上藻別


火曜日11日紋別から丸瀬布線を走り藻別に向かう
古くから入植したのか右に珍しいレンガ積のサイロがある

20キロほど走ると上藻別驛停があり今は鴻之舞鉱山資料館となっていて鴻之舞鉱山はもう少し先で鉱山跡地の痕跡を見る事が出来る
月曜日は休館日で今回は珍しくしっかり下調べして火曜日に来た。
中にはお歳を召したオヤジが二人と茶色の野ウサギがそこらを走っている。
野ウサギは飼った事があるが人に慣れる事はないと思うがなぜか逃げない
二羽いるらしい崖下村に来たばかりの時に子ウサギを拾って飼ったが指を噛まれ骨まで出てエライ目にあった
齧歯目の歯には気を付けよう
こっちは餌をやってると思っても相手にとっては大きなお世話と言う事もある

細かい資料が沢山あり色々説明を聞けるが一人は控えめで一人は鉱山関係者でイケイケオヤジ

テレビでは大きな凄惨な事件が起きるたびに知人と思われる人にインタビューをしてるが
容疑者は事件を起こしてもおかしくないと言う人が多くいたが
中にそんな事をやりそうに無いと言った人がいた。

このやりそうに無いと言った人がいたと言う事は凶悪犯でも二つの顔を持っていた事を示している。
この二面性は誰でも持っていて恐れられ怒られて孤独に生きるより出来る事ならひとに褒められ認められたいと思っていると思う。
個がしっかり固まる以前の生育過程には両面が交互に出て来るのではないかと思う
その良い面を見せる相手が居た事は多くの場合は幼少期からの知合いではないのかと思う
幼少期は誰でも可愛く少しの仕草でも褒められ認められて育つ
幼少期に楽しかった思い出を沢山与えるのは心の栄養を与える事になると思うのだ
一概に言う事は難しいと思うがカラーギャングと言われる子達の多くはその生育過程に心の栄養が足りていないのではないか
中学1年生と3年生はたった3歳違うだけでまったく違う その多くの事を吸収して育つ生育過程には多くの矛盾も子供達はしっかり見てる事も知らなければならない
今頃の季節の北海道国道は早朝ゴミ袋が道路脇に沢山投げられて その大人の矛盾も子供達はその眼(まなこ)で見続けているのだ。
せめて生育過程の子供達が見てる前だけでも子供なりに納得のいくものや見本となる面を見せ続ける事は大人の我慢ではないのか
北海道には数分で何処までも無垢の大自然に出逢う事が出来る
その言葉を超えた大自然を全国の子供達に見せてやる事も心の栄養になっていく
親が大変で費用が無いならそれは北海道全体で出してやるべきでセコイ事はしてはいけない

自分の人生や他人の人生を少しでも思いやれる分別が付く年齢になるまでは社会全体が見守る必要がありそれが社会全体の安全にも繋がっていく事になると思うのだが
ネットなど誰が書いたものかも知れないものより顔も身元も曝したテレビ等でしっかりとした生い立ちや背景を追い続ける事が必要だと思う
そのうえで犯罪を起こす人を根もとから断つ努力をする事が
ここからたった15キロ程度しか離れていない犠牲者に今できる最大の供養になっていく

無料法律相談


紋別道の駅到着 これはどう見てもズワイガニの爪だと思うのだが動く側の爪が小さいような気がする。
紋別は産地なので間違う事はないと思うので勘違いかも
ここで車中泊をして翌日は鴻之舞に


知床事故で急遽紋別に配備なった巡視船だいせつ 西海岸ではあまり見ない船型でやる気満々な船型


夜はこの辺りで呑もうと思ったが道の駅から遠くタクシー代が往復4000円掛かるとの事だったので貧乏人は断念して
結局中華料理一番点心坊で台湾ラーメンを食ってセコマで買ったツマミと酒呑んで車中泊で寝た
氷紋の駅の食品スーパーしめまるで事前に得た情報では美味い店があるとの事だったが残念

紋別は人口2万人で留萌と2千人程度の違いだが景気は全然違って見え
一次産業の街は裕福そうで外国人の若い労働者が多いと感じた
若い外国労働者を見るとどうか無事に帰国して欲しいと願わずにはいられない
紋別などの地方の一次産業の街では遊んでいる事は許されないだろうが都市になると昼夜逆転した生活を送る若者が一定数居て中にカラーギャングなど普通にいる
それは一時の感情に任せ自分のその後の人生や相手の人生も失う事になる事もいとわない
考える事すらしない者もいる
それら若者と一般人が話合ってどうにかなると言う考え方はしてはいけない
揉めたら直接逢う事は避けて警察に相談する
それでも頼りにならん場合や事情があって警察が嫌な場合はここに電話をする
0164-56ー4312 オロロンひまわり基金
留萌信金本店隣にある信金子会社の信和商事ビル内にあり無料法律相談が出来る
弁護士をよく先生と呼ぶが俺は先生とは思わんが相談者の見方である事は間違えない
弁護士業はいい事があった場合はまったく無縁でトラブルの時にしか用がない職業で
普通は一般人が一生に一回も出逢う事があるかどうかと言う事件や困り事専門で
一般人が何日も悩んで悩む事もすぐ最善の回答を出せる
さらに犯罪者であっても味方をしてくれる有難い職業で
相談者の秘密は絶対に守るのが弁護士の絶対条件なのだ
その弁護士無料相談組織は全国何処にでもあり電話番号は公開されていて
民事刑事など得意分野の弁護士も選んでくれる。
まずは相談で無料になるか有料になるかはその先の話になっていく
とにかく残念でならない

銀色の道

10日月曜日に午前中に仕事を済ませ気分転換に初めて鴻之舞鉱山を見にいく事にした。
ルートは留萌から霧立峠、名寄、興部、紋別を通り鴻之舞 帰りは丸瀬布から333を走る。

霧平トンネル このトンネルには忘れられない記憶がある
現在の小平ダムを超えた川上にベースキャンプを作りこのトンネルを作る為の調査する機材運搬をスノーモービルでやった。
場所的に苫前側から入った方が近い場所にある
雪崩や積雪調査が終わりベースキャンプに戻った時に1995年阪神淡路大震災のニュースをカーラジオで知った。
トンネルの完成はその4年後で完成によって冬季間通行止めは無くなり1年を通して留萌から士別に抜ける事が出来るようになった。
もしこの頃に戻り人生をやり直す事が出来るなら借金しても1000万程度なら出していいと思うが
時間は戻っても精神構造も当時の状態に戻るなら同じ事をしてしまうだろうと思うと銭の無駄
いまは一生懸命道を探し今を生きるしかない
その中でも銭や腕力や立場などで自分より弱い者をイジメたり手に掛ける事をしてしまったら
その後は世間は覚えていてそれが通用する枠や集まりの中でしか生きては行けなくなる
自分自身もいつかは必ず来る力が衰えた時に順送りで抜け出す事が出来ない生き地獄を味わう羽目になっていくのだ。
来世の地獄や天国など信じていないが生き地獄はある。


名寄から下川を超えたあたりで雨になった。
生存本能として人間は天候に左右される生き物だと思う
曇りはやはり気分が落ちて晴れると気分も上昇し何かいい事がありそうな気がする。
その為に揉め事や面倒な話は天候の悪い日や夜などは絶対ダメで
日延べして対策を練ってバックアップを取る事が大事になっていく

名寄はサンピラーの街で売り出してる。
雨で車は雨漏りと気分は下がり気味だが多少曲がっているがサンピラーと思えば思えなくもない
虹が出ていたので気を持ちなおして西興部村に向かうが豪雨だった。


銀色の道 宮川泰 作曲

コロッセ

自分で招いた事なのだが店が思った方向と違う方向に行っている事に嫌気がさしてしまい
ラーメンを始めてから腰が痛く歩けなくなった事以外で初めて店をサボった。
悪事を考えるくらいならラーメン屋をやれがいつもの口癖なのだが
言うだけで自分で出来ないのに何かを言う事は凄く無責任で恥ずべき事と思っている
だから自分でやってこの辺鄙な場所で黒字を出した時点でほぼ目的は達したと思う
黒字を出す事が目的で儲けを貯める事が目的ではないからこその問題が発生してムッタシ来てしまった。

自分が出来ない事を誰かにさせあたかも自分がやってる様にして溜飲を下げるのは古来からよくある事で
古くはローマーのその名も恐ろしいコロッセで行われた猛獣と剣闘士との闘いで自分では出来ない事を他人にさせて剣闘士はライオンにコロッサれて観衆は喜ぶ
その延長線上が現在の各種スポーツにも繋がっていく
極論とは思うがそれは何かを成し遂げる事が出来ない者が誰かが代わりにやってくれる事で満足をしてる様に感じてしまい
自分では殆どのスポーツ観戦はしないし暇もない自分の手でやって見たい事が沢山あるのだ。

今週素人に近いオヤジが自分の縦割り単気筒のバイクエンジンを3回もバラシて組んだと言い見せに来た
エンジンケースには横割りと縦割りエンジンがありその中でも縦割りエンジンは難関のエンジンで根気と知識が必要になっていく
エンジン音は快調に響いていたがよくやったと思う
自分の手を油で汚して完成させるたとえ失敗に終わってドックミッションが破壊されようが
どっちにせ自分のバイクなのでやらんより遥かにマシで
成功体験は自分の骨格を作っていくが失敗体験は筋肉と脳と情を作っていくと思うのだ

ラーメン屋も自分でやらないこそ言える軽い言葉を聞く度にコロッセのど真ん中に掘り込んでライオンの餌にしてやりたくなったので
実行する前に店を休んでみた。


今年春に行った敦賀フェリー乗り場にあった北海道ナンバーの軽
1週間後の帰りまで同じ場所にあった
何があったか知らんが海を歩いては帰れない

諸行無常

自分でも招いている事なのだが落ち込む事が続き火曜は何がなんでも全休して今年初めての川を見に行く事にしたが
早朝から電話がなりっ放しで留萌の高規格道路入口まで差し掛かるとまた電話で緊急事態でどうしても戻る羽目になって仕切り直しで再度出かけると10時なってしまった。
美葉牛と石狩川周辺の三日月湖を見てこようと思ったが夕方には戻らんとなくなって袋地まで行って終わってしまったが
三日月湖の状態が例年の6月一週目と気のせいか何かが違う
戻ってから3年ダイアリーを開くがやっぱり違うのだ。

映画で「郵便配達は二度ベルを鳴らす」と言うジェームス、ケイン原作の映画があったが
それほど怖くはないが郵便配達員が名前を聞いてから渡される郵便物は危ない
国税から書留を貰ってしまった。

悪い奴はよく叩けば埃が出ると言うが俺の場合は整理整頓が出来ないので叩かんでも埃が出っ放しなので
これは色々な事が想像されて恐い3月の申告の件だろうと思い開封すると銭を呉れるらしい
なんの事かすっかり忘れていたが終活で土地を売った時に印紙を貼り過ぎて一旦その場で放棄したのだが再計算で放棄出来る金額を超えた為に何が何でも受け取らんとないらしいとの事だった。ビビったぜ~

そこそこに長い人生で名前をフルネームで先に聞かれてから渡される郵便物を何度か貰った事がある
こっちは色々な召喚状で恐い出来る事なら貰わん穏やかな人生を送りたい
数人のひとの人生の岐路を見て来たが法の下の平等はあるのかもしれないが境遇や銭金だけを言えば人間平等に産まれて来る事はほぼない
渦中にある時はそうは思わないが
だからこそ自分自身が生き抜く面白さがあり
長く生きるただただ生きる事も大事な事だと思う。
生きてさえいればそのうちいい事も必ず確実にあるのだ。

それにしても5月はムッタシ来る事が多かった
若かりし頃はその場で怒り狂い周辺の物をぶち壊したりしてしまいには
ブッタの言う「怒りを地面に書いたような人」なので
なんで怒ってるのかも忘れるほどいつも怒っていたが
今は怒りを内に溜める事が多くなってどっちがいいんだかと思う。
諸行無常~なんちゃって

シンプルイズベスト

先週は次から次へと疲労困憊してしまった。

V6 225馬力 曳航用のボートを点検するが使用時間数が少ないボートの特徴で水の出が悪いのでインペラ交換をする事にして部品注文待ちになった
二桁のボートを曳航した経験から忠告
殆どの一般向けエンジンはその他大勢、大多数、一般常識の元に使われる事を想定して作られている。
その為にあれこの人は一般大衆、その他大勢とはちょっと違うなと言う行動や言動をする人は海でも山でもトラブルに遭う確率は多くなる事を肝に銘じるべきだと思う。


全長8メーターの水槽のエァーポンプが壊れてしまった買い替える事に
2万前後するのでネットオークションで中古を3千円で買ったが2日で壊れてしまったので分解して見ると
ダイヤフラムが2個とも破損しているネットで買う事は安物買いの銭失いになる確率は高いので諦めも肝心
一応大阪の売り主に連絡を入れると返金すると言ってくれたので返品せずに気持ちだけ受取り
部品を探して自分で修理をする事にしたがダイヤフラムが5800円で普通に売ってるのだがセコイので安い処はないかと探すと中京圏で680円で売ってる店があった異常に安すぎと支払いはカードのみとなってるのでかなり怖いので止めた。
関西には3カ月居た事があり関西人の商いはかなり信じていて仕入れ先は大阪が多い
これも部品待ちに


クレーンで吊った船の落下で船外機が破損
振動が気になったのでドライブシャフトの曲がりを見る
振れ幅が0.14ミリ 未加工のこの場所の測り方ではこれが許容範囲なのか正確にはわからないので他のシャフトも実機から外し測定してみた。
たった80センチに満たないシャフトでさえ思案してしまうのに


戦艦大和の主砲を旋盤加工したドイツ製ワグナー大型旋盤 心間31.3メーター ベット41.4メーター 巨大すぎて画像には入り切らない
人類は戦争によって技術は革新的に進歩して来たのは紛れもない事実なのだダイナマイトしかり飛行機もなのだ。
戦争によって開発された技術はその後に平和利用をされていくが歴史は繰り返す


技術が進むと人間の質はドンドン落ちてはアホになる
冬山にはそこそこに登ったりして冬山遭難も経験したが頂上はひとつだが裾野は無限に広がっているので山で遭難したら降りてはいけない。
これを証明したのはスーパーボランティアの尾畑春夫さんで
「 子供は遭難したら上に登る 」と言って3日間も発見されなかった子供をわずか30分で見つけた。
人間が本来持っている生きる本能を大人になると忘れてしまう見本の様な捜索だった
尾畑春夫さんの質素な生活と思想が人間本来の生きる本能を保っているのだと思った。

救助隊が尾畑さんから執拗に子供を渡すように何度も言ったのはかなり恥ずかしい行いで
メンツを潰された県警本部も本当は感謝状など出したくなかったのかも
などと思ってしまう一応技術屋の俺は落ち目のひどいアホになっている。
他の事もありラーメン作りを少し休もうかと思ったり

疾風迅雷

木曜日に老人が引き戸を開けて何かを言っているのだが姿かたちもしばらくわからなかったが
その声は聞き覚えがあった。

北海道に戻って来て40数年経つが戻って来るにあたって内地にもその名が轟いていた
旭川の某所に顔を出す事にして初対面だったが受入れて呉れた。
そこで知り合ってから現在までお付き合いをさせて頂き崖下村に移ってからは業態も変わり逢う事もなくなり電話で年に数回商売の話をする程度だった。
旭川の浮き沈みの激しい業界の裏も表も見続けた生き証人と言っていい人なのだが
年代は同じで逢う事がなくなって30年
思い出した瞬間に出た言葉は最後に逢ったのが30年前で現在のその姿に「いったいどうしたの」と思わず出た
病気に掛り終業を決意してそのお暇乞いを夫妻で来たのだった。
本を何冊も書けるほどの時代を疾風迅雷のごとく一緒に走り抜けた皆の消息や聞きたい事が山ほどあり胸が一杯になった。


俺だけ置いていかないでと
走り去る車が見えなくなるまで手を振った。

AI平和利用

車の免許更新して貰って来た。
ただでさえガラが悪いので坊主に近い短髪頭はやめて髪を伸ばしたら顔写真が少し大人しそうに見える
中身は何も変わっていないのに
世の中にテレビと言う物が出現して駅前にあった電気店でテレビを見る為に前に人だかりが出来た頃
金が無くなると戻って来るオヤジの酒を買いにカラの酒ビンを抱えて夏も冬も関係無くトボトボと何キロも歩いて留萌駅前の酒屋に酒を買いに行っていた。
酔って来ると俺はこんな処でクスぶってる人間ではないと暴れるのがいつものパターンだった。
子供心に暴れるなら外で素面で暴れてこいと思っていた。
その酒癖の悪さは普段は借りて来た猫の実兄が受け継いだ

留萌の丘陵地帯に「姉妹星の碑」と言う碑が立っているがなぜそんな暴風雪の日にお使いに出されたかわからないが
俺の場合はいつ暴れるかわからんオヤジと子供を家に残して母親が家を出る事はさせたくなかった。
ここに居たら一生目は出ないと思っても家には弟や妹の位牌や母親もいたのだ。

俺は生涯、酒とタバコはやらないと誓ってタバコは一本も吸った事はないが酒だけは新天地に移った頃から飯場暮らしをして早くから呑んでしまった
早くから呑んで良かった事は酒の呑み方を教えられた事で嫌な事があったら呑むなが
基本で自分では酒癖は悪くはないと思っている。
早くから悪い酒の飲み方をする奴は身内も含めて知ってはいるので酒呑みの対処方法は少しは知ってるつもりだが
歳食って力ずくは中々難しくなったので銭があったらAIとやらをカウンターに置いて対応させてやりたい
AIの平和利用だぞ絶対面白いと思うのだが
ど~だ~

ニュースでやっていた自転車ひょっこりニイチャンも酒飲みも制御出来ないのは基本はたいした変わらんのではないかと思う。
ひっこりニイチャンも仕事は真面目にやっていたと言う
爺婆ダマす奴よりは遥かにマシで一年真面目に働いて銭貯めて北海道に遊びに来てほしい
ホタテラーメンゴチするぞ
経験上思うのは酒の呑み方が悪いと言う奴は意外と仕事はきっちりやって出来る奴が多いと思うのだ
カウンターにAIを置いたらまずはどんな相手でも認めてやる事からAIに教え込まんとイカンなと思っている。

アルコール類解禁

土曜日午前10時頃 ラーメン屋の準備中に問題の吞兵衛が旧産炭地からリョウちゃん~と満面笑顔で来た先週の事を覚えていないのだ。

土日のみの営業だがラーメン屋の仕込みは木曜日夜に寸胴にシイタケと根昆布を入れて金曜日はさらに鶏ガラと豚骨を水1リッターに対して1羽と1本を入れ9時間煮込み一日掛けて造る
美味そうな香りがするのは火を付けて1時間くらいなのだが、その時点でラーメンを作っても美味くない7時間くらいでいいのだが他にも仕事があり時間配分で9時間になってしまう。
水と材料比率は最初は3対1だったが1対1になって採算割れに向かっているが好きでやってるので面白いのだ。

常連吞兵衛コンビは毎度の呑み方はここの店だけでの事なのか分からないが
酒はすべて撤去を知らせると項垂れて自分の別荘小屋に向かった。
いつもなら11時開店と同時に来て夕方まで居座るのだが開店しても来ない
午後2時頃に二人で来て何処が悪かったのか教えて呉れと言って来た
説明と説教大好き男なので二人にラーメンを作りながら延々と説教をすると
「 言ってくれてありがとう 」と言って帰っていった。
俺は項垂れて戻る背中に向かって店が閉まる4時に来いと言ってしまった。
4時までの間にビールサーバーを元に戻し日本酒を一本用意して待った


俺は前の店でだいぶ前に知り合ったNちゃんにコーヒーと越後湯沢の酒を貰った
「 酒ばっかり呑んでネーでーこれでも飲め 」
と言って年に一回程度しか逢わないが少ない給金でコーヒーと酒を持って来て呉れる。
Nちゃんはいままで自分ではどうしようもない不運に遭って来たがこれからも何度でも跳ね返して生きていってほしいと願わずにはいられない
すっかり大人になったなとしみじみと手酌で呑んだ。


旧産炭地は土日二日に渡ってタラフク呑んで二人で帰っていった。
そんな訳でアルコール類禁止はたった4時間で解除になってしまった。

先週は人が訪ねて来てくれ ある人の訃報を数か月遅れて知った。
もうこの歳になると寂しいが悲しくもなんともない
フォーを貰って食ったなとか、あの時はこうだったとか楽しかった事ばかりを思い出していた。
俺も楽しかったと思って貰えるそんな人生を送りたいと思った。

まったく忙しい

自分で招いてる事とは思うがまったく忙しい

ひとが読む字を書けないので書いて貰い店のいたる処に貼紙をしてビールサーバーから酒ビンなどを全部撤去に金曜日一日いっぱい掛かってしまった。
原文はもっと厳しいのだが書いて貰った人が間にたった一人はいっただけで俺の原文は却下されこの文面になった。
とんでもない文章が校正もされずに印刷され世間に出回る事が不思議でしかたない


さらに先週からこのホタテラーメン用の冷蔵水槽がまったく冷えない
ホタテは水温は10度以下でないと産卵が始まり美味くない なんてコッタ
容積は90リッター コンプレッサー方式なのだが海水でボロボロになってガスが抜けてしまった。
アチコチ探したが道内には無く内地にあってもこの大きさは注文で40万近くしさらに送料
ホタテラーメンは普通サイズの生貝が2個入って800円なのだが材料費が昨年から1割から2割弱値上げになってしまってさらにガス代も値上げ
用意した食材が全部売れる事も珍しく歩留まり8分程度なので40万で買っても元を取るには
これだけで4年は掛かる
ラーメン屋での吞兵衛にもムッタシ来たのでこの際なので店を止めようかとも思ったが

最後のあがきに冷蔵水槽を自分で造ってみようと挑戦してみる事にペルチェ方式なら簡単だが
ペルチェ方式で50リッターを冷やすには電気代が掛るしさほど冷えないのでコンプレッサー方式で造る事に
それから冷蔵庫の仕組みを夜な夜な調べて調べて冷蔵水槽や熱交換は分野外だが色々な事がわかった
アマゾンで買って持っていた1万6千円のコンプレッサー方式車載冷凍冷蔵庫は直流12V マイナス20度まで冷えるので利用する事に

冷蔵庫は交流より直流の方が性能はいいらしく中にステンレスパイプをコイル状にして入れて海水を循環させた


発泡容器は2480円 50リッターで発泡自体が熱を発生してるのか温かいので箱の内側にアルミ複合板を貼り付けて
熱交換は計算式があるらしいがやった事がないので行き当たりばったりで実験開始
外気温22度でも水の温度は11度まで下がった
さらに実験を重ねて現在は6.8度まで下がって一応使える状態になった
やってみて面白事に気付いたが長くなるので端折る


中に入れる海水は一度沸かし殺菌した沸騰海水を使用してる
貝類の中でもホタテは口が閉まらない為に海水から上げた時点で乾燥が始まり美味くなくなる
一度貝付きホタテを使うと産地としての意地もありこの方法以外は選択肢はない

銭がないからこそ知恵を絞り色々楽しめる
アマゾンで買った手持ちの冷凍庫や発泡箱とホースやパイプ類は倉庫にあった物を使ったので合計しても2万以下だが
1万6千円もした冷凍庫に一歩進んで穴を開けた時点で後戻りは出来ない間違って配管や配線に傷付けないか冷えるのかチョットおっかなびっくり

川上大臣もいま叩かれてるが
最初の一歩をした者を岡目八目で言う事は簡単だと思う
俺は選挙は野党に一票入れるが自民党も野党も好きではない特に野党はテレビの映し方の問題もあるかも知れないが!
ヒステリックな批判ばかりで最初の一歩をやってる様に見えないからなのだ
野党は塀のある家に住んではいけない