブも無く外開きになっているので 別に内開きにすると中の靴がズルズルと引っ掛かるから外開きになっているのではない


ゴリラ対ゴリラ ヤクザゴリラは開けれないと自信があるのか「 破ってみんかい~ 」と強調してる。
どっちもどっちなので判別付ける為に白いラインが入ってる方が警察 チェンソーなどは鉄製ドアにはハッタリだけだが まさかとは思うが使い方によっては エンジンカッターでラッチを切ってもドアノブが無ければ引っ張る事は少々難しし 外開きはカンヌキが別にあったら開かない 内開きはラッチを切ったら簡単に開いてしまうのだ。

恨みを買ってる者や危ない業界で生きようと思ったら裏口のドアにはドアノブは付けてはいけないし外開きにしなければ危ない
内側にサムターンを別に付けて相手を確認してからサムターンを開けなければならないのだが
身勝手で卑怯者の犯人が最初に侵入した交番の裏口のドアが内開き外開きどっちだったのか

御口直しに

うら~うら~とあっと言う間の人生だった。

ウチダ

なんか危ない時代になったと思う。
以前は危ない奴は外観である程度わかったしそう言う人達はそういう人達でつるんで近づかないば良かったが
いまは突然なんの因果も恨みもない者を襲う。
理由は沢山あるのだろうが身近な処から一つ一つ潰していく事が必要だと思うのだが
現実に出来ない事を出来ると錯覚してしまうゲームなども止めた方がいいとゲーム関係者は思って
自分の子供にはさせんと思うのだが
俺なんか相当ひねくれてるし結構短腹だし さらに最近は北海道の形をした傷が顔に残って見てくれも相当悪い 
一時は北海道の覇者になる為に生まれた証の傷かと思ったが全然違うらし~い ケンシロ~ウとか

レストランなど一生いかんでもいいし 観劇や芸術など一生見んでも構わない わかる人達だけで頷きあってればいいと思っている。
それより釘を口一杯に入れて口の中で釘を舌で頭を整列させて次々に打ちまくるニイチャンの口の中を見てみたいし
軍手の繊維クズは呑み込まないのかバイ菌に対する耐性はどうなってるのだ と不思議が一杯なのだ
その口に口髭など生えてる暁には口がもごもご動く姿を想像するともう寝れん~
留萌の作業服屋ワーク留萌にゆくとそんなニイチャンやアニ~やオヤジやおばさんが居るのだ。
機械打ちが普及したのでさすがに指に血豆を作ってる人はおらんくなったが 少し寂しいのだ。


恵岱別ダム湖から岳を見る。
山は残雪が少し残るくらいの時は登りやすく見ていても好きなのだ。何も仕事でもないのに厳しい冬山に登ろうとは思わんし
有名人が厳しい冬山に登ろのはなまった身体で挑戦はそれはそれで大変だろうがカメラマンは重たい機材を持って先に登ったり後を追い掛けたりと それ以上に大変な作業を人知れず行っている。
だいたいは地元の人達は山を神とあがめそう簡単に登ったりしないらしいではないか


お~お~ウチダザリガニが川エビをすくう要領でやるとウジャウジャいる間口30センチほどの網で一回に数匹入って来るが親は凄いスピードで動き一匹も獲れない
阿寒湖で食ったウチダザリガニが美味かったのでウチダザリガニで作ったレイクなんたら言う缶詰を一個400円で数個買ったが可愛いネェチャン達にやってしまい一個も食っていないので
親が沢山獲れたら食ってみようと思ったが一匹も獲れんで終わった。
ウチダザリガニは生きたまま移動飼育すると数百万の罰金もしくは懲役になるらしいので そんな銭も時間も勿体ないので可哀想だが戻れないだろう処に放置 場所はナイショ

しかし北海道大学の内田亨先生もウチダ~ウチダ~と外来ザリガニに名前を貸したばっかりにあちこちで名前を使われエライ迷惑な事で~


道道251号線をドンドンゆく

行かない方がいいと思うような 誰も来んようなナンチャラダム湖にナンチャラ衆議院先生のお名前がド~ント石碑に彫ってある。


ドンドンゆく ウチダザリガニが獲れなかったので今夜の食材を探しに羊の里に下りるが目当てのジンギスカンは店に無かった
なんでも地元の人でも中々買えないらしい 
羊の看板おろせ~と思ったが地元の西条デパートで輸入ジンギスカンを買って今夜の夕食に 
ジンギスカンは他の肉とは違い癖があり一旦食いたいと思うと止まらんのだ

留萌本線深川駅


秩父別

汽車旅はなんかいいなと思い どこが違うのかと思ったら見知らぬ同士対面で移動してる 対面で移動はあまりないかも知れん
留萌線も廃止が決定らしいが折角ある鉄道を残す ふるさと納税もあってもいいのではないかと思った。
返礼品は御当地発切符10枚 原価率はほぼ使われる事は無いのでタダ同然 ただしインクで印刷
力尽きて廃線になった暁には切符を抽選券にして線路のコマ切れやその他備品を抽選で分けるのはどうだ。
セコイか~
 

新幹線事件は同じ車両に役に立つ男は乗っていなかったのか 
以前にも事件が有ったのに目の前に刺されて倒れてる人が居るのに車掌が15分も説得に時間を掛けるなど信じられない
あれだけの人間を守るのに凶器持込を防ぐ事は出来ないと言うなら当然力で乗客を守る方法はあるはずで
車掌はよく頑張ったと言うJRは甘い
何らかの格闘技や捕捉術は訓練してなかったのかJRも儲ける事ばかり考えてるからなのか
車掌室には刺又を常備するか各入口に常備するのはどう 一本だけだと取られると危ないので各車両二本必要になる。
二度の犠牲者はこのままでは浮かばれん

野郎も生まれてこのかた一度も殴り合いの喧嘩をした事が無いと言う人が多いので乗っていても逃げるだけになってしまうのか
逃げるのも身を守る立派な手段ではあるが それにしても全員が逃げんでもいいべと思うのだが
ガキの頃の小競合いも素手で喧嘩をするうちは首でも〆ん限りは他って置くのがいいと思うのだが
それくらい経験してないと只々逃げるだけの男になってゆく

男と女が喧嘩になると男は女には勝てん 
それは男は身体張ったり銭を損した経験で手加減を知ってるからで狂気が凶器を持った場合は勝つ事は難しい 
そんな場合はショルダーバックや上着も有効な武器になってズボンのベルトなどは一撃で〆る事が出来る。
一度は家庭内でも訓練をしておくべきと思うのだが
本気でやっちゃダメょ~

どうしても大勢の中に入るとデンジャラス~な事を考えてしまうのだ。イカン~

懐かしい深川駅 
横にあった食堂で姉とチョット豪華メシ食った。
すべてのものは因果で繋がってると信じてる俺には現在の枝葉だけを考えるセコサには付いていけんし
町もJRも一緒に協力して形を作り折角ある建物や施設を有効利用し維持してゆこうと考えないのも信じられないのだ。
いまどき鉄道も街中にある時計や花壇と同じで 今どき誰も見ん食えもせん花でも時計でも時を刻んでいるではないか
利益優先第一なのが諸問題の壁になってゆくような気がするのだ
児童虐待でももっと隣近所の付合いがあったならと思うし 
かなりの問題はその人の人格を認めてやらない事から
起きてるのではないかと思ってるので早くに手を打つべきで
その最小単位は向こう三軒両隣になって次は町内会になってゆくと思うのだが
盆踊りでも宝引きでも出来る事は銭が掛かってもやってゆく
その中でも世直しを出来るのはやはりJRも含めて時間に自由度がある商売人ではないかと思うのだが
街の構成も職域で作られた街をもう一度見直し研究する事も必要と思うのだが

ひろゆきは今まで一所懸命頑張って来たのだ
「 辛抱という棒を立てろ 」と言うではないか~

留萌本線留萌発

月曜日は昼12時18分留萌発 深川行の汽車に小学校もろくにゆかずに母親と一緒にカツギ屋をやって魚を売って歩き家族を育ててくれた 歳の離れた姉を誘って留萌深川間を往復して来た。

姉とは小さいが初めて旅で意外な話を初めて聞く事があり もっと早く一緒に乗るべきだったと思った。
魚をガンガンに入れて運ぶカツギ屋は昭和30年前後に冬の間にやったそうだ。
ガンガンに干し魚を入れて担いで 
ホッケの開き大3枚で米一升と交換が当時のレートだったらしい 当時はコメの価格は今より良かったと思うが今のレートでは開きホッケ一枚 150円程度になる2倍としても一枚300円 留萌の南岸にゆくとホッケやサメやカレイ、タラなどは野積みであったので安かったとは思うが干して運んでと大変な苦労があっただろう事はわかる。
ガンガン売りも条件のいい地域や時期はすでに縄張りが決まっていて そこに踏み込むと怒鳴られたり脅されたりと酷い目にあったらしい
農家回りのカツギ屋は行も帰りも荷は軽くなる事はなかった。 

昭和30年頃に商売が没落した当家の主はプチ失踪し残った母親は後発組で農村地帯でも条件の悪い所と悪い時期しかゆく事は出来なかったそうだ。
姉は小学校5年生頃から始めたが深川から妹背牛に向かって農家を一軒づつ回って歩き
妹背牛周辺がシノギの場だったらしい
当時の深川駅周辺は大変な賑わいで冬道を少しでも荷を軽くしたい姉達は深川駅を降りた右側に子熊を飼っていた店があったそうだ
その店の側でこっそりガンガンの蓋をあけて置き
それを見た駅の乗降客が姉さん幾らと買って呉れる事があったそうだが
そこで商売をしてる事が地回りにバレたら酷い怒られたそうだ。
小さな子がいるとよく売れるらしく小さな子を連れて歩く物売りや棒手振りは何人か居たらしい 
戦後10年前後の大変な時代だったろうが人情、情というものが残っていたのだろう。

姉は字もロクに書けん勉強大嫌いな俺とは違い頭も良く字も綺麗で学校こそ行かなかったが何時も勉強していた。
その姉は今でもどこかに劣等感を持っている。
それも男のくせにプチ失踪を繰り返す良い処の出と称する辛抱我慢の足りないオヤジのせいなのだ。
 
その姉が留萌駅で列車から御用カゴをガタイのいい男に何かを言われてホームに降ろされた事があったらしい 
それは60年たった今でも恨んで覚えていたのだろう。
だが
その男はきっと戦争で辛い事を一杯経験しただろうし息子か娘を失っているかもしれん
カツギ屋をやってるくらいだからいい暮らしをしてるとは思えん
その時に年端もいかん息子娘に近い子供が真冬の原野に向かうとしてたなら
真冬の原野には行くなと御用カゴを降ろしたかもしれん
当時の汽車は雪でよく止まったのは峠下の急な坂道に二か所あるトンネル付近ではなく碧水や北秩父別付近の吹さらしの平原が多かったそうだ。
その男は真冬の平地平原の恐さを知っていたのだろう。

苦労の連続だった姉に今の俺がもしその列車に乗っていたとしたなら俺も行くなと言ったかも知れん
と言ってみた。