過去、現在

今は未来を想像すらしないので未来と言う言葉は無くても大した困らん 
アチコチ傷跡や生傷が絶えない俺にとって現在とはチ~が流れている時で
チ~が止まってしまえば過去と考えている。
顔の皮を半分ほどが一回 四分の一ほどを一回をアッチを引張りコッチを引張りと張り替えたがあの時にこうすれば良かった、あ~すれば良かったと思っても後の祭りなのだ。
ただ誰も巻き込んいないのが救いなのだ 後は笑って誤魔化すしかない

常識が非常識に勝つ事も難しいと思っている。
モリカケにしても隣国との事でも常識で考えてもおかしいべ~と言う事が政治の世界では行われているが常識ある者はそれに打ち勝つ事が出来ないでいる。
それを選んだ大多数の人が暮らす国に住んで居るから仕方ないのである。
拉致問題は現在もチ~が流れてる最中なのだ何処か見えない処で非常識な手でもやるしかないのではないかと思っている。
解決したらすっ呆けて知らん顔をするのが非常識に唯一勝、手ではないのかと思うのだが
「 取り消しませ~ん 」なんと軽い情けない指導者なのかと やり遂げる事が出来るのかと


水槽を三つに区切って連絡通路を幅3センチ程度にしてあり30センチ超えのアメマスやニジマスに小さな魚が食われないようにしてるが
水温か日照時間か両方か春めいてくると3センチの隙間をくぐって魚達が上流域水槽に遡上し始める。
その先の水槽には恐ろしいアメマスなどの魚が待ち構えているのに傷付いても行止まりまで登ってゆく
なにか自然界の法則にしたがって命まで掛けているだが 人の手によって捻じ曲げられた水槽で飼うには少し可哀想と思っても飼うのだ。

ここに住んで居たら自然に逆らって生きてゆく事はかなり難しいし銭も掛かる。
季節季節に沿って生きるのが一番無駄がなく結局は楽なのだと思う様になったが それと同時に都会では絶対暮らせないと思う様になった。
田舎生活は物理の法則と自然界の掟に沿って生きてゆく 
都会は人間の手によって水槽の様に捻じ曲げられている事が多いのだろうと思う。
当然何かの弊害は発生してゆくのだろうと考えると
現在のバイトテロもなんとなく頷けるのだ バイトテロの出身地は何処なのだろうと


カワシンジュガイは何年も皆元気だが汚れた沼に生息するドブガイには餌や環境などを考えて手を出し過ぎてこの冬に5個をまとめてアウトにしてシマッタ 残るは5個 

カミナリ族から暴走、族と言う言葉が知られ始めた頃に愛知県にあった日本最大と言われた。
暴走、族が鍋田や名四で検挙された。
200人近い者の出身都道府県で一番多かったのが北海道で中に北海道の農協組合長の息子がいた。
いま売出し中のある農協組合長は同じ名前なので本人と思うのだが 
それまで交通事故死は愛知県が一番だったがその数年後に北海道が一番になってゆく

年から年中ある埃を被った緑 土など滅多に見る事が出来ない日常 田舎者が何処かおかしいと身体が感じ始めてもおかしくない
それもやがておかしい事すら感じなくなってゆく 自然界に戻ろうとする帰すう本能と戻る事を許さない水槽構造 
 
やっぱし俺が思うには牛のションベンや魚の臭いにまみれても田舎者は田舎者でいいのだょ。
ゆったり流れる北海道にはIRも新幹線も要らないのだ。 

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