16日日光街道から4号線に

  
東北で見る蔵の屋根にさらに屋根が乗っかってる置き屋根と言うらしい
 
目的地まで時間があったので昭和村に行ってみる
ふたつの村が昭和2年に合併したので昭和村となったと掃除をしていたおばさんが教えてくれた
 
ひとの村の事は言えんがホント店も何もないあるのは何処に行っても立派な墓がある
墓の数は歴史の長さでもある

 
日光街道を南下して鬼怒川温泉に出るが閉鎖された温泉ホテルが沢山あった
規模は定山渓温泉と層雲峡温泉を足してもまだ全然足りないほど大きいが歩いてる人を殆ど見かけない
この施設を作った当時はまさかこんな時代が来るとは思っていなかっただろうに
インバウンドに頼っても迎える仲居さんも外国人では洒落にならん
もう打つ手はないのか この時代変化のスピードに対応にするには規模の大きさはかえって邪魔になるのかも知れない


距離と時間の予測を北海道の感覚で予測してしまいすっかり遅くなってしまった
北海道は60キロは1時間だがここは20キロに1時間掛かってる
埼玉には朝5時に着く為に夜道を走る羽目になってしまった。
国道4号線で車の流れに乗る事が出来ずに時間ばかり掛かり回りの職業運転手に迷惑掛けているが
夜道を次から次と走る大型トラックに田舎者にはこれが人間の暮らしなのかと思ってしまった。
ひとりのドライバーが運べる荷物は多くて20トン コンテナの積み降ろしに一日余分にみたら貨物列車で何百トンをひとりの運転手で運べると思うのだがJRは廃線しか頭にない様な気がする
もう俺自身も国内は3日で部品が来ると思ってしまってる
俺の部屋の20メートルほど裏にある線路に列車が走らなくなって9年になる


道の駅 庄和 クレヨンしんちゃんで車中泊 明日はよいよ目的地

 
ここに着く前に「道の駅しもつけ」で「手切りうどん」とかで幅がランダムに広く北海道では見た事がないうどんを車の中で食う
これがやたら美味くてその後見掛けたら買い食った

「しもつけ」で大河ドラマ「鎌村殿の13人」に出て来る上総広常はこの辺りの出なのだろうかと思った
字が書けない上総広常が頼朝に子供の字かと言われながらも字を書く練習をしていたのに
頼朝によって謀殺されてしまう
ドラマは作り物なのに字を書けないのが自分に重ね合わせなんとなく可哀想にと思ってしまった。
明日はよいよ早朝に目的地に入る

15日西会津


信濃川右岸に後進で着岸するのだが狭い処にさらに流れがあるからかタグボートが付き添って
着岸する
それが見てると直接押すわけではなく付き添ってるだけで船の前後に付いてるスラスターでする着岸操船は凄いと毎度感心する
15時30分新潟着なので明るいうちに西会津道の駅に向かうが寄り道につぐ寄り道で暗くなってしまった。

 
何が感心したかと言うと内地の道の駅はゴミ箱が設置してある
北海道の道の駅はゴミ箱が無い為に早朝の国道はゴミがアチコチに散乱してる
コンビニもゴミ箱は撤去してるので処分に困ってキャンピングカーや旅行者が捨てるのだと思うが
観光地でゴミ処理は必要経費だと思うゴミ袋を持っては歩けない
有料でもいいからゴミ箱を設置しないと車の場合は人里離れた場所に捨てるのでキタキツネと同様にヒグマも呼ぶ事にもなりそう
俺は80サイズのダンボール箱を持って行き中にゴミを入れて持って帰って来るが
生ものは匂いがするので冷蔵庫に入れて来て帰ってから処分するのだが
今回は折角なので道の駅で捨てさせて貰った。
ここで買ったゴミは隣の道の駅に捨て、隣の道の駅のゴミはまた隣の道の駅に捨てる。
輪廻転生

 
西会津道の駅は町の中にあり歩いて数分の処に食堂や居酒屋が何軒もあり呑む為にここ西会津道の駅に来た。

隣に止まってる軽が北見ナンバーだったので少し話をして呑みに行かないかと誘ったが断わられた。
ブラブラ歩きながら団体で歩いていた人達に聞いて来たのが鳥重さん
西会津で作っているお酒「水の音」を頂く
美味しいお酒で焼き鳥なども美味しく二本も呑んでしまった お代は3800円
店主さんは偶然これから行く今回の目的の埼玉のある街に10年ほど住んでいたとかで色々な話が聞けて良かった。
まったく知らない処で呑むのは自分の器量を試されるのだ

 
夜明けとともに会津若松に向けて走る
 
ころり立木千手観音
これが北海道にはない歴史の凄さで1200年頃に作られたらしい中にデカい観音像が立っている
大概の平野は何処か一方は海に繋がる平坦な道を持っているのだが
会津は広い平野だが四方を超える事が難しい険しい山に囲まれた珍しい地形で閉塞された盆地が出来ていて峠には登れない車があるから注意とアチコチに書いてある。
この地形は会津独特の文化があっただろうがそれは新しい情報も入らない事を意味する
それが明治維新の時に遅れをとった一因と言われているらしい

 
会津の子は背筋が伸びてる
いまでも子供は剣道か弓道を普通にしてるとの事なので女子供だからと言って侮ると痛い目に合いそう

 
鶴ヶ城 城を見る時に土台を見るが作りが凄い
城のすぐ傍にあった支那ソバ屋で支那ソバ800円を食す
昔はラーメンは支那ソバと言ったが現代では中華そばと言うようになった
いまは支那と言う言葉使われる事は少なく支那竹とは言わないでメンマと呼ぶ
日本で言えばジャップに相当する言葉と思うのだが
見た目根性のありそうな店主が一人で作っていてかなりの人数が食べていた
食って店を出る時に美味かったと言うと満面の笑顔だったので会津人の一途さか何かこのひとなりの訳があるのだろうと思う。
俺など根性は無いし嫌だと言うひとが居るならまったく名前にはこだわらない
今まで数軒の店を作って来たがその地その地で名前は違う。

14日苫小牧出航


今回は小樽出港フェリーが満車で乗船出来ず
苫小牧から19時出航なのでゆっくり支笏湖経由で向かう
北海道の道は車も少なくカーラジオも聞かないので考え事をしながら走るのは丁度いい
この広さに日本の4パーセントの人しか住んでいないで2時間も走れば都会に行く事が出来る
高い山々には遅くまで雪が残る為に本州と違い水不足が起きない
何処に行っても水と土があるとても恵まれた大地で
このまま行くと米は北海道が多く作る事になるだろうと思う


物流苫小牧港 北海道では一番大きい港でRORO船やコンテナ船が何隻も泊っている
ここに来る度に思うのはこれだけの荷物が道民500万人の生活の為だけに有るとはとても思えない
世界中から物が来て世界中に物を出してるから荷物があふれてるので
世界の中の一員の北海道なので自国第一主義や排外主義など偏狭な考え方なのだ。

時間もあったので苫小牧はホッキ貝が産地で漢字では北寄貝と書き
時化の時は浜に寄り拾う事が出来る場所に行ってみる
殻は沢山あったが時化でないので身は入っていなかった
ホッキを無性に食いたくなり港の食堂に行ってホッキカレーを食った
1600円は観光客価格と思うが美味かった
この観光客価格に頼る事は早晩自分の首を〆るだろうと思うのだが
理由はいくつかあるし現実にそうなってるだろうと思う場所もある

ラーメン屋で春になったらメニューにホタテカレーを作るかなと思ってシマッタ
なんでもやって見たくなるのは、ここが俺のダメな処で結局は徒労に終わる事が多く銭も無駄にする
ただやってみて難しいと言う事だけが残るだけなのだが・・・・
ラーメンは屋台でも店がボロでも成り立つがカレーは店構いも味の内の様な気がするので
やっぱり俺の店では無理だと・・・・・
それでも自分用に戻ったら作ってみようと思う 出がけに作った塩トンコツラーメンも美味かったのでまた作ろうと材料は買ってある。


夕方7時 津軽海峡を通り秋田新潟に向かって出航
誰だったか津軽海峡を場面にした小説があったが題名も忘れた
が乗客を観察して勝手に推理するのは船旅の面白さでもある。

13日人生最高の記念日

13日に札幌で可愛い可愛いNちゃんの結婚式に出席するのだが
回りから雪駄は履いていくなとかドレスコードやマナーは守れと言われ
お気に入りのダブルの背広を着ようと出してみたら虫食いで穴が開いていたので
他のネービーのツーピースに靴はタッセル付きのローファー
時計はボストークからスイスのナンチャラまで数点あるうちのRナンチャラをしてと用意は万端で早朝ここを出発
マナーとは俺にとっては招待してくれた相手に恥を掻かせない事だと思っているが
俺が身に着けるとすべてが偽物に見えてしまうのだ。

穴の開いた背広は途中で札幌苗穂イオンのかけはぎ屋に修理に出す事にしたのだが
修理代は5ミリ四角が数か所あり合計11万ほど掛かるとの事
勿体ないが予算オーバーで断念して車に戻ろうとしたが
兎に角広い屋内駐車場でさらに上にもあり何処で止めたかわからんなってしまい
ちっちゃな軽を探すのに何十分も掛かってしまい教会には時間ギリギリに着く羽目に

人生初めての教会での結婚式なのだが
来賓者達とは違い人相風体ともに怪しさと場違いを痛切に感じながら緊張してしまった。
祝いの席なので呑まずには帰れないと近くのホテルを探すが無い
あるのは俺の主義とは違うAホテルのみだったので
ヒグマに食われるかも知れんが藻岩山スキー場で車中泊に決定


結婚式場 藻岩山にある教会

「 病める時も健やかなる時も… 」に新郎がハイと答えるのをしっかり聞いた
確かに聞いたぞと
親族の写真を撮って次に俺の名前が数回呼ばれたので財布でも落としたかなと思ったが
新郎新婦の間に入って写真を撮ると言う
何かの間違えかと思ったが理由を言われてグッと来てしまった。
祝宴は入口に高そうなワインやシャンパンらしい瓶が沢山あって
これは日本酒しか呑まない俺は我慢かと思ったが席に着くと
俺宛の二人からの手書きメッセージが置いてあり読んでなんと言う事かと涙が出そうになった。

4人席のうち3人がなぜか日本酒を呑むと言う 酒はスマホで注文するのだが
俺はスマホを車に置いて来て持っていず他のひとが注文し酒を貰う事になった
テーブルにはナイフとフォークとサジがありこれまでの人生で一度も使った事がなく
マナーも使い方も知らんので
右隣に座る三丁目の夕日に出て来る茶川竜之介そっくりオヤジがどう使うか見る事にしたが
ナイフを右手に持ち小指をチョイっと持ち上げるのがマナーらしい うんうん
すると真向かいに座る勉強が出来そうな若者が俺は日本人だからとワリ箸を持った
お~お~よく見ると袋に入ったワリ箸があるではないか
いつもラーメンのワリ箸しか見てないので袋に入ったワリ箸には気づかなかった
俺もワリ箸を手に取って見た事もない料理を摘まむのだが
いかん緊張のあまりワリ箸を持つと右手小指がグッキと上がるのだ。
楽しい祝宴が終り俺は坂を登って車に戻り車中泊をして翌日14日は苫小牧東からフェリーで新潟に
出始めが目出度い結婚式なのでいい旅になる事は間違えない

もし日本に飛行機と新幹線が無かったら自民党は大敗しなかったのでは
選挙区から国会まで列車を乗り継ぎ雑踏の中に庶民の姿と声を聴いただろう
川端康成がトンネルを抜けると雪国だったと言ったのは上越清水トンネルだと言われているが
峠を越えた時にまったく違う景色が表れるのはたった1.2キロしかない中越三国トンネルでも同じで天気も変わる

上越だろうが中越だろうがどっちにせ関東平野と日本海側では生活も規模も大きく変わる
そこに地元代議士が必要とされ
その大先生様がお選びになる、お頭を総理大臣にしようと言うのは当時は自然な流れだったのだろう。

 
上越妙高から群馬に向かう途中の急な坂にある集落

土地への執着がない流れ者が多い北海道では考えられない所にも内地はひとが住んでいる
旅に出るつどに関東平野東京の価値観をベースに考える事に政治家のずれがあるような気がしてならないのだ
商いの鉄則 価値観や格差などの違いに価値があり利に繋がっていく
嫉んだり叩く事だけではメシは食えない
俺の持っていないものを貴方は持っている 貴方の持っていなものを俺は持っている

石破総理戦後80年所感発表

昨夜NHKプラスで石破総理の戦後80年所感と記者質問を最後まで見た
さすが著書を数十冊を書いただけあってこの人らしいなと思ったと同時に自民党は終わったと思った。
自民党の大敗はこのひとが総理をしたからでは無い それ以前から崩壊に向かって行ったのだ
美しい日本を作りましょうなどとスローガンに言いながら実際は森友から始まり桜をと酷いものだった。
3本の矢もナンチャラミックスもスローガン
スローガンに頼るのは自分の不出来を隠す為にあるのだ
峠を越えた処に住むオヤジがここに来ては
「 俺は余計な事は言わない男なのだ 」と言いながら毎度1時間は油を売っていく
聞いていてオイオイそんな事言って大丈夫かと思う不確かな言葉が
余計な事は言わない男の口から次々と出る 田舎でもスローガンなどその程度のものなのだ
言葉はやがて消えていくが文字は残る
人類史でも文字を持たない文明は滅びていっている
20数年雑誌数社に原稿を書いて来て文字を残す事は最大の注意が必要で
大損の元にもなる事を身に染みて知っている
1行の文字に確信や裏を取る為に1時間掛ける事などザラで石破総理はどれほどの時間を割いて来たのか
その為に自分の身の回りなどに割く時間はなかったのだろうと思う
文字を書く人は細心の注意が必要で著作はその人なりを残してゆく
石破二朗の息子、石破茂総理の話は聞いていて安定したいい話だった。

自民党議員も党員も後悔先に立たずと知るだろう。

偽善者です

土日ラーメンは過去最高売上を出して日曜で今期終了
一番売れてるホタテラーメンのホタテを臼谷漁港の漁師さんを回り仕入れに行くのだが
海水温の影響か4年物の大きいサイズのホタテを買う事が出来なくなり買えても5割も値上がりするなど仕入れに苦労した
例年通り最終日にはその場に居た人達で残った物を食って酒類は呑んで処分し大掃除をして電源を落としてガスを止め終了
来年はホタテが買えないかも知れない そうなった時に浜で働いて貰っている雪も降らない海外から来た沢山の人達はどうなるのだろう。

もうすぐ冬が来る あ~あ~嫌だ~

代わりになる目玉ラーメンを考えてるのだが他の貝類は好みが大きく分かれ
ホタテに勝る物は無い
何か食材を探さないと思案してる時に次はヒグマラーメンかとニュース見てると
箱罠で捕獲されたヒグマのその後を思う時にせめて箱罠画像を流すのは止めて欲しいなどと思ってしまった
半年間散々豚骨や鶏でラーメンスープ作りをした偽善者なのです。


北海道常呂郡佐呂間町栃木 幅1キロ奥行およそ7キロほどの空の狭い土地でよほど行く気でなければ通る事はない
明治44年 栃木県下都賀郡南部7町村の鉱毒と水害による生活困窮者二百数十名が移住して出来た村

最後の車旅行になると思うので何処に行こうか毎日地図を見てるが
関東平野は北は栃木と群馬まで広がりその広さは十勝平野、釧路平野、石狩平野を合わせたほどあり人口は4千4百万人が住んでいる
改めて見ると関東平野はダークマターのようなひとつの国と言っていいかも知れない
その中心に殆どの国会議員が住んでいるので現在の状態はなるほどと思ってしまった。
さ~何処に行こう~
角を曲がったらそこから旅と言ったのは永六輔 歌はジェリー藤尾

終了

本当に本当にと何回言ったか数えていないが
同じ言葉を繰返す人の特徴は根性論やスローガンに頼り理を後にする傾向がある
と言うか理に疎いと言う事は物事を組み立てて考える事が出来ない能力に問題がある
残念ながら経済はスローガンや根性論だけでは進まない
利益を出さなければ電気代も水道代も払えない
根性で乗り切ろうと思っても支払いの遅延を生み周りに迷惑を掛ける破産などもある
鹿を蹴った、だからどうしようなどとスローガンや根性論で世界と競争する経済が上手く行くほど甘くはない

今日でラーメン作りが終了するが本当に良かったと思う
日本はこれから何処に向かうのかと思うともう物を作って食べて貰うと言う心境にはならない
これから右傾化と排外主義は進むだろうが
嫌ってるのに来て働いてくれと言う自民党総裁候補者達
一定数が来ると玉石混合は当然の事なのに何処の国よりも、いい人材だけを取ると言うほど賃金は高くない日本
対策は迎える気持ちと安全と住み心地しかない

これから軍拡が始まるだろうがそれは不安をあおり来るかも知れない、来ないかも知れないと言う
金の無駄を覚悟でしなければならない
さらに兵器は日進月歩で毎日が新しい兵器競争で負ければ無用の危険物となる
一番新しい物は一番最初に古くなると言う途方もない軍需技術競争と不安な精神面に追い込まれていく
そうならない為に相手に必要とされる国になる事が必要で
それは食料なのか何かの技術的な手助けなのかそれぞれの分野で相手に必要とされる事が大事なのだ
必要とされない事には経済もヘッタくりもない
狭い国土の日本は決して自国第一主義や排外主義や軍拡だけでうまくいく話ではない

あと一週

ラーメン屋も5日で総裁選が終わる頃に今年の営業が終了する
立ち仕事で右足は痺れ立ってるのもやっとだったがOさんがわざわざ持って来てくれたツムラ68を飲むとかなり楽になるのだが
身体が薬に慣れきってしまわない様に飲むのをチビチビと飲んでいる
今までの人生で点滴はたった一度しかした事がない俺はお医者さんに自然治癒力が凄いと言われてるが
修理業は人間も機械も様子を見ましょうと言う時は指示を守って呉れる事が条件なので
先生に言われた飲む時間と用法は必ず守る
家賃ゼロ円、償却資産で営業して20年値上げしてないラーメンは来シーズンも出来るかどうかわからないが残りの人生をもっとゆっくり営業したい

総裁が総理になるとは決まっていないが
いまの世界情勢を見ると闘うとか対立や排外主義は悲惨な結果を招く事を毎日見せつけられている
いちど選んでシマッタ指導者は嘘を付く事になんの恥も持ち合わせていないし身勝手で非道な行動をする事は
ネタニヤフやプーチンやトランプを見るまでもなく日本でも兵庫知事や市長達を見てると
選んでる者にも責任もあるし指導者はいったいどんな親に育てられたのかと疑ってしまう
いま日本の総理に求められるのは世界の対話と協調の仲立ちする事で対立を煽る事ではない
商人は作り手も立て、消費者も立て、必要とされ自分の立場を最後に持って行く事で成り立つのだ。

奈良の女ならどうした

「高円の 秋野の上の 朝霧に 妻呼ぶ雄鹿 出で立つらむか」
北海道では雄鹿が牝鹿を呼ぶのは春でビヒ~ヒ~と高いその声で目が覚めるほどなのだ
高市早苗が総理になったら精神論と根性が足りないとぶちかませそうで怖い
一国の総理を目指す人が外国人が鹿を蹴ったとかナントカと小さい事を他に言う事はないのか
北海道では日本人が鹿をバカスカ撃っている。
清国は外国人排外主義の義和団事件が元となって清は滅んでいった。
西太后が最後に残した言葉は「以後、再び婦人に国政をまかせてはならない」だった

精神論や根性を全面否定するものではないが行き過ぎると事の本質を見や誤る事を日本人は
先の大戦で学んだのではないのか


まほろば奈良宇陀市 道の駅のトイレ

一応お情けで貰った簿記3級だがいまだによくわからんのが内部留保が右貸方負債の側に入るのがわからん
さらに何が何だかわからんが貸借対照表は合計が必ず左右同じ数字になる
ならなければ何処かに振替の間違えがあるのだが、探しだすのに何日も掛かる事などざら
この内部留保は銀行などは資産や利益より重視され経営者は必死に内部留保を目指すのだが
これがまた問題になるのは会社も人間が運用してる為に経営者の性(さが)が出る
昭和59年から平成元年頃までは法人税は40パーセントの税率で税金に払うなら給料に払うと言った経営者は多かったが
その後法人税率はドンドン下がり現在は特例措置で中小は18パーセントとなっている
かわりに増えたのが内部留保で賃金は据置になったどころか派遣労働者に置き換えされていった。
いったん経営者になると設備投資などの前向き資金は使うが環境や賃金などの後ろ向き資金は出さない
それは会社の物は竈の下の灰までワイの物や~と思ってる経営者は多いからで
俺もバイクからボートまでと物欲にまみれ際限が無くなり抜け出す事が出来ない小さな男なのです。