俺が長男だったら兄貴が頭が悪かったら どんなにいいだろうと思った。
頭のいい兄貴は考えてばかりで何もしない きっと先が見えたのだろう。
口癖は「お前はバカだから そんなのやらんでもわかるだろう 」
だった
今この時食う物が無いのに家には金が無くなった時にしか帰ってこない 親父と兄貴がいたら最悪状態が始まる。
バカが留萌川を越えた第二の山に行ってマキを拾って来ようが川を超えた遥か向こうの今の留萌高校や今の留萌市立病院の所にあった人造石油のデカいコンクリートでできた施設に潜り込みコークスを袋一杯拾って来ようが
それは頭の悪い読み書きも出来ないバカの当然の役目で何一つ褒められる事は無かった。
褒めてくれないのは母親も同じで「お前は兄ちゃんの顔をつぶす」と言った。
それはやがて本格的に食い詰めて冬を越せそうもないと言う時に誰かかが家を出るしかなかった。
それはバカの次男坊の当然の役目でショッパイ川と言われた津軽海峡を渡ったのは中学に入ってすぐの10月だった。
それでも気が楽なのは次男坊がマキを拾って来ると何もしない兄貴は細いと怒る。
口答えをすると弟なのにと殴られる 暴力は確実に遺伝するのだ、そこから逃れられるのが唯一の救いだった。
歩いてると隣近所の爺婆からパンやらアメなどを貰う。家に帰ると取り上げられる。
頑張れば頑張るほど兄貴との距離が離れやがては家庭内暴力が日常化し始める。
内弁慶の兄貴は自分だけの世界を作り終末は世間を恨みながら孤独死という結果を招いた。
早くから稼いで大人の身体になった俺に汽車に乗って二日間も掛かる名古屋の地で
たまに来る知らせは弟達がひどい仕打ちをされているらしいと想像されるハガキだった。
本気で兄貴と親父の首を絞めようと荷物を纏めていると察した安さんは俺を引き止めて
一通話500円もし 俺の二日間の稼ぎが飛んでしまう長距離電話をすれと中村区栄生の電話のある家に行き電話を掛けてくれ北海道の訛りを聞いた。
交換手が一通話が終わった事を告げまだ話をしますかと聞く
俺の金ではないので受話器を置いた。同じ田舎者の安さんと岩アニーは爪を切削油で真っ黒にしながら歩いていた。
もし俺がこの二人に出会えない拾って貰えなかったら同じ北海道を出た永山と同じ道を歩んだかもしれない
一瞬時代を同じく交差したのは早朝の南陽町だったのだ。
もし俺が長男坊だったら意見も出来たのに背中も見せる事も出来たのにとなんぼ思った事か
確かにやらないでもわかる事もあるだろうけどやってみて初めて分かる事も沢山あると思う。
俺は何にでも飽きるのでなくバカだからやってみるまで気付かなかったのだ。
バカだからやってみてダメだったら止めればいいべやと思ってがむしゃらに生きた日があった。
そんな事があった事を酔っ払った頭で花火の音を聞きながら思い出した。