味より愛嬌かな

日曜日は9時4分に電波圏外から着信があった
アンテナから12~15海里離れると電波圏外になるが通話は出来なくても着信表示はある。
途切れ途切れの通話では異音がするとの事だったが
アウトボード艇はエンジンストップだけで済むがインボード艇はドライブシャフトの破損があった場合は浸水する事もある。
木は木自体に浮力がある為に木造船は沈まない FRP船も中に浮力体を入れる為に浸水しても滅多に海底には着底はしない様になっている。
その為に20トン以下の小型船の事故は大概はひっくり返り船底を見せて漂流し発見される事が多い

カリブ海や地中海で木造船が沈んで発見されるのは木と船の浮力以上に欲張って財宝を積んだ結果沈んで着底してしまったのだ。
佐渡から金塊を運んだ船は沈む事を想定して金塊だけは回収出来る様にロープを引きながら出雲崎に向かったそうだ。


出雲崎はやたら獄門跡がある 金を運んだ船なぞ沈めて船頭がのこのこ帰った節にはスミマセンでは済まずに獄門に!

船は常にこの浮力にたいしてこの構造と決まって作られるので海底に着底と言うのは珍しい分類にはいる。
少ない経験ではあるが実際に浸水し着底と言うのは見た経験がない
今年知床沖で着底した船は浮力以上に金儲けと言う欲を積んだと言っていい

まったくもう土曜日は店の前の歩道で蛇を見たのになんてコッタと電波圏内に入るまで戻る様に言って出港準備をして救助待機に入り電波が繋がるのを待った。
その後自力で戻るとの事で二時間後に一旦解散し
俺はラーメン屋に戻ったが山でも海でも要救助者は一人でもその数倍、数十倍のスタッフが待機に入るのだ。
今まで二桁の曳航を経験したが一旦動き始めると銭金ではない、もうそれは誰の為でもない自分に対する意地と一点あがりのゲーム感覚なのだ、
だから助けてやったと言うのは全然違い 誰かに手を差し出すのは自分の為で美味い酒を呑む為なのだ。


忠犬 今年行った南木曽 時間が立つのが早すぎてもう随分前に感じる。

すっかりラーメン屋の手順は狂いに狂いナンノコッチャと言う状態だったが
ラーメン屋はホタテラーメンが完売してシマッタ
ラーメンで生計を立ててる人には本当に申し訳ないが
店が忙しくなる事は望んでいない 安定した美味いラーメンが作れればそれで満足で目的も達成なのだが
最近のラーメンはどうしても納得がいかないのだ今月に入り札幌や旭川とそこらじゅうのラーメンを食い歩いてるが
人の作ったラーメンは旨いなと食うが有名店は土台が違うので参考になるものはさほど無かった。
そんな中でも地元に常に並ぶラーメン屋があるのだが、それはそれと思っていたが
先週地元のお姉様達が麵屋田中商店行け行けと言うので初めて食いに行ったが中に入ってびっくり
え~え~この田舎でこの設備と初めに驚く その後も参考になり今週から麵屋田中商店のやり方をパクッて自分の店のオペレーションを変えたが朝に出鼻を挫き売上はあったが結果は散々で
折角来て頂いた方に申し訳ないのである。
来週こそ美味いラーメンをと思うのだが

昔工具を持って現場を歩いていた時に栗東の山奥や三重の山奥で袋麺をゆでてネギを添えて普通に出す店があったが
それはその店の方針で別に何の異論もない
もうこうなりゃ~味より愛嬌かなと思ったり~

ニギリメシ

ワクチンを撃って副作用に苦しんだのは今回はほぼ36時間程度で終わり前回より短い
ファザーを3回撃ち4回目はモデルナで注射接種時間も短かったが
一番の原因は前回は食う物が無かったが今回は食う物があった事だと思う。


二日にまたがり苦しんで寝てる処に朝こっ早くから様々な人が来て早朝から起こされた。

土曜日早朝は常にブチ切れてる土方のプッツンオヤジに起こされ、これを飲めば治ると置いて行ってくれたが・・・・
コーラーや炭酸はゲップが出る度に喉と顎が痛く一本呑んで終了
九州筑豊から北海道旧産炭地に来たプッツンオヤジとは縁あって付合いは30年以上と永いが俺に対しては切れられた事はないが何度か仲裁には入った事はある。
プッツンオヤジの土方グループは出逢った時は5~6人程のグループだったが一人減り二人減りと亡くなって
やがてプッツンオヤジ一人になってしまって、何んでよ、何んでよ、と肩を落とすオヤジを何度も見て来た。
そのプッツンオヤジは切れたら自分でもマズイと思いホローする為か車には冷えた飲料水が沢山入っている。

本当は優しいオヤジで身体が弱ったヨレヨレった仲間を海を見たら元気が出ると山を越えて毎回乗せて来るのだった。
九州筑豊にもスルメがあるかどうかわからんが人の付合いは噛んで噛んで味が出るスルメの様だと思うのだ。
ただしスルメと付き合うには丈夫なアゴと歯が必要なのである。

今回はカップ麵を大量に用意して籠城作戦を準備したが苦しんでいる時はカップ麵は半分も食い続けられない事がわかった、
あれは健康な時に食う物だと


土曜日にニギリメシを3個貰った。
海が時化ない土日は毎回ニギリメシを3個持って来て呉れる綺麗なお姉さんが居るのだが
関節が痛んでカップ麵は半分も食えないのにニギリメシは2個を一気に食えた。

俺は食えない時期を経験したせいか食料は一気に食う事は出来ずに必ず残す癖があるのだが
後で食う一個が格別に美味いのだ。
時々なんちゅう性格だと思うのだが、この由緒正しい貧乏根性は治る事はないだろう。

幼い時に育児放棄を経験した子と一緒にいた時期があったが その子は必ず賞味期限を見る子だった。
その後も数人を見て来たが食事の仕方は様々だったが皆自分の身を自分で守る事に必死だったのだ
諦める事なく新天地を目指して欲しい
北海道の緑の大地 青の大海原は来るもの拒まず それが出来る大地なのだ。

コロナワクチン撃った。

金曜日午後からコロナの注射を打った。
夜中に関節が病み始めて朝には起きる事が出来なかった1回目2回目はなんともなかったが3回目は二日間苦しみ物を食べる事も出来なかったので
今回は簡単に食えるカップ麺を大量に買い込んで用意した。

回りでコロナに感染した人達は2~3日苦しかった程度と言う、だったら予防ワクチンで苦しむのと大したかわらんのではと思うが
俺が思うにはこの曲が流行った頃にもう一つ流行ったのが字もろくに書けない俺にも来た
不幸の手紙でコロナは不幸の手紙と同じで
予防ワクチンを打つと言う事は自分の為もあるが自分から連鎖拡大させていくチェーンメールを断ち切る行動だと思う。

2日目の夜になっても関節が痛むがこのまま寝ていたら寝たきり状態になるのではないかと思い無理くり動く事にして何か出来る事をせんといかんと思い起き上がった。
この具合悪いのは機械だったらアッチバラシこっちバラシと何かしらの行動が出来るが
人間の連れ添いが居る者なら自分より他の者を見る方が辛いと思う。
今週もいく旭川の整形の先生の右腕内側、鶏手羽で言えば最初にかぶりつく手羽元あたりに
たった今抜糸したと言う様に縦に10センチほどの傷とどす黒く腫れた傷跡があったが
これは集金先の背中の刺青ほどの効果があり 俺はすごく丁重に治るもんでしょうか、と聞いた。
その先生は「 私は魔法使いではないので何もかも良くなる事はありません 」と言ったが
ふんふん、なるほどその傷は自分でぶった切って治療して失敗コイタのですねと思った。
ふっとこれが外科だから外から見えて凄いが歯医者さんだったらどうなんだろう
連れ添いが歯が痛いとなったら、
あ~ん~アン~タ~と無防備に口を開けてる連れ添いをどんな思いで治療するのだろう
やはり特別な感情を抱くのだろうかと考えてしまった。
それともチャンと歯磨きせんからよ!とサッサと土方がコンクリーを砕く様に削岩機を掘り込んで済ますのだろうか
その状態により今夜のメシが変わるのではと

 神かまうな、仏ほっとけ

痛みもあるのか握りが甘く危なくて電動工具を持って使えなくなってから、
今はドライバーが回せない 回すと強烈な痛みが生じる。
ドライバーが回せないのでスクラップ解体作業が進まない

そんな日々の中で留萌の焼き鳥屋さんが心配してパンフレットを持って来て呉れた。
パンフレットはお買い得、多宝塔か、はたまたサターンを追い払うパンフレットかと思ったが違った。

ごく近い回りに奥さんのガンを直すために多宝塔を6000万出して買った八百屋が居た。
多宝塔を買って拝んでいた八百屋はその後奥さんが亡くなり
先に父親は行方不明になり出が内地で地元に身寄りのいない まだ小さい子供二人は家に残されていたがやがて何処かに行ってしまい家業も家もすべてが吹き飛んでしまった。
その場所は今でもわずかに痕跡を見る事が出来る
何処に行ってしまったのか返還訴訟とかなんとか世間に訴えられる者はまだましな者達なのだと思う。

別の新興宗教にハマってる一家が居て俺はそこの子供に言った
「 もし事故にあって輸血が必要になったら親に連絡をする前に俺に連絡をせ 」と
でなければ助からないと言った事がある。
俺はその一家に今でもサイトウ、サ~ンではなくサイトウ、サターンと言われている。

などと思い出していたら焼き鳥屋さんが持って来たのは旭川の病院のリハビリのパンフレットだった。
今まで何処に行っても加齢から来るものでと説明されリハビリの話は何処の病院でも出なかったが
その病院のパンフレットには自分で家でも出来ると書いてある。
この右半身が痛む様になって2年になるが病院には行きながら様々な方法を試みた。
ベットを三回交換しても駄目で結局は元に戻り
以前何かの本で読んだ人類発祥の地、アフリカに伝わる医療方法を試みる。
それは痛い処の物を食えと
右肩が痛いので鳥手羽先唐揚げを食い続けたが 空を飛べる事も肩の痛みも治る事は無かった。

今週そのパンフレットの病院に行ってみた。
やたら長い時間身体を固定されMRI検査を受けて結果は筋が固まって擦れているとの事だった。
2年前に痛み始めて別の3か所の整形に通ったが年齢から来ると言われてリハビリの話は一度も出なかった。
ここでは痛いので動かさないのは筋が固まる原因になるとの説明に機械も使わないと錆びるなと納得がいきリハビリをする事になった。
えええ~こんな簡単な事で腕が上がる様になるとわ
今まで車に乗っても右腕でディマースイッチを動かす事すら億劫だったのにと旭川からの帰りに思った。
3か所も行った病院はリハビリをする話は出なかったが何んだったのだろうと帰り道考えたが
俺の中で同じ距離なら旭川より札幌と言う意識があった事が大きな原因だと思った。
それか! 雪駄に七分でガラが悪いので病院に用心されたかも

マリーナーでも小樽のマリーナーで小さい船でもここのマリーナーに持って来ると大きな船の分類に入る。
何処かに小さい街はダメと言う思いがあるのかも知れないと深く深く反省した一日だった。

味覚、不覚、

納税者は日々「カモの水かき」状態にあるのに
国会で112回も嘘付いた元総理など噓つきは泥棒の始まりの様な政治屋達
前総理が「反社と言う定義は無い 」と言った言葉に統一教会で今更納得がいった。
不覚ではすまん人間の・・

 


ガソリンクーラー付きエンジン
最近多いのが
ボートのタンクは100~180リッターと言うデカいタンクの為に燃料を消費し切れずに持越し冬季間乗っていなかったタンク内の結露などの水分混ざりの燃料を使う事でデイトネーションが起きエンジン回転制御が掛かるなどの現象が多い
対策は燃料を使い切る事か添加剤を入れる酷い場合は燃料経路や高圧ポンプ交換もしなければない為に銭も掛かるので
作業をする側も悩む事が多いが高揮発性燃料は鮮度が命かも・・・・・

修理屋と言う仕事柄 細かい作業や考える事が多く仕事中に話し掛けられると部品の付け忘れや作業手順の狂いなど不覚の事態が起きる為に
来客が多く作業を中断させられる事が多い日曜日は修理はやってはいけないと思う。

作業中はただでさえ不細工な面がさらに面倒な面になってるし話し掛けられるのには対応は出来ない
何もしていない様に見えても机に向かってる時も作業手順を考えているのだ。

こちらの都合などお構え無しの近所の戦前生まれの元お姉様達などに声を掛けられると白紙に戻る事も多く作業を諦めるか
冷たい態度で追い出すと
元お姉様達は不貞腐れて今生の別れの様な帰り方をするのだ。

それでもこちらの都合のいい時間帯に懐かしい人やお世話になった人達の顔を見たいと言う贅沢な事を思っている。
それはラーメンを介した場所を作る事だと思って来た。
わざわざ遠くから来て貰う人に出せるだけの値するラーメンをと思うのだが
いま壁に突き当たって
二週休んでラーメンを作ったが満足がいかないのだ。
丼一食に300ccのスープを使うのだが36000ccの寸胴で作ると天候や日回りで余り近隣に貰ってもらってもほぼ廃棄する事も起きて来る。
さすがに最近は勿体無いと思い寸胴を半分に小さくしたが火加減がイマイチ分からないのだ。
香りも色も一瞬美味く出来る瞬間があるのだが
寸胴が小さいと5時間と言う営業時間の間、味が持続しないのだ。

色々ドッタラコッタラと考えたが
もはやラーメン屋ではなくただの趣味で
ラーメンで生計を立ててる人には唯々恥ずかしい限りなのだが
今週金曜日はコロナ4回目ワクチン接種でラーメンは休み
来週からは土曜日は仕込みをし日曜日だけのラーメンを作ろうと思うのだが・・・・・

味覚について

やっと時間が取れる様になったので今週はアチコチ食いあるこうと思うが一人なのでどんな先客が居るかは味の重要な要素になる。


メニューに学生ラーメンがある事に感動するが学生ラーメンはラーメン屋繁盛には必要だと思う
俺も目付きもガラも悪いがこんな先客が居たら味など吹っ飛んでしまい味覚も不覚もあったもんでない
常連になったら店は潰れる。
ラーメン屋繁盛の為に早く帰って貰いましょう。
小津 安二郎風にもっと普通に呑んで欲しい

用心して二週休んだラーメン屋を今週はやろうと思ってるが味の好みが変わっている。
若い頃は銭出してまで蕎麦やうどんを食べたいとは思わなかったが今は普通に食べる
スパゲッティは自分作って食べるがこれは一回に何千円も掛かる羽目になり食いに行った方が安く付くのだ。

美味いと言われるラーメン屋も店も月火は定休日が多く中々食いに行く事は難しい
蕎麦などは美味いと言われても未だに これはどんなに遠くても通うぞと言うほど美味いと思う蕎麦を食った事がないのだ。
何が美味いかわからんが蕎麦を食う様になった。
元々大した物を食ってないベロなので味覚がおかしいのかもしれないが
そもそもは味覚とは食ってはいけない物を見分ける為にありさほどの精度は要らないのである。
そこに美食だの美んまいだのと星を付ける様になって刷り込まれさらに味覚がおかしい事になったのではないか
星を付けるのは勝手だが自分がせっせと稼いだ銭払う側かも知れないが店もせっせと稼いでいる。
客も店も対等なのだ
食うにあたっての礼儀と言うものがあると思うのだ俺はテッシュを使ったら必ず持ち帰る様にしている。

味覚はどの状況で食ったかも重要で
安心して食える状況がもっとも美味いと感じるのではないかと思う。
子供の頃に味覚は決まると言うが
それは親と食った事で味覚が出来るのではないかと強く感じるのだ。

 華火


どこまでゆくのかガット船が黒岩で取られた大割砕石を積んで夕方出港してゆく
内航船の中でもこのガット船は一隻だけで経営してる零細規模が多く
その為かスピードも遅く機関音からも老朽船が多い様に感じる。

土曜日は花火だった、
花火は崖下村の港から打ち上げられ毎年ここから皆で酒吞みながらワイワイと見るのだが
今年はラーメン屋は諸般の事情で休業で観覧会は中止
外に出ると周辺で騒いでいる皆が寄って来るので家の中で音だけを聞いた。
花火は音とセットで音の無い花火は花火ではないと以前から思っていたが
家の中で音だけを聞いていると昔の花火とは様変わりをしている。折角だが音に風情がない様な気がし打上げる高さが低く感じるのだ。
前半と後半に分けて前半は最近風の花火で後半は昔風の花火にしてはと思う。
最近は機械装置で着火する為かやたら派手で早い

風情に付いて思考してるのだが
風情もヘッタクリも無く高さイコール価格で全体予算をどっちに振り分けるかと言う銭の配分の問題だと思うのだが
寄付は取に来るが希望は聞かれた事はないな

花火師が一発一発に火を付け夜空に広がる華火の後にドーンと聞こえる間合いがなんとも言えない風情があるのだ。
去りし日を思い、来る日はあと10回花火を見る事はないだろうと思う。
近くに居てもすべての人が華火を見れるわけではない
数発は思いっ切り高く上げて御料地の年寄り農家や沖の本船航路をゆく船などにも見える様にし音だけでも聞こえる様にしたら、いいのではないかと思った。
今年は見てはいないが例年通りなら600メーターほど目の前の堤防で打ち上げるのでサンイ、コサイン、ナンチャラから考えると打上げ高さは高くてせいぜい300~400メーターだろうと思う。
暑寒岳が1400メーターなので1000メーターもブチ上げれば山奥の人にもベットで寝てる人にもせめて音だけでも聞こえるだろうと思う。

ふっとやたら遠いと光より音の方が聞こえんのかと思ったが
花火の音の記憶はあるが音の無い花火の記憶がないぞ

森本正義さんについて 

トラの威は借りるわ、やりたい放題やるわ、嫁には逃げられるわで
思い出すと恥ずかしい事ばかりだが
逃げられた嫁さんとの仲人であり留萌商工会議所副会頭であり地元信金の理事で当時の日産自動車の大株主でもあった森本正義さんには本当に多くの教えを頂いた。
大戦中は戦車隊にいたが生涯、車の免許を持つ事はなく宮園町の二軒長屋から留萌駅前の会社まで毎日、竹の五升籠を持って徒歩でおよそ2キロの道のりを歩き通し道々の商店に
「 儲かってるかい 」と声を掛け続け
商店の悩みや困り事の相談にのっていた人で地域を歩く事の大切さを教えて貰った人だった。

いまこの歳になって言われた事の意味に初めて気づく事も多く
中でも「 宣伝はしてはいけない住んでる土地に求められる商いをしなさい 」
全くそうだったと今更ながら思っている。
もし早くに気付いていたならと思うが後の祭りなのだ。

商いの大小でなく、その土地に必要とされる物や技術が無理なく食って行く為には必要で
自分が幾らこれはこの価格と思っても浜の物が溢れている土地で一杯5000円の丼など観光客で一時は売上が上がっても通年では経費すら賄えない事が起きて
結果は更なる価格上昇で地元との乖離が大きくなってゆく

寝だめ食いだめは出来ない やはり通年食って行く為にはその地域土地に根差していく事が大事になっていく
全国アチコチ旅をして歩くが俺の旅行は作られた表面だけの観光地ではなく、その土地その土地にある無垢の歴史や食べ物を見て歩くのが好きだ。
そう思う時にいち旅人としては地元の生活、歴史、生業をちょろっと邪魔しない程度に見させて貰うという態度姿勢が大事ではないかと思う。
受ける側も観光客価格はやはり長続きはしないのでは無いかと思うし地元に受入れられる。
価格帯や規模が長続きするだろう。
コロナが収まってもこれからは違うものがコロナの代わりに出て来るだろう。
その時に日々食って行く為に地元や地域に根差し必要とされ求められる者が残って行くのだろうと思う
今更ながら「 求められる商いをしなさい 」と言われた事が身に染みている。

29日金曜日はマークルーザー5.7リッター V8を船体から引き抜く

一人親方で子方は居ないので何から何まで一人でやる。
その親方の肩が痛く力が入らん 500キロのチェンブロック2台を使い前後に移動しながら上げて

エンジン取外し完了 このエンジンは半世紀以上も前のGMのブロックを基本にしていて大した進化はしていない

エンジンが始動しないと言われたらハイそうですかと
エンジン外せと言われたらハイそうですかと
食って行く為だけでもなく
アチコチ蚊に刺され掻いて毎日油まみれになり自分の身体を使う修理屋はもっとも地域に根差し必要とされてるいい商いだと思う。

黒蛇抄

元気有り余ってる若かりし頃に小柳ルミ子の白蛇抄なる映画を見たがあらすじよりアンナ事やコンナ事の内容が脳裏にこびりついた。

木曜日に札幌の整形外科に行ったがいつもと同じ道では退屈なので望来から山道を超えて当別に抜けてみた。
途中で黒い蛇を初めて見た。
黒い蛇はカラス蛇と呼ばれ居るとは聞いていたが
蛇はいっかた見るが黒い蛇は一度も見た事がないので信じてはいなかったが
都市伝説ならぬ田舎伝説では黒い蛇は空を飛び、嚙まれるとイチコロになると言う。
俺は自分の目で見たものしか信じないが本当にいる事を確認した。

オリャーと飛んで来てイチコロになるのも怖いのでガッチリと窓を閉めて中から写真を撮ったがどうも引かれてアウトになってる。
蛇は大嫌いだが少々可哀想な気がする。

白蛇抄は水上勉原作だが見たままの官能作品である。
ところで白に対して黒で『 黒蛇抄 』を映画で作るとしたら誰が主演になったらピッタリだろうかと道々考えたが
それは「 ウラジミール、プーチン、君とは同じ未来を見てる 」と言った元総理だろう
『 嚙まれるとイチコロになると言う 』う~んピッタリ

「 人の一生は棺を蓋いて定まる 」と言う。
俺は少ないながら一人の納税者として ウラジミール、プーチンと同じ未来を見たり桜やモリケケなどや
何より国会で118回も嘘を付き続けた。
それは国民を愚弄の衆と安く見て、コケにし、嘘を付き、あざむき、ダマし続けたのだ。
その者の国葬には大反対で
病をおして総理を続け過労でクタバッタたとか総理現職でもない一政治屋の国葬に使う銭を俺の収めた年貢からは一銭ビンタ使って欲しくはないのだ。

商いの大恩人で逃げられた元嫁さんとの仲人である森本正義さんの葬儀には田舎ではあったが何処からこれだけ集まったのだと言う二千人が集まり
急遽第二会場が作られその時に「 人の一生は棺を蓋いて定まる 」を実感した。
その時会場で一番大きい花輪を出さして貰った事がせめてもの感謝だった。
「 俺が仲人をした者は皆仲良くやってるのに嫁に逃げられたのは初めてだ 」と言われた。
様々な教えを貰ったが
「 商いは政治ではない 」や
「 食えるうちは家業を変えるな 」と言われ
副業はするが修理工は貫き通した。
もっとも俺が食っていけるのは米を毎年N先生から一俵貰うので、
それも自分の力ではない一俵は江戸時代なら一俵一石で一両したのだ。
それを毎年毎年ありがとうございます。

元気の出る言葉を

17年間に225時間しか使っていないエンジンの使用履歴を調べる。

船の上に上がったり下がったりと毎日何回も繰り返す船の上は輻射熱で熱く脳の中が沸騰して動くのも億劫なのだ。
どうも暑さに弱くなってる気がするのだが気のせいなのか
オラ~辞め~たと言いたい処だが散々売ったので辞めるに辞められない
今更ながら大恩人の商売は始めるのは簡単だが辞めるのは大変だと言った言葉を思い出している。

春先にあるこじゃれた家に行った。
家人は留守だったが玄関先に紙が飾ってあり
それには「 元気の出る言葉を 」と書いてあった。
う~ん 俺は相手を批判する言葉はドンドン出るが相手が元気が出る言葉は中々出てこないょ~なと思ったらブログを書けなくなった。


ここで修理に携わって暮らして居たら仕事は毎日がゲーム状態なのだが
ガソリンを入れっぱなしにして3年間も放置した船のエンジンが掛からんと持って来た。
エンジンは掛からんで正解
下手に始動して海に出たら歩いては戻れない

フューエルペーパーセパレーターの中に水が溜まっていて高圧ポンプが錆びてシマッタ
全く使わない事は機械にとってはいい事ではない長期間使わない時は揮発性の物はどうしても劣化と北海道は結露があるので抜いておく必要があります。
人間も使わないと動かんくなるらしい