遥か年下からも呼び捨てにされ八分だの勝手つんぼだのバカだのと言われた
2軒挟んだ北隣の漁師の徳さんが亡くなった。
俺はここ漁師町に移住して来てはや30年になる
最初は修理屋と呼ばれていたのが後半はラーメン屋と呼ばれ
土日だけのラーメン屋に帽子に千円札とタバコを入れてラーメンとビールを呑み来て
店に居るお客さん誰彼構わず声を掛けるのが土日の決りだった。
漁師は機関場に居る事が多く難聴の人が多く その僅かに聞こえる耳を傾け聞くが
俺が思うのはすべて聞こえていたのではないかと思う
自分の聴きたい言葉を聴き見たいものを見て来たのではないかと
相手は一切関係ない自分の好きな様に生きた人だった。
ここに移住して30年に徳さんには多くの事を学んだ。
「 お前の嫁は何処に行った夕飯は家族揃って食え 」と徳さんはいつも言った。
それは背の低い者、高い者とそれぞれの目線で見たり聞いたりした事を雑談として情報共有する場と皆の安全確認の場だと家族を失って初めて気づいた。
「 女は無駄遣いはしないだから銭は余分にやれ 」とも
ここに移住して一年目の漁師が春の突風で磯船が海でひっくり返った
商売道具をすべて失ったが命は助かった漁師のアニーはその日のうちに途方に暮れてここに来た。
「 お前ラーメン食え 」と徳さんはアニーに言った
後は一言も言わずにビールとラーメンを食って帽子の中の銭が足りない後で払いに来ると言った。
いいものを見させて頂きました。
ここの漁師町に来て30年 田舎暮らしに必要なものは頭ではなく汗を搔くか銭を使うかしかない
その土地で稼いだ銭はその土地で使うと言う事を教えて貰った。