3月


一生のうちに一度はここに来ようと決めていたのだ 舞鶴に上陸してここに来るまで連続運転が出来ずに中2日間も掛かってしまった。

2月27日から28日と2日間 雪の中にもぐってヒッチメンバー取付をした。
かなりの台数のヒッチ取付したが リバイバルした新車に旧型と比べておやっと思ったが説明書通り取付けて確認をし完了したのが28日夕方4時 すでに荷物を積んでいたミニキャブで
1年間コツコツと貯めた100、000円を持って無くなるか呼び戻されたら帰って来ようと崖下村を出発
車に乗ってすぐ腰に痛みを感じ始めて歩くのもやっとだった。
2日間も雪の中に寝たのがまずかったのかも知れんが どうせフェリーは寝てればいいのでそのまま決行 

2月28日午後11時頃 小樽を出港し3月1日午後9時頃 舞鶴着  小樽でラーメンとフェリーでメシ二食とフェリー代金30530円を払ったので帰りのフェリー代を除き使える銭は4万弱になった。遊びはすべて現金で支払う。
毎回なるべく国道は走らんようにしてるので店が無い事が多く舞鶴のスーパーで半額食糧を買い冷蔵庫に詰め込んで舞鶴港で車中泊

内地は暖かく雪は全く見る事もなく作業服の下にTシャツと腹巻と雪駄で充分で
たった1日で不思議な事に身体も頭の中身も雪の事を過去の事として綺麗さっぱりすっかり忘れているのだ。
俺だけの特性かあれっと思うほど楽な生活に順応してるのだ。
これが内地から北海道と逆だったらどうなんだろうと思ったが
忘れてしまう事はいとも簡単に出来る事がわかった。

核融合には懲りてるはずの日本がいったいどうしてしまったのか
再度核融合に頼ろうとしてる。
マンハッタン計画に関わった多くの科学者は原爆はハッタリに使うべきで実際に日本に使う事を
反対して
『 フランクレポート 』として提出されたが時の為政者達によって広島に原爆は投下され計画は遂行されていった。
カーチス、ルメイと同じく確信犯なのだ。


安寿と厨子王丸 これはこれで可哀想な話だが忘れても大した困らん
う~ん 被害者の像はよくあるが被害者が居れば加害者も必ずいる加害者の像を見た事が無い像~ 
う~ん 自分の代で完結できるものはそれでいいのかも う~ん


宮津で北前船航海安全 奉納絵馬これとほぼ同じ物を増毛で見た記憶があるが思い出せん これも思い出せんでも大した困らん
説明のただし書きにはちょっとビックリだったが!

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