南下

南半球でも南下と言うのだろうか

来る途中 留萌マサリベツから道道742号線を通る。
この道道742号線は冬は雪崩の危険があった為に通行止めだったがトンネルを作った事によって年中通行が可能になった。
そのトンネル予算獲得の為の雪崩調査に小平町上川にベースキャンプを作り物資運搬の為にスノーモービルで入って調査が終わりラジオ電波が届く処まで戻ってラジオからのニュースで1995年1月阪神淡路大震災があった事を知った。

雪崩調査方法は雪崩が起きそうな状態を画像に撮る事とそこに白赤ポールを差し込んで積雪量を測るのだが
一番崩れそうな雪庇にスノーモービルで上がれる処まで上がってポールを差し込むのは下請けのさらに臨時雇いのなんの保証もない俺の仕事だったが
う~ん今考えると凄い仕事だったなと思う。
調査開始から4年後の1999年3月にトンネル工事が着工になる
そこで俺が雪崩に巻き込まれたら安全な場所から望遠カメラで撮ってる現場代人は凄い画像が撮れて742号線は早くに完成していたかもなどと感慨にふけり通る。
何かが出来る時にはその様々な見えない面でどうでもいい様な枝葉の末端の人間が大きく関わっている。
それを評価し認める事が無敵の人を無くす方法のひとつなのだと思うのだが

歌登まで走って

ここで晩飯を食う 地元の人でないと何処に入口があるのかと探すが観光客の店は面白くないのでこう言う店は好きだ
車中泊を出来る場所があるとの事で晩酌もする。
車にはFFヒーターが付いているので市街地では無理だが北海道はそこら中が原野なので道路わきに止めて寝る。

翌朝 枝幸西城デパートのすぐ傍にある魚屋瀧源に魚を買いに行く
瀧源は魚大好き男にとっては調理方法も聞けて嬉しいのだ早朝腹減ってる状態で店に入った為にあれもこれもと欲張って買ってしまった。

もしかして開いてるかもと思って行ったが やはり閉まっていた。
ここは何度も来てるが入館料は無料なのだが内容は凄い
俺は思うのだが地元民は無料にして他は幾らかでも貰ったらいいと思うのだが
現在は施設も立派になったが以前の施設は自分なりの解釈や宝探しの様な感じがあり それはそれでよかったと思うのだが
オホーツクには古代に忽然と姿を消したオホーツク人が居た。
俺が想像するにはオホーツクはロシア沿海州や樺太と当然交流はあっただろうから大陸から渡って来たオホーツク人はセコイ弥生文化がチラホラ見え始めた時にムッタシ嫌気がさし大陸に戻ったのではないかと想像するのだが
弥生文化は穀物を貯蔵する事で貸し借りが出来る資本主義の原点になる文化でもあるのだ。

日本民族は単一民族などと言う国会議員連中が居るが、お前どんな親に育てられ字が読めるのかと聞きたい
北海道は米作が出来なかった事で遅くまで縄文人やアイヌ、ニブフなど様々な人種が暮らした土地で現在でもその様子が見れる土地でもあるのでその土地の博物館を見る事は旅の幅を広げる。
今でも半縄文時代の様な生活は出来ると思わせるのも北海道で、もしやったとしたら結構楽しいいい生活が出来るのではないかと思う。


帰りは夏タイヤなので山に雪が降り始めたこの山越えは断念して幌加内を通り沼田に抜ける。

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