北帰行

もう一泊車中泊するかと思ったが何処に行っても休みなので戻る。


道にホタテの貝殻を敷き詰めている白い道とやらを通ってドンドンどっかにゆく

俺の処にも土日はホタテラーメンを作ってるのと宴会で食ったホタテやカキの貝殻は沢山あるが
なにせ俺は筋金入りの貧乏人なのでたとえ貝殻でも食い物を足で踏み付ける事が出来ないので崖下村に来て25年以上になり沢山溜まっている。
貝殻が食い物ではなくなり踏み付けていいのはいつだろうかと
食ってしまったあと49日かな~などと思ってしまった。
結構気持ちはセコイので細かい処が気になってしまうのだょ~。

おおこの羽根こそが275で運んでる途中の羽根だぞ~
なんかオトンルイとは少し違う気がしたもな~
風力発電がまだ走りの時にある風力発電所にスノーモービルをレンタルしたり荷物を運んだりしたが技術者はフィンランド人だったかスウェーデン人で当時使用してる工具が日本の工具と違い綺麗な洗練されたスタイルの工具だった。
羽根の回転直径が50メーターは柱も50メーターほどあり風車の中は騒音と熱が凄く上に上がる為のエレベーターが付いていた事を思い出したがついでにその外人野郎がモービルを事故で全損させやがった事も思い出したバカ野郎~


これは古いタイプ 最近の主流は羽根の先端が細いのが多い

宗谷丘陵


無人駅
俺は駅前の景色は個人の財産ではないと思っているだから無闇やたらに変えるべきではないと思っている。
それはそこで乗降した人やそこから都会に巣立っていった人達の帰るべき心の故郷なのだからと思う。


駅の壁
1998年4月30日いま頃いいオヤジになってるだろうが また一緒に来たと思いたい。
最近惚れた女より長生きして惚れた女を看取るのが男の役目と思う様になったが余計なお世話かも

この一筆で迷う事なく一気に書いた跳ねや書き順など何か・・・・・・・

いたいた俺の処にも履歴書にプリクラで撮ったシールを貼り夜露死苦と書いて持って来た子が
親のたった一枚の写真をチャック付きの財布に後生大事にしまい込んでいた。
履歴書なんか名前だけわかりゃいいんだょ。
あとは人物の所作で判断するんだから

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