南海道紀伊国石を積む


伊賀上野城壁の石を積む

川の中の石の上に家を建てる。

畑に石を積む

南海道紀伊国
ここで暮らすには気の遠くなる様な石を積む事から始まる。
ここでは田畑の土が流されない様に石を積むのです。
ここでは子供が一人増えたら住む処を作る為に食べさせる為に石を積むのです。
と加賀美幸子のナレーションが聞こえる気がした。

川の中に鉄の杭を打ち川にはみ出し家を建るなど普通に見られるが
軽がやっと通れる道に他所者がノンビリ車を止めて写真など撮る事など許される事ではない
ましてやギリギリの生活を画像で切り取る事も躊躇してしまうのだ。

今迄コロナで職を失って住む家も失ってホームレスになってもなぜ生まれた処に帰らないのか
帰ればふる里が温かく迎えて呉れるだろうくらいに思っていた。
南海道紀伊国には次男坊や三男坊がその土地に残る事など許されなく一ミリの隙間もない事が容易に想像出来た。
各地を転々として歩いた、お気楽な俺は行った先々でここに定住するにはどうやって生計を立てるかを常に考えるが
修理工か畑作なのか狩猟なのか、
ここ南海道紀伊国には何も思い浮かばないのである。
義務教育が終われば行った先の土になれともう戻る事すら拒んで様に見えるのだ。
吉野では大雨でいつ流されるかわからん川の上で捨てるしかない様な丸太の皮の次にわずかに残る厚さ2~3センチ程度の半丸の端材を集めて小さな機械で割り箸を作っていた。
割って割って割り捨てる事で誰かがやっと生きて行けるのだと
北海道はいかに恵まれているかを思い知った南海道紀伊国

辛子大根うどん

16日琵琶湖

これが最後の内地車中泊旅なるだろうと思う瀬戸内島々巡りは諦めよう
と紀伊半島南下旅を選んだが
いまだに自分の人生をどう終わればいいかが分からない
まだまだ儲ける事は大好きだしやりたい事は沢山ある。
儲ける事は大好きだがそれはただ単に数字でしかないだから貯蓄の二文字はない生れ付いての気性と遺伝子なのだと思う。
その年に食うだけ稼ぎその年暮らしが希望で楽しく終わりたいだが方法がわからん
そのヒントは奥地の田舎暮らしにあるような気がしてたのだが!

琵琶湖に象が居た時代があった。

16日10時リニューアルした琵琶湖博物館見物を予約していたので熱検知を通り入館する。
今回は各地の博物館は予約制が多くなり見れない処も何ヵ所かあった。
淡水魚飼育が趣味なのでここはこれで3度目になる。

この人はニューアル前からここに立っていた。
足元には堅田のシジミがびっしり敷かさっている その大きさは現在の物より遥かに大きく天塩川の物や網走湖でも大きいシジミの分類に入る。
シジミと言えば落語にもある病気の姉を持つ子供のシジミ売りだが江戸時代で一升桝で十文くらいで現代の価格で160円ほどだったらしい
現代の価格に比べて安いジャンと思うが当時は誰でもシジミは簡単に採れたらしい
この肩に棒を担いで野菜から一心太助の魚などなんでも売って歩く棒手振りには幕府からの鑑札を買わなくてはならずそれを仕切る元締めがいた。
ざっと考えるには棒手振りが読み書き算盤が達者とは思えない それでも商いを続けるには計算をする事の無いように兎に角仕入れた金額の倍で売る事が基本だったろうと思う。
その手法は昭和の戦後まで棒手振りは存在してやはり倍で売る事が多かったらしく
売値が10文なら仕入れは5文になるが一日売って歩き全部売れるとは限らんし 少し知恵がある子は後半は値引きなど行っていったろうと思う。
しかしシジミを収穫する側は直接売ったら倍の値段で売る事が出来るのにしなかった。
そこにはシジミ採りにはシジミ採りの矜持と定め掟があったと思われる。


水辺の掟

その時代時代で定と掟があった。
それは地政学的な位置は変える事は出来ない集落の生活を守る為にあり
年貢は現代の様に個人に課せられる事はなく村事に課せられる為に病気で稼ぎがない村民や田畑の不出来などから村民が村民を守る事にも繋がっていった。
現代の移住田舎暮らしをする為には過去を充分に知る必要がある。
書き物を読んでいて水生植物園を見る時間が無くなってしまった。

俺は日本列島は縄文だったが大陸から渡来人によって東西に分かれ
その一番最初は現在の対馬海流潮流れが巻き込む若狭湾周辺から始まり山々のなだらかな部分を伝い歩きし南下をしていったと思っている。
思込みかも知れんがこのラインの女の人は顔が弥生顔が多い特に岐阜県南部や滋賀県は多い様な気がしてる。

17日はよいよ奈良県に入るが今迄の考え方が間違えてるかも知れんと思い始める。

16日朝集福寺

16日夜明けと共に敦賀釣公園を近江八幡に向けて出発


福井県と言えば原発と言う位あるのでこれも原発かと思ってしまったが石炭火力だった。
石炭を運ぶベルトコンベヤーが凄く大きく3隻の石炭船の中にハングル船名の船が1隻港側にあるデリックブームを使い石炭を荷揚げしていたが全部終わるのはいつの話と思ったら帰りもまだ荷揚げ作業をしていた。

俺の大恩人でもあり足元どころか足の爪の先にも及ばん森本正義さんは
常に商人は政治の世界には近づくなと言っていた。
この毎日韓国がドッタラコッタラ言ってる時にハングル船名の石炭運搬船が入港しているが
なんだこの政治のマッチポンプはいまや政治は何を目指してるのか信じるに値はするのかと思う。
相手が誰であろうが無駄を省き利益と将来を見越して商いをするのが商人(あきんど)。

明治に出来た北陸本線沿いに看板めっけ
何か線路の向こうが明治から分断され凍結保存がされて居そうで気になるので戻ってガード下をくぐる。

出ました内地の雪国特有の二重屋根に土壁
土壁は北海道でもペーパンなどに行けば見られるがこの二重屋根は内地の雪国特有の物だと思う。

さらに進むとこの藁葺屋根に瓦風トタンだと思うが屋根を載せた構造の家々があちこちに沢山ある。
北海道の屋根は単純に雪が良く落ちる事がメインで屋根に対して特別な思い入れはないと思うが
内地の奥地にゆくと屋根に何か特別の思い入れがある様に感じる。
この丸に違い鷹の羽は全国アチコチにあるがここは集福寺で北近江になる。
北近江と言えば浅井長政で浅井家の家紋もこの丸に違い鷹の羽
お~お~浅井家の子孫だろうかこれが北海道には無い内地旅の醍醐味なのだ。
住民の話を聴きたくしばらく付近を不審者風にウロウロしていたが朝早く人を見掛ける事がなかったので断念し先に進む

他所から来て言うのもなんだが折角集福寺があって北近江にこの建物 景観もヘッタくりもない
だいたい都会のコンサル会社が自治体の酋長に
「 旦那~こんな現代風の箱物どないでっしゃろう~おおきに~ 」
と揉み手で提案するのだろうと思うが
未来は過去の延長線上にありバイクも自転車も急激にハンドルを切ると倒れ車道側に倒れると車に引かれ即ナンマンダブ~になる。

丸子船発見

北前船から小浜に降ろしたコンブやシメカスや棒タラなどの荷物はこの丸子船を使い琵琶湖を横断し京や大阪に運ばれ
北海道では今や相当古い場末のキャバレーに行っても棒ダラを食う習慣は無くなったが京の棒ダラ料理は残った。

前回沖島に行った時に地元の古老に聞いた処によると途中で荷物を横取りしたのが堅田の湖族らしい。
内地はこの山の常を越えると隣村をクソ味噌に言う傾向がありその辺りは北海道とは違う北海道は歴史が無いぶん領土意識はない
ま~よそ者にとってはそれも面白く
「 わたしの耳はロバさんょ~人の不幸は蜜の味 」状態なのである。
腰の曲がった爺ちゃんや婆ちゃんが言う分には大した事はないが現代の顔を見た事もない弱い相手に言うのは気狂いにスマホ状態なのだと思う。

俺は毎日顔を見た事もない相手とメールのやり取りをしてると顔が見えないぶん過剰に反応してしまうが
揉め事は直接電話で話をする様にしているが意外といい奴が多く
チマチマとセコイ奴はたまに居るが本当に此奴は悪い奴と思う相手には遭った覚えがない。

15日敦賀港

すずらん17000トン 速度27.5ノットの昼食 いい加減に食った後の鯛とうどん
注文はタブレットだと思うがこの画面で注文がある度に背後で
ペロン~ペロン~と地震注意のチャイムがなる。
気が小さいのでいったん気にし出すとメチャクチャ気になる。
なんか他にメシにあう音があるべや~箸をブン投げてカウンターの下に潜りたくなるべ~とデリカシーに欠けるなと食堂のネエチャンに申し付ける。

万華鏡状態になってる船内で自画像を撮る。
この船に乗る時に検温をしたと言う事は帰りにもし熱が出た場合は
飛行機はダメだろうし新幹線も危ない北海道に戻るすべがない
方法は車は諦めて密航か大間から漁船でもかっぱらって戻るか
海を越えると言う事はそういう事なのだ。
こいつは少々ヤバイ事になるかも知れんと思い始めた。
もし免許点数が残っていない場合は捕まりそうになったら どっちにせ免許が無くなるなら一応逃げる努力が頭に浮かぶと思うが
その無法状態で逃げて二次災害を起こす事はよくある事なのだ。
これからは海を越えて日本に働きに来る子達には手厚い保障と保護がないと少々危ない事になるのではないかと思った。


窓の外が大きなターンテーブルになってるがこれでトレーラーを旋回させるのだろうか

敦賀に15日20:30分に着 すぐそばにある釣り公園で一泊するが
その前に市内巡回に出掛ける。

コロナなのでオープンテラスでラーメンを食う。
ツナギの作業服ととても愛想のいい顔とは言えないが
こういう場所ではいつもなぜか話掛けられる。 今回はマスクもせん酔っ払いの訳あり風のニイチャンがわざわざ近寄って来て地元か何処から来たとかと色々と話掛けられて散々聞かれた。
普段ならどって事はないがこのご時世なのと海を越えて来てるので
適当に話を返し北海道に来る事があったら寄ってくれと話を打ち切った。
思えば愛知県に居た時はあちこちに散々世話になって育てて貰ったが福井県とここまで近くに来ても不義理粗相の連続と半世紀近くも前で
代替わりもしているだろうし看板も変わってるかもしれんと顔を出せる処は無いし恩返しも恩送りもしていない
せめて旅先で出逢った人にはこれも何かの縁だろうと思うので北海道に来たら寄ってくれと言い続けている。
この後は愛知県に居た時の本当にすまない事をしてしまった夢をリアルに戻るまで見続ける事になってシマッタ

14日出航

この怪しげな顔は俺だが熱測定カメラを通り越さないと乗船切符は買う事は出来ない
無事通り越し苫小牧東から敦賀に向けて出発なのだが
敦賀からのフェリーが苫東に着岸したのが14日20:30分
それからすぐ乗用車やトレーラー車両を降ろし 今度は積込みが始まり終了と同時に出航したのが23:50分
乗用車は20台ほどであとはトレーラー箱が150台ほどと大型車が数台

トレーラー箱に荷物は全部入ってるのかと出港して安定航路に入った時点でフロントに聞きに行った。
答えはこの季節に意外な事に苫東から出る箱には殆どが荷物は入っていて
敦賀からは船の甲板が空いた時に空の箱を運んで来る事が多いとの事だった。
新日本海フェリーは小樽は土日は出航するフェリーは無いが苫東は毎日出航している。
これは道東方面が荷物が多い事なのだと思うし北海道はこのフェリーだけを言えば内地に向けて輸出の方が多い事になる。
積荷が農産物や水産物だとすると何がなんでも北海道ブランドは守る必要があり
それは寿都や神恵内などの一町村の問題ではない

入れ替えに3時間ほど掛かっているが
船内甲板でどんな作業をしているかわからないがおよそ150台を降ろし150台を積む作業を180分×60秒 一台あたり36秒で出し入れをする事になる。
若かりし頃は数センチ刻みでトレーラーを動かした俺でもトレーラーはバックも難しいが前に進む事は内輪差が大きくバックよりかなり難しいのだ。
苫東の枯れすすき原の何もない誰も見ていない深夜に何処からか集まって来るトレーラーヘッドの運転手さんと甲板作業員の作業を待機ヤードで見ていてその早業に感動すら覚える。
感動して見ていて船が動き初めて
これはかなりヤバイ事だと気付いたがすでに出航している・・・・・次回に

経済が~〇~

浜に春らしい季節がやって来て久しぶりに桁船船団が出漁して戻って来た。

ナメタとソウハチを大量に貰った。
木箱には三寸と三寸五分がありこの辺りは三寸五分が多く
カレイは箱の中に綺麗に納まる為に三寸五分にこれだけあると20キロ以上あり一人では食い切れない
ご近所様に分けるのだが一隻だけが大当たりはあまりなく均等にあがる為にここの町は魚が余り
喜んで貰ってもらうには中々難しい
その為に近隣市町まで配りにいくが結果は秋に野菜だの米だのと大きくなって戻って来る。
お返しに返すものは手に職がある者は手間仕事でとこれが田舎暮らしの面白さでもある。

申告が終わったので五畿七道山越えの旅に出ようと思う。
昨年の売上高は過去最低の散々な結果に終わったが売上嵩(カサ)と利益やキャッシュフローは連動はしていない
その為に忙しかった割に決算は良くないと言う事は往々にしてよくある事なのだ。
世界で何番目と言うほど頭が良ければ別だが自由競争社会で売上を上げる為には利益は下げる必要があり その為に売上と利益は連動はしていない
さらに売上が少ないと小さな店は小さいなりと一時的な資金の逆起現象が起きて来る。
これが実体経済とはまったく違う金融経済の株価上昇を招くが
それは本来の商売のあり方ではなくただの虚業でしかない
国内の企業には460兆円と言う内部留保がありながら
今迄企業を支え育てた従業員が社員であろうが非正規雇用であろうがこれだけ追い込まれても助ける事すら出来ない
それは儲けた金を投資という博打につぎ込んで資産としてはあるが使う事が出来ない紙に替えたからなのだ。
今でこそ株券は電子化されてるがペーパーマネーは本当に困った時には紙は食べる事は出来ない
それは船で漂流した時に精々染み出て来る隙間に詰め込む程度の物なのだ。

漁業であれ農業であれ商業であれ工業であれ業とは生業であり生を保つ為に業があるのだと思う。
売上が落ちた時にこそ次に備え資金を今まで以上に有効利用する事が大事になってゆく
それはシケが続いた漁師の様に
漁船員の生活確保の為に出戻り三分と言って出港出来なくてもディーゼルエンジンを始動させるだけの為に船に集合して給料の基本給を払い生活の保障をする仕組みがあり
ほんとに小さな集合体のド田舎でさえも生き活をする為の仕組みが出来ている。

いまメデアがマスゴミだとかこれ程叩かれるのかと言うと
経済をなんとかせんとイカンと言う顔ばかり画面に出し
センセーショナルばかり狙い実体経済や庶民感覚をまったくわかっていないのだと思うしその責任は大きい
あと数年もすると普通にテレビを見る様にユーチューブ画面を見る時代が来るだろう。
その時に生き残る事が出来るメデアは切ったらチ~が出る様なまた見たいと思う無垢の番組を作った者しか生き残る事は出来ないだろうと思う。
たった今起きてる事もすぐ過去になって今起きてる事を記憶や画像に残し次に繋げてゆく事が出来る業界だけが生き残っていけると思うのだが

経済を回さんとイカン~経済が~
いま都会は経済と田舎は業とまったく違う処を歩んでいる。

今回はあれっと思う運転をする様になったので内地車中泊旅も今回が最後になるだろうと思うので五畿七道は北陸道から南海道を横断してみようと思う。

自助・共助・公助

戦争は政治の最大の失敗であり政治家の犯罪でもある。
下々もすべての犯罪には時効はないと覚悟する事が必要なのだ。
中々出来ないがどこかで埋め合わせをする事と二度と同じ事はしないと誓い続ける事が必要なのだと思う。

震災から10年たったとニュースで流れるが当時は個人としてはやれるだけの事はやり切ったとの思いがあるが
逆に商人として学んだ事もある。
最初は自衛隊の車両が優先で一般車両がフェリーで東北に行ける様になって暫く立ってから物資運搬に行ったが何処も道が瓦礫をただ脇に避けた状態でパンクするから路肩には寄るなと言われた。
そんな中で小さなプレハブでローソンが営業をしていて灯りを求めて人が集まっていた。
商いとは通りに灯りを点け続ける事なのだと知った。


寒さ凌ぎになればと思ったが服は葬儀用の服が必要と言われ防寒着などはすでにあると言われた。
震災からたった数日で大型トラックが来て着る物や食料は貰ったとアチコチから聞いた。
そのトラックで駆け付けた人達は阪神大震災を経験したナンチャラ組や全国の関係者達で
親分の命令には四の五の言えない統率力が素早い行動になった。
その行動は自分への何処かで世間様への穴埋めにと頑張った者や免罪符になった者も居ただろうし
自分の人生で他人様に喜んで貰える喜びを知った者も違う道への切っ掛けになった者もいたろう。
真っ当なシノギの世界に移った者も多く居たろう。

2011年秋、震災の年に暴対法5年しばりが出来た。
これは人として生きる事を拒否されたと言っていい地方条例で組を離脱しても5年間は口座を持つ事も家を借りる事も出来ない
いまや仕事に欠かせない携帯を持つ事も出来ない
宅急便を受け取る事すら出来ない
これでは菅内閣総理大臣様の言う
「自助・共助・公助」で立ち直りをせと言うのは出来る訳がなく
公助が一番最後に来るならなんの為に国にミジカメ料を払って
なんの為に乞食官僚を囲ってるのだと思わさるのだ。

これなら以前の仲間に共助を求めるのは当然の事で
震災の年に出来た5年縛りは人生で初めて折角芽生えた他人様に喜んで貰うと言う喜びの芽を摘んだのは確かなのだ。

さ~どこにいくべ~

冬の仕事も終わりに近づいたし申告が終わったら恒例の旅に出る、
今回は何処にいくべ~日本のヘソと言うべき舞鶴から和歌山か山陰か越後かとはたまた東北かと考えるともう毎日がわくわく状態なのだ。

広島県庄原


蒜山 出来る限り旧道を走るのだが何処を走ってるかもわからんで腹は減って来るは店はないはで見つけたのがここ蒜山で焼きそばを食った。
初めて食べるイノシシをゴチになった。

地元の普通の日常を見れたらいいと思っているので
いわゆる観光地には行かないので一流の接待などはして貰おうと思っていない
顔を知られていないこそ旅で
それは普段の自分がどうやって暮らして来たかが自然と滲み出て
そこには見知らぬ自分をどう受けて呉れるかという自分が試される場だと思う。

旅は今迄の総決算でもあり右に行こうか左に行こうかと新年度の予習でもある。

修理工と言う日常の仕事そのもが旅で
何が悪いのだ、原因は何なのだ、対策はどうしょうと未知への旅をしてる様なものなのだ。
毎日の仕事が旅でムッタシ来る事もあればまんまと予測があたりニンマリする時もある。
こんなワクワクする事は日常の中に足元に沢山あるのだ。

角をまがったらそこから旅と言ったのは永六輔
作られた接待やおもてなしなどあまり興味はない
切ったらチ~が出るようなムクの日常を垣間見れたらうれしいのだ。
フェリー代別、燃料代込み一日5000円の予算でさ~どこにいくべ~

ナースウェア


搔き集め固めた雪を飛ばす為のブロワーインペラ


その裏側、除雪機を使ってる人も大方の人はこの裏側を見る事は無いだろう。
ブロワーで大事なのは普段見る事の無い裏側の構造で
現在のこの形になるまでは結構な苦労をして来たが
しばらくはこの形以上の物は出て来ないだろうし今までの物よりはそこはかとなく美しさがある。
裏側から見ると翼延長線の根元は中心には向いていない事がわかる さらに丸い輪の構造がとても重要な役目をしている。
このメーカーはベルトも通常の赤ベルトより数段強度の高い物を純正品として使って来たが
この形になって凍結やベルト切れなどが無くなって来たし遠くに飛ぶ様になった。
機械も純粋に機能を求めるとそこに美しさまでが感じられるのである。
これが外から見える部分になるとデザイン性を求められて形に歪な物が出来たり、その外観の為に作業が難しくなったりコストが増えたりする。
機能性のみを追求しデザインは二の次にした結果が美しさを醸し出し
普段見る事が無い場所や物にも本来の美が存在する。


中頓別公園  航空自衛隊 F104戦闘機 最高速マッハ2
俺は自衛隊を思う時に我々は戦わない為にあると言い切ったノーファイトとの出逢いを忘れる事は出来ない。

日曜日にN先生にメシをゴチになり話を聴きながら
最初から見て呉れを追求する政治や芸術やデザインより本当の美しさは普段見る事のないうち側の中から沸き出るものなのだと思った。

俺は世の中で注射ほど嫌いな物はない それが毎日毎日テレビニュースで注射する場面が流れ恐怖に震えてるが
それでも時期が来たらコロナ予防注射はしようと思う。
一つには誰かに移さん為に
もう一つはなんの変哲もなく機能性重視のナースウェアが美くしいから

八戸南部せんべい

あれから三日しか立っていないがもう大分前の事に感じる。
眼の前に居たトラックと何処ではぐれたのか思い出せん
多分厚田道の駅か望来かだと思うのだが
わナンバーユニックは俺もよく乗るが積荷にもよるが4駆しか乗らん俺にはとても運転はしにくい
この路線を冬走るのはとても大変な事なのだ。
さらに普通免許で乗れるトラックは給料も安い
冬には鮮魚運搬トラックに乗った時期もあったが
いまは農天気に暮らしてる俺には戻りたくない仕事の一つでもある。
わナンバートラックは荷台確保の為に運転席では足を伸ばして寝る事は出来ない リクライニングがせいぜいなのだ。
あと何年身体を張って稼げるかわからんんが 出来る事なら一生を身体張って終わりたいと思うし
手を油で汚し身体を使うその世界で過したいし、その世界から出たいとは思わん

ホルモン焼きが食えたら牛ステーキなど一生喰わんでもいい
ここに居たら海鮮など普通にある。
ただ喰い方に問題がある。
国会で牛ステーキだの海鮮だのとニュースで聞いた時にはなんの話かと思った。
俺は扇動はせんが国会議事堂でデモがあったならチャンスがあったら行ってみたい
カッと来たら後先考えない性格なので戸が開いていたら中に入る事だってやるだろう。

頭はいい連中なのかも知れんがこれほど末端で身体を使って稼ぐ者達を小バカにし嘘を付きまくる連中はかつて居たのだろうか?

頭がいいと言えばピーチ航空を新潟で途中下車した東大卒らしい男が居たが
買えない訳でもないだろうに たった一枚のマスクに人生を掛ける。
34年間生きて来て自分の人生で生きていてよかった。
嬉しかったと
誰かに救われた事も誰かの手を引き上げ救った事も無かったのだろう。
ポケットに入っている小銭を世界の子供達の為に募金箱に入れた事もないのだろう。
どんな悲惨な場に、舞台に、居るのだろうとそう思う時に俺は奴が可哀想でならなかった。

舎熊のセーコーマートには焼酎ボトル募金箱があるが中に大量の小銭と一緒に千円札が数枚入ってるのだ。
それ見る度に500円で暮らしてる俺は凄い奴が居るなといつも思うのだ。
そこはいつも猛吹雪の時は避難場所になっていて無事に立つ事が出来たそのお礼なのか

34歳のピーチマスク男には春になったらもう一度北海道に来て231を歩けと思った。
牛ステーキ海鮮連中やガ~ス~野郎、お前たちは北海道の地は絶対踏むな汚れると
猛吹雪の待機中にニュースを車内パソコンで見て猛烈に腹が立った。

翌朝

札幌からやっとこさ戻ったら一度も逢った事がない八戸の人から機嫌直せとばかりに
八戸南部せんべいが届いていた。
大した役にも立っていないのに感謝感謝ありがとうございます。
いつもの悪い癖で散々食ってから写真を撮った。