恩義

今の世の中は便利過ぎて物凄くつまらない世の中なのだと思う。
自分の手で何かを一から掛かり完結させる事はほとんど出来ない世の中になった。
せいぜい出来る事は日干し煉瓦を作るくらいのもので 後は逢った事も無い見知らぬ人達が作った電気や工具が必要になり その人達の苦労の上に現代が成り立っている。
見知らぬ貴方は誰であろうが必要な人なのだ。
その目に見えないモノや人の繋がりで微妙なバランスを取りながら生きてる。
それを忘れた一面しか見れない高慢な人達が現在の混乱を作りだし行き付く先は弱い者から順に犠牲になる。

広島平和記念館

とことん腹を空かすと物の有難味が分かり人の有難味もわかる。
腹をすかした家族の為に尾白利加字国領から竜西に出て仁奈良山道を通り増毛御料を通り舎熊浜に出てニシンと交換したらしい
何を背負って来たかは箕に掛けた状態の脱穀前のソバではないかと言う説がある。
羆の巣の竜西までの急な薮道を背負える範囲のソバもせいぜい脱穀前の20キロ程度が限度だと思うが
20キロプラス3日分の労力との交換は等価交換にはならなかっただろうと思う。
もし満足のいく交換になったとしたらそれは情(じょう)と言う荷物が有ったのだろうと思う。
(なさけは掛けるもの じょうは湧き出るもの)

それは富める者の行ないで兄と言われる者の行ないなのだ。
困った奴がいたら手を差し出してやれ それは己の器を作ってゆく
恩は返すもので義理は果たすもの
恩義を忘れたらただの犬畜生になってしまう。


修正 修理沢 長右衛門開拓記念の松 左手が尾白利加字国領 右にゆくと竜西 

政治家は苦労がたらんな~

回りが真っ暗な夜道を走っていて正面からハイビームの車が走って来る。
相手がロービームにしないから
相手がせんうちには絶対に自分はロービームにはせんと
そうして両者は正面衝突ジエンドに

近所にも知合いにも顔突き合わせると喧嘩する連中はいる。
回りから見ると両者バカ 巻込まれたらバカ臭い他っておけとなる。 
そんな親を持った子供は可哀想そうと回りの国は呆れて見てると思うが
選挙で選び作ったのは国民
現在の日韓関係を言うならこんな感じかな!

プライドなど全く無いので俺ならテレビ映りのいい様に全身韓国製品で極めて会談にゆくがな~と思った。
パンツだけは日本製のフンドシで

ただ少し怖いなと思うと言うか おかしいと思うのは
どうも政府がネットを介し政権の為に愚衆を作ってるのではないかと思われるフシが・・・・・
もっと自分の眼と耳と足を活用せんと自分の人生が勿体ない


全休だ~ヤッホ~ホ~

D級地帯の舞台になった場所にある 喜楽橋と御料小学校跡地に立つ電波塔
行ける者しか学校に行けなかった環境で決して喜楽では無かったはずだが誰が付けたか喜楽橋
もし開拓農民が付けたとしたら少し嬉しい

信砂御料北側に立つ仁奈良山道駅逓の目印


雨竜図書館にあった仁奈良山道の本をめっけ~ 
雨竜町の人が暑寒岳周辺の道を詳しく調べて本にした 貸出禁止本


雨竜図書館前の食堂でソバ食った。

D級地帯は増毛図書館に返さないとないので読後感想文と一緒にコッソリ本代二冊分を入れて著者に送ったら著者から直接電話を頂いた。
こちらが携帯なので電話代が心配になるほど
本に出てきた人達のその後や色々教えて貰った。

「 話せて良かった十歳若返りました 」と

D級地帯を読んで

以前からの知合いの滝川の床屋さんが偶然北竜の出身だと知った。
お兄さんが今も健在で兄弟で遊びに来て呉れ段々尾白利加字国領から増毛のコースが分かり始めた 背負った荷が何だったかもうっすらと分かり始めた。


内容と作者の年齢から相当古い本と思ったが平成27年だった、作者の気力にビックリ脱帽
通常なら上下二巻に分かれる内容だが一冊で2500円 と気のせいか採算を無視したかの様な銭の掛かった本の作り 作者に聞いてみたいと思った。「 D級地帯 」をやっと読み切った。 
あまりにも身近過ぎて苦しかったが最後の数ページは開拓農家が国から見放された様に
飼馬の五月号は徳森家族から見放されてゆく
自分達にされた事を五月号にしなければない 
手綱を引き恵岱別山越えをした帰りの祐三の心境を思う時に居た堪れないものがあった。

以前から不思議だった内地はとんでもない僻地でも人が住んでいるのに北海道の僻地にはなぜ人が住んでいないかが少しわかった。
それは北海道開拓政策がありとんでもない奥地に公庫融資や開拓した土地は自分の物になると入植させて開拓は無理とわかった時点で援助を打ち切り融資は返済を迫る。 
今までの融資は返せとなった事で現金収入の見込みの無い奥地は見切って離農し土地も手放さなければ無くなった事が大きな理由だったのだ。
開拓入植地は後から入植するほど条件は悪くなるが強制ではないとは言え
農家経験の無い入植者は山の条件を見る事は出来なかったのだろう。
経験のある者は入植を最初から辞めて他の土地にゆき勤め人になるなど経験の無い者達が根性で行けると判断して入植した結果が梯子を外されてしまった。
それも順調に行ってる農家も地域丸ごと離農させられてしまう。
結果は沢一つ丸ごと無人の地域が出来てしまったのだ。
諦めない事も大事だが諦める事も大事な事なのだ その見極めを付ける事はやはり自分自身の経験と家族や回りの忠告を聞く耳と人間関係が大きいいのかも
この一冊は北海道民ならぜひ読んで貰いたいと思う。

祐三の兄 小学校も行っていない威男がオヤジ、生年月日って何ょと聞く


真田本城

内地は真田村のようにすべて自力で農繁期は農業をやり農閑期は隣村を襲いに戦をしにゆく
狭い村でも適当に次男坊や三男坊の間引きが行われ来た結果 本家筋が残って
長い年月を掛けて半農半漁やサムライ兼業農家が出来て来た結果 とんでもない奥地でも人が住む術を掴む事が出来たのだろうと思う。

信州幸法(さいほう)のオッコラショから

月夜野町のヨィヤショまで

あらためて内地と北海道は歴史は全然違い内地は民衆が長い時を重ねてアッチを削りコッチを足してと来た事がわかり
北海道は近代に国の政策で作られた土地なのだと言う事がよくわかる。
それに乗れた人と乗れなかった人の差は激しく その差は開拓地の地力を見る目に掛かっていたのかも知れないが
この増毛信砂御料開拓地の「 D級地帯 」や尾白利加字国領は資本主義とは商いとはと本当に考えさせられた。


遠くから自筆のお手紙と御菓子まで頂き有難うございます。
此方から連絡する技術がないのでここでお礼申し上げます。
色々教えて欲しい事が沢山ありましたが
またいつか、、、、、、

続等価交換

お盆は様々な事が一気に押し寄せる。

ある人から現金書留が送られて来た。
通常は中に幾ら入れたか確認のしようが無いので現金書留は危ないしトラブルの元にもなる。
その相手を信頼するにはたった一つの所作に掛けるしかない事も沢山あるし信じる事で相手も信じてくれる。
俺はお前を信じていないが お前は俺を信じろは無いのだ。

対等な五分の兄弟分と言ってもどちらかが五厘下がりにならなければいつまでたっても揉め事は収まらん
どっちが兄になりどっちが弟になるかは通常は兄は金を使い弟は気を使う。
日本と韓国の政治家もそれに提灯を付ける連中も腹をすかした事が無いのだと思う。


尾白利加字国領をもっと知りたいと思い始めてから実に様々人から色々な事を教えて貰った。
先週水曜日は雨竜の道の駅に車を停め歩いて雨竜市街地までゆきスナックテファニーで尾白利加字国領の話を聴きながら呑んで帰りはタクシーで道の駅に戻った 金額は840円でスーパーキャリーで朝まで爆睡


増毛の図書館に行って恵岱別で開拓農家をしたと言う 丸山靖生のD級地帯を借りて来たが三分の一ほど読んであまりにも身近過ぎて読むのが苦しくなった。
それでも四分の三ほど読んだが全部読んでからブログを書こうと思ったが
今日17歳から冬山造材の出稼ぎに出たと言う我路の春さんと開拓農家の話になった。
冬山造材は賃金は一日千円だったそうで そこから飯場代や諸々が引かれる
自分の賃金は稼いだ以下でも駄目だそうだが それ以上も要らないと言う。
等価交換の見本のような春さんは昭和40年頃まで出来た作物と品物を物物交換をしたそうで
丸山靖生さんが同じ信砂御料国境に居た事は知っていたそうだ。

人類は一体いつから昼メシ一食に1人250万も掛けて食うなどそんな事が平気で出来るようになったのだ。
メシにそんな事しか思いつかない テレビの話題にするなど哀れとしか言いようがない。

新説 尾白利加字国領

色々な事がうっすらと記憶にあるからなのかも知れないがなぜこんなに国領に引かれるのかと思う。

信砂我路は我路橋をお上が付けて呉れるまで周辺の家々など何処にゆくにも川に降りて川に入り渡りゆく為に自然と出来た道があり
それを我が路と呼んで我路となったそうだ。
我路で生まれた俺よりは遥かに山に詳しい春さんと国領から増毛山越えコースを検討したが春さんが言うには国領から恵岱別ではなく竜西に流れる小さな川沿いを下り竜西小学校があった場所に出て そこから留萌市幌糠側に向かいすぐ左に曲がり山越えをすると御料小学校あった処、今の携帯電話電波塔の付近に出るのが一番可能性があるのではないかと言う。
そうなると恵岱別周辺に7戸から9戸居たと言う人達との交流は無かったのかも知れない
それか恵岱別周辺の人達は増毛に来るより竜西が近かったので竜西で交流が有ったのかも知れない

竜西小中学校跡

増毛町は明治10年9月6日に黒田清隆によって天塩国増毛郡に弁天町や野塚町など七町が町名を許可をされている。現在は増毛郡増毛町野塚町何丁目と町が二つ重なる。
それは昭和36年に町制になった雨竜町よりは大正10年から昭和初期頃は増毛は遥かに栄えていたいう事なのだと思う。
戸の代わりにムシロを下げた住いなど困窮した国領の民はただ単に距離や山越えの困難さより商いのより可能性のある方向へ向かって来たのだろうと思う。
およそ3日行程の増毛山越えは背に何を背負って来たのか 帰り荷は満足のゆく商いだったのか帰りは生きて帰ったのか その姿はアイスマンに重なる。

北竜橋には忘れられない特別な思いがあるが橋梁の上にハエが一匹止まっても何も起こらないだろう。
では1000匹なら500000匹ならハエの糞でそこから錆びたりと何かが起きて影響があると思う。
北海道開拓はハエの一匹程度の足跡から始まってるのか知れんが
そう思う時にこの北海道は先人達の途轍もない苦労をした上に現在があるのだとしみじみ思うのだ。

修正温故知新

尾白利加から出てある町に移住した人に金曜日に逢いに行った。
お父さんに大層世話になったが息子さんが丁度暇そうにして雑誌を読んでいたので
以前息子さんから聞いた 本籍はお父さんが亡くなるまで尾白利加だったそうだ。
息子さんは一度も家があった現地は見た事が無 いと言う。
下の名は代々ちょっと変わった名前で
尾白利加出身者らしい名前なので聞けば知ってる人は多い。

修正 明治43年8月の関東地方の大洪水で移転を余儀なくされた人達が明治政府の北海道移住政策を受けて群馬県佐波郡豊受村国領から明治44年4月以降に尾白利加に入植しているが
関東地方の人達が大勢当時の北見村などにも入植している。
何か永い事不思議だった点の謎が解けるような気がしているがまだまだ分からない

一つは北海道を東と西に分けると西海岸側で主だった町は函館から小樽、石狩、留萌、羽幌。稚内しかないが
東海岸側は八雲、室蘭、苫小牧、釧路、根室、標津、斜里、網走、紋別、枝幸、稚内とある
石狩や留萌程度の資金力の町は東側にもっとあるなぜ東側にばかり偏るのか 火山でも東側に集中してると言う事は火山灰土だし東側は凍結深度は深く農業にも決して条件はいいわけではない
西側は大陸とも近く交易にも適しているのになのだ。
尾白利加字国領の歴史から見える明治政府の北海道政策と何かしらの関連があるのではないかと思い始めているが
日本を世界規模で見た場合は日本の日本海側の対岸交易は自国の安定には繋がならいと思ってる国はあるだろう。
現在の韓国との混乱状態はそう思ってる人達に日本人も韓国人もまんまと乗せられているだけなのかも知れない

275号線は札幌苗穂の屋根にライオンが乗っかってるパチンコ屋の傍を起点に浜頓別役場前を終点にするが北海道を結構走った俺は北海道でもとても面白いコースと思って275に引き寄せられる様に始発から終点までバイクと車で3年ほど掛けて隅々まで見て歩いた。
275は歩けば歩くほど面白いコースなのだがそれは月形役場の誰かわからんが
その人のたった一言から始まった。 

月形集冶監を斜に見る。

北海道は縄文文化に似たアイヌ文化と弥生文化がつい最近までブツかった場所でもあり
500年前に突如として消え去ったオホーツク人文化などもある。
新しい文化と古い文化を今でも生きた状態で見る事が出来るとても面白い場所でもあるのだが
点と点を結び探す旅に出るにも残念な事に車を乗っていい時まで時間が無いのだ。

等価交換

早めの盆休み2日間が終わった。
お盆中は部品は入って来ないので故障してもどうしょうもないので気楽に過ごす
その間は懐かしい人達が来て只々気楽にクッチャベッテ過ごすのだがこれも商いのうちなのだ。

春に暑寒岳を元箸別パイロット牧場側から見るこの裏側が尾白利加字国領

何かしらの銭を稼ぐ人は勤め人も含めてほとんどが商売人(あきんど)と思って間違えない
商いは多少の大小はあっても等価交換が原則で
給料は自分の時間か技術を売る事によって貰えるが
器用な人は不器用な人より給料はよく 力持ちは力の無い人よりは給料は沢山貰う
その為に普段から勉強をしメシを沢山食って身体も頭も鍛えるそれは自分えの投資になる。
投資してやった仕事に見合った銭を等価交換で貰う事は商いと同じ事になる。
もし同じ仕事をしてそれに見合った銭が貰えないと言う事であればそれはもう商売人ではない
その会社は人を家畜犬畜生並み扱いの会社と言う事になる。

そこから自分の売った時間と野菜や魚と交換する。
その時に交換した物が自分の時間を売った価値と見合ってるかどうかが重要でこれが等価交換になっていない場合はボッタクリであり詐欺である。
1代目や2代目は凌いでも3代目でアウトになるのは世の常だが
自分になんの投資もせずにボロ儲けをした場合は早晩にブッ潰れるのが商人の道なのだ。
現在においては等価交換が大きく崩れて資本主義の限界を迎えつつある。

内地の奥地も結構見て来た気はするのだが国領に行ってその厳しさを見てから2日間の休みは北竜や雨竜界隈を徘徊していたが 
点と線がくっついたり離れたりとすっかり頭の中が混乱している。

1点は野菜も果物も豊富な増毛に魚と交換にわざわざ熊も出る 道も獣道しかなかった様な山越えをして増毛に出て来る事
実際に登った経験や航空写真から判断するにはどう考えても昭和初期にもっとも可能性のあったコースは国領から北に小さな川が航空写真で見える それを遡り6キロほどゆくと恵岱別川に取り付く事が出来るが地層からして200パーセント勾配に近い崖だと思われる。
崖の部分を抜いて薮道は時速2キロとしておよそ3時間は掛かるそこから恵岱別から道があった御料を下り舎熊浜まで18キロ早歩き時速6キロで3時間 休憩を挟んだら国領から片道1日は掛かる。
作物の豊富な増毛に空の狭い国領の作物と労力も含めた何を持って来たら
魚か米か知らんが等価交換が出来たのか
米ならば雨竜に下るのが早いと思うのだが当時の尾白利加川は夏場は人を寄せ付けなかったと言うが
不思議で仕方ないのである。

当時は尾白利加字国領と言うのが一般的な地名だった冬期間は熊猟や出稼ぎで凌いだらしいが
熊などは増毛にも沢山いて熊の胃や毛皮で満足のいく量の魚と交換が出来たのか疑問なのだ。
魚は当然持ち帰る重量からして干し魚と思われるが それとも米だったのだろうか
どちらにせ往復2日間掛かったと思われる労力プラス品物と米か魚わからんが等価交換が出来たとは思えないのだ。
わずか数十年前の事だが何か大切な現代人の忘れてしまった何かがなければ商いは成立しないと思うのだ。

お盆が終わったら常を超えた50分も掛からん雨竜の町に商いの原点を探しに行ってみようと思う。

字国領


複動シリンダーの場合は押し出すと共に反対側はオイルを吸い取るのでシャフトを折るなどと言う事以外は突然大変な事になる事はあまりなくそんなに大騒ぎをする事でもない
ただ海の場合は電食の問題が起きるのでシールホルダーを分解して確認する。部品を午前中に発注してほぼ作業は峠を越えた。

俺は一度だけNHKニュースの元になった事がある。
その時にキャスターと言う人達はなんと浅墓な知識と見識でモノをしゃっべてるのかと思った。
当然抗議はしたがまったく無視、カエルの面にションベンだった。
結果はひと月後に俺が言った事が正しかった事が証明されたがスミマセンもなければドウ~モも無い 証明されなければ刑法犯になる寸前だったのに もっと悪いのは画面で訂正も無い
それでもNHKを毎度見てるので別にNHKをブツ壊そうとは思わん
日曜朝は必ず、さわやか日本ナンチャラを見て川や湖が出ると見るが鳥などはまったく興味が無いので見ないテレビを切ってややたって再度見ると
テレビから国領から増毛に野菜と魚を交換しに来たと声が聞えた。
え~え~小学6年で暑寒岳頂上を一升瓶に水を入れて浜田潔と登った俺は一体どうやって国領から山越えして来たのかと思った。
仕事が月曜日午前中で目鼻が付いた俺はもういてもたっても居られない車に水を積んで行ける処まで行ってみる事にした。
多分このコースではないかと稲田線をゆく

このカーブの途中に

南に曲がる道がある途中でゲートがありそこから先には車ではゆけないが三段の滝がある。
ここもかなり険しい道だがもっとも可能性のある道なのだが、、、、、 それも今の話

竜西から見るこの山々の向こうが国領


逆を見る 今は工事を中途半端にして放置された立派な道路が留萌側にある。途中に100メーターほどの崖を歩いて降り3キロほど歩くと立派な道路に出て幌糠経由で留萌にゆく事が出来る。

次にもっとも国領に近いコースは桂橋を渡るコース 別のコースもあるがそこはかなり危険

およそ6キロの山越えして元川上小中学校に出る。

尾白利加ダム湖 ここでふっと気付く尾白利加から離農して今は他の町に住んでいる人を知ってるがここからもっと先は上尾白利加と呼ぶ重大な事に気付いた。
ここから先は以前は通行止めで行けなかったが今日は通れるので初めてドンドンゆく
ここから国領までおよそ12キロある。

この地層は反対側の稲田線にも似た地層を見る事が出来るので一つの山だと勝手に思う。
見るからに魚はいない川


国領小中学校跡 道は処どころ舗装になって立派だが
ここまで来るには砂利道で車は一台しか通れないので対向車に注意が必要
それがまった車が沢山来るのだ。

対向車の原因 オットコドッコイと言う施設が表れ初めて見る 山小屋の南暑寒荘 増毛からここまでカーナビでは一時間で着くと出たが64キロ2時間半掛かった。

南暑寒荘から増毛側を見る。

ここから野菜か何かを背負って暑寒頂上経由で山越えしたとは考えられない
やはり国領から北に三段の滝を経由して昭和初期には住民が居たと言う恵岱別に出たと思う。それでも山越えがどれほど危険な事かは何度か登った俺にはわかる。


字国領のクルミ

増毛は気候も温暖で野菜も果物も豊富に取れる その増毛に野菜か何かを背負って魚と交換に来る。
その一点を思うだけで、、、、、、
どう考えても夏は道は無かったと思う 山越えの時期は雪が固まる4月から5月頃だと思うがロクな防寒着も無い昔に一体何が危険な山越えをさせたのか 
子供にカルシウムを食わせたかったのか
すがる国領の民を迎えた増毛の民はどんな出迎えをしてどうして送ったのか
父ちゃんはあの常を超えたろうか いつ帰って来るのかと待つ家族がこの国領に居たのだ。
昭和47年頃まで集落はあったらしい 完 

鬼瓦三蔵恨

今週は三日休みを取ろうと思ったが 
昨日日曜日夕方 鬼瓦三蔵みたいな顔したオヤジからラーメン営業中に電話が入った。
ただ事でない怒りよう なのだが。
船は帰港して地に足が付いてるのでラーメン店が閉まってから行こうかと思ったが
かなり怒ってるのですぐに行った。
油圧ラットからオイルが漏れていて鬼瓦三蔵はかなり怒っている。
高圧の掛かる油圧シリンダーからオイルが漏っているが機械はやがて壊れる物なのだ。
怒り声は聞こえない振りをしながら
お~お~エライコッチャ~とシリンダーを見つめるが部品がなければどうしょうもね~べ~と
怒鳴りまくろうが全然ヘッチャラなのだ。
休み予定は吹っ飛んだ。

鬼瓦三蔵とは崖下村に来る前からの付合いで 
出は聞くだけで怖ろしい遠賀川の川筋を遡りやがて山を二山三山ほど越えた所の出で
稼業はバリバリの土建屋で流れ流れて北海道の旧産炭地に定住した。
一旦怒ると手が付けられない結構な御歳のプッツンオヤジなのでいまは一緒に船に乗る人もあまりにも怒るので一人去り二人去りとしていってる。
だが鬼瓦三蔵とはそこそこの永い付合いで楽しい思い出が沢山ある。

以前の鬼瓦三蔵には冬期間に全国の飯場生活を一緒に渡り歩く心許せる友人達が一個分隊ほど居た。
ドイツもこいつも一癖も二癖もあり個性的な人達で楽しい酒飲み連中だった。
が残念な事に皆早くにクタバッテ鬼瓦三蔵一人残されてしまったのだ。
今の鬼瓦三蔵が夕日を背負って帰港する時にその目に胸に去来するものを思う時
過ぎ去った時間を知るのだ。

出稼ぎ先から無事戻った挨拶にと一個分隊がクラウンのトランク一杯に詰まった京丹後篠山の竹の子を全部降ろせ お土産だと言う。
またある時はハネのメロンだと言ってトランク一杯に積んで来る。
素直に喜びを表現出来ない照れを乱暴な言動で誤魔化そうとする根は本当は優しい人達だったのだ。

鬼瓦三蔵を思う時に恨を思う
相手をすべて自分の尺度で見る事しか出来ない事は自分の器量のなさなのだと

最近は一人の人と話をせんでもじっくりと酒を呑んでみたいと思うようになった。

お手紙頂戴しました。

今日からまたラーメンの仕込みに入る。
今年はすべてと言っていいほど自分で仕込みをやっている 
ラーメン作りは修理と違い部品がきっかりハマると言う事は無く八万ロックに近い組み合わせがありそれがまた面白いのだ。

田村亮は自分一人で老人施設を訪ねて振込詐欺防止を訴えた芸をやりたいと言ったらしい
この子は静かに見守っておいたら大きく育ってゆくだろうと思った。
反社会で稼いだ銭を受取ったとか嘘付いたとかと叩かれているが叩く方もそんなに言えるのかと思う。

反社会と言ってもヤクザなどは足を洗っても その後5年間はアパートも借りられない、
貯金口座も作る事は出来ない、子供の給食費も自動引き落しが出来ない、ゴルフも出来ない、風呂にも入れない、麻雀などもっともダメ 
唯一出来るのは釣りくらい 
それでは足を洗っても生きては行けない結果は闇に潜らせる事になってゆく
正業に就いてもたった数千円を受け取っただけ詐欺罪で逮捕されたのはつい最近の話なのだ。
ほんとうに生きる権利さえ奪うそんな条例をいつまでも放置していていいのか
立法府の丸山穂高は田村亮の何十倍もの税金をこれかも受取り続けるし国民を危険な道に引き摺り込む恐れは充分あるのだ。
頭のいい人達の集まる官僚の氷山の一角でない事を願うしかないのか


メール全盛のいま結構なお話を封書で頂いたが相手は文章を書くのがお仕事なので手間はたいして掛からんと思うが俺は兎にも角にも字が下手で字を書く事が出来ない
さらに何度も書き直すので一旦ワードで書いてから自筆に直すと言う大変な時間を掛かる事をするので返信は数か月後などはざらにある。
そんな訳で自筆のお返事は少々後になります。

切手もレターパックもここに来る配達員から沢山買っているが 以前から末端の郵便配達員もノルマはきついと言うのは知っていた。
数キロ先まで家も無い場所でも82円で配達する事は国営でなければ出来ない仕事なのだ。
その仕事に世間の見回りや保険や年寄の安否確認などと付加価値を付けてそこそこに稼げばいいやと言う事が出来なかった。
そのありとあらゆる無駄は排除すると言う根性が線路の廃止に繋がり
寛容の気持ちも失っていったのだ
自然界では一見無駄と思えるモノの中にも実はそうではなかったと言うモノは沢山あるのだ。

戦国時代の郵便配達員は相手先の武将に届けると同時に口封じにブチコロされてしまう事もあったのだ。
ま~それを考えるとまだマシかと思って今日も頑張ろう~