愛我無罪

機械の事しか知らない、それもほんの一部しか知らないが機械でさえすべての現象は因果と原因がある。
漢字文化の隣の中国には愛国無罪と言う四文字熟語があるらしい
では自分の命を我を守る為の行いは無罪になるのだろうか その線引きは何処にあるのか
子は親を選んで生まれる事は出来ない その親が早くに亡くなってしまって親戚をたらい回しなった場合や
育児を放棄してしまったり 一人しかいない親にロクデナシの愛人が出来てしまった場合など
その時に子が自分の命や我を守る事をした場合は、その行為はどんな時も無罪になるのだろうか

児童相談所さえも大した当てにならない時代に自分の命を守ろうと口に入る物を求めて手に入れようとする行為は何処から何処までが許され、それはいつまで許されのか
表面的には豊かになった時代ではあるが そんな子供達はすぐ傍にゴロゴロと居るのだ。
その中で何が出来るのか
溺れている者に無防備に助けに行ってはいけない抱き着かれ共倒れになるのは
数々の水難事故で証明されている。
出来る事は訓練を積むか その辺りにある浮く物を投げてやるか
もしくは声を掛けてやるしかない
声は届こうが届かないが構わないのだ その声を掛けようとする気持ちがいつか実を結ぶ時が完成される時が来るかもしれない。
俺には虚構の世界としか思えない芸術に完成品などないのと同じだと思うが
ところが珠に本当に無垢の人を完成されたと思う人を二度ほど見た事がある。
一度は望来のお多福で見た少し知恵遅れと思われるカップルが美味しいね美味しいねと言いながら食べてる姿は荒れた心を我に返すほどの姿だった。

良くも悪くも誰にもなんの影響も与えない そんな者になりたいと思う様になったが俺にはどんな事をしても絶対に、完全に、、無理だが
せめてクタバる時には「ありがとう」と言ってクタバリたいと思う
今週はそんな事を思ってシマッタ 
ナンマンダブ~ アラ~は偉大なり~ 右の頬叩かれたら左の頬を叩き・・・・・ア~メン

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