昭和は遠くになりにけり

俺の感覚では北海道ではお盆が過ぎると一雨事に寒くなっていくのだが、その雨も降らんぞ今年の異常な忙しさも終わったと思ったら熱さで何もする気がしない。
車もクーラーは使わないので車内は常に30度を超えているそれでも体温以下なので何とかなると思って我慢している。


土日営業のラーメン屋もガスを二台も着けっ放しでさらにソーシャルナンチャラでビニールで囲っているので滅多に汗をかかん俺でも汗だくになっている。
ただのビニールでは味気がないので昭和の昔の写真をぶら下げているが
みな昔は良かったと言うのはなんでだろうと考察するには
一つには良い処しか思い出せないのかとも思うのだが
俺などは確実に現代の方がいいと思う 何が一番かと言うと
それは歯医者さんで歯に隙間が出来たせいか物が挟まるようになったので硬い歯ブラシを買って来てゴシゴシと船をデッキブラシで洗うようにしたら歯茎からドバっとチ~が出て病んでしまった。
丁度金曜日だったので痛~とうて痛~うて明けて先々週から歯医者さんに行っているが
「 チョット痛くしますね~お注射しますね~御免なさいね~ 」
「 チョット痛くしますね~御免なさいね~ 」と何回も言って呉れるが
超臆病者なので一気に行ってくれと思うが中々痛くならん
サッサとやらんかいと思っているうちに終わってしまっていたのだ恐怖の歯医者さんがあった昭和は遠くになかりけりなのか
では他に何がそんなに昭和は良かったのかと思うには普通の凡人には何かをしようと思うとチョット頑張ればそれなりに夢は叶う事が出来た。
昭和の昔は年季奉公修業などと言う言葉があって修理工など職人仕事は東京オリンピックが終わっても遅くまでその習慣はあった。
年季奉公の最中には給料などロクに貰えずにメシ付き部屋住みで一日200円も貰えれば上出来だったが同じ処に5年ほど勤めると年季明けと言って給料も一気に上がったが
3年事に職場を転々として歩いたのでその年季奉公を務めあげた経験がない。
それでもいつかは自分で店をやってみたいと思って給料が入ると工具を買っていた。 当時の工具は価格も高かったが今の様な鈍ら(なまくら)工具などはなく二重丸京などの工具は今でも使っている。

工具と言えば熱田区西郊通りに居た時に事情がありその工具一式を手放した時があった。
二重丸京などのいい工具ばかりだったのでその工具を工具屋に持って行き買い取って貰ったが
その工具屋のオヤジはその時の勤め先にコッソリ電話をして身元を確かめてから銭を貰った。
その工具は売られる事もなく一年ほど後に買い戻し再会したが
なぜ売られずにあったのか仕組みはわからないが勤め先の大将か番頭さんの気遣いか工具屋の大将の気遣いか誰かが売らずに置いていて呉れたのだ。

やはり昭和はいい時代だったのかもしれない

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