ここに建物を建てに十数年前に来ていたゲンノで叩いてもびくともせんような大工の源さんがいつもは釘を入れる口に昼にはメシを口に入れ余程辛いのか涙をすすりながらテレビを見ていた。
弁当箱の前にちんまり置いたテレビの何も作り物のドラマを見て泣く事はないべと思ったが
あまりテレビを見る事は無かった俺がそれ以来連続小説テレビにハマッテしまい
それ以後朝の始動時間が固定されて大層不便なのだが朝のコーヒーと連続小説テレビがセットになっている。
今の『 お父さん大変な事になっています。』は時代もほぼ同じで重なる部分も多い
琵琶湖湖西では飯場が朝起きたらもぬけの空で取残されたり
松屋町筋では夜具とわずかな着替えと後生大事に持ち歩いた南光中学卒業アルバムが部屋から出され廊下に放置されていてかなりムッタシ来たりと
大都会の街を彷徨った時を思い出した。
野郎はどんなに苦労しようが理不尽な目に遭おうがすべて身になるが女子供は違う。
どこの誰であろうが女子供も守れんような奴は自分の値打ちが下がるのだ。朝っぱらから地方出の女の子をあんまり苦労させんでくれとテレビに向かって頼んでいる。
商売人はあまり儲けなかった、チョット損したと思うくらいが長く続ける秘訣と思うのだが
昭和40年代の倒産は殆んど身ぐるみ剥がれ従業員も明日食う物さえ困るのが普通で
大将もお父さんも大変だったが高度な設備がまだなく腕で勝負だった時代だったので倒産後もどこかで引きのあった時代だった。
「 身に付いた技術は盗まれないのだから頑張りなさい 」と
いつもメシを食わして貰った中村区栄生の姉さんに言われた言葉のおかげでいまも毎日がなんとか食って行ける。
すっかり不義理をしてしまってお詫びに行ったが行方はわからんかった。
いつか恩返しと思ったが代わりに目の前の事を少しでもと思っている。