KATUNORIの事 Ⅱ

俺の人生は常に『 なにを今更くよくよと 』なのだ。

西郊通りの頃から右も左もわからない乱暴者だった俺を支えて呉れ、たった一つしか無い小さな足折式のちゃぶ台の上に鍋のフタを返さずにペッタと置く子だった。 
俺の機嫌を取る時は口に含んだ、さくらんぼうの軸を口の中で舌を器用に使い結んで見せる子だった。
その子を港町の藤木海運駐車場横にある、お好み焼き屋にボロ布のように捨てて全く違うタイプのKATUNORIの姉と一緒になった。

小学校すらロクに行っていない字もロク書けない俺との生活が元嫁と上手くゆく訳は無かったが
藤木海運の駐車場が頭から離れる事は無かった俺は絶対に二度と同じ事はしたくなかった。
ある日突然にやく20年続いた、たった一度の結婚生活に終止符を打つ事になった。
「 お前が新しい相手を見つけるまで結婚はしないし生活の面倒もみよう 」と別れたが
送金は現金封筒が大事なのだその手書き封筒は家族をも元気にさせる。
なぜかその後も元国鉄マンで経営者だった堅物の元義理の親父は相当怒ってはいたと思うが
元義理の弟KATUNORIも元義理の両親も付合いが亡くなる直前まで普通にあった。
大学も普通の倍も行って海外での暮らしも数十年と長かった元義理の弟は俺と同じで子孫が全くいないので
この世に続くものは記憶しか残らない 
一緒に夜を明かしパンをカジリながらバカで無学な俺に沢山の事を教えてくれた。
日本に戻って来てからの浦島太郎状態を戻す苦労やネットの未来やグルメの事など楽しい日々をわずかだが過ごした。
超几帳面で海外が長かったせいか何にでもチョコマカと手を入れて食うのが好きだった。
グルメで良い物ばかり食っていたが暮れに生きたままの八つ目ウナギを送ろうとしたが生きてるなら要らんと却下されてしまった。
ガンを発見してからあっと言う間の月日だったが俺にはKATUNORIもTAKAMIも兄貴兄貴といつも傍にいる。


マルバタで4.5坪の棚を作り形見分けの遺品を少しづつ片付けている。パソコンのプリンターは大工の春さんに貰ってもらったが 折角やったにのにとKATUNORIが怒ってるのか自分のプリンターが壊れて先日新しく買った。

不幸な関係に終わった元嫁さんとはやや七年振りに再会するが何の違和感もなく淡々と一緒に鶴のオヤジや大工の春さんに手伝って貰い空気が薄いのではないか高山病に掛かるのではないかと思うほどの6階のマンションから荷物を運んで片付けた。

KATUNORIが天から見てるのか、その後やたらツキまくっている商売人がツキと言う場合は銭しかないが、、、、、
まさか残った姉を頼むと言ってるのでないべなと警戒警報が
元嫁さんに久し振りに会って男は女にバッサリと捨てられる方が幸せと思うに至った。
でないか~KATUNORI~

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