回転寿司アトム食った


次を目指して出発
途中日本最古の鉄道小刀根トンネルを見る。

福井県のナンチャラクーポン券3000円分があるので敦賀によって回転寿司アトムに
シラスとホタルイカを食いに行く午後3時頃なので空いてるべと思ったら
連休もあるが様々な予想に反してびっちりで30分以上待たせられた。
これで株価が下がった賠償せだのと言うのは株と言うマネーゲームの仕組みを知らない奴の言う事で
何でも提灯を付け弱った者を叩けばいいと言う物ではない
提灯持ちの先頭など江戸時代なら一番最初に刀で切られるのだょ~ん

待ってる間に滋賀県から来たと言う 車椅子の孫を連れたおばちゃん一家と話しになり
ご主人が生きてる時は毎年北海道をひと月掛けて回っていたと言う
何処が一番良かったか聞くと意外や意外
豊富温泉がよかったと言う
オラ~びっくり「 道東でないのか 」と言うが
予約も無しで突然行った豊富温泉のぼろ過ぎる宿の応対が良かったと言う。
旅行は景色、食、人だと言うが
やはり人が一番かもと思って短気ですぐ顔に出るオラ~も北海道に戻ったら気を引き締めてと思った。
待ってる間に人を観察するが一番働いてるのは皿などを片付けている、そこそこの歳のおばちゃんだった。
「 おばちゃん 見てると一番働いてる 」と言ってやった。
俺は知らない人でも普通に調子良くまったく適当に話しが出来るので暇を持て余す事はない

若狭おばま 海の駅で車中泊
夜明けに出発
うっすらと曙を感じる時に出発する事が出来るのも車旅のいい処で
なんか昨日や過去を洗い流すような気がするのだ。
さすがにわら草鞋は履かんが雪駄で出発


ドンドン山奥に


名田庄周辺


待ってましたと言うほどの田舎に迷い込む
迷い込む楽しさがあるのも車旅で
その為の低速レンジ、デフロック付きを買ったので お~お~いいぞいいぞとなって抜け道を探す。
いまや軍用トラックか農業用軽トラでもなければデフロック付きは無いのだ。
スーパーキャリーそれゆけ~


山道を抜けてドンドン目的地に近づく


うんうんこの空気感が目的地が近いと感じる


今回の旅の大本命に到着
初めて来た 思った以上に都会だったが
この周辺より人の背丈ほど下がった路地に昔の名残の様なものを感じる。

本を読んでこの人はどうしてこう言う考え方になるのかと思った時に
その人の育った地に立ち同じ空気を吸う事は百聞は一見に如かずなのだ。
さ~ここから人を探しにゆくまずはこの食堂で蕎麦を食いながら聞き込みを

近江国友


種子島に上陸したポルトガルのフランシスコ、ナンチャラから鉄砲を二丁買ったその内の一丁を国友に持込み同じ物を作ったのが始まりらしい
砂鉄は砂浜なら何処にでもあり1ミリにもならん様な粒が磁石に付くがそれをコツコツと集めて溶かして叩き伸ばして丸めてと
それだけでも想像を絶する。


中筒

火縄銃と弓は有効射程距離はさほどの差はないらしく50メートル程度なら正確に飛ぶのは弓が勝っていたらしいが
火薬によって飛ばす殺傷能力は鉄砲の方が勝っていてさらに音が凄いので、ビビらす効果は鉄砲の方が遥かに勝っていたらしい
弓なら見えるので狙って撃ったと分かり刀で おりゃ!おりゃ~と払う事も出来るが
鉄砲は誰を狙ったかわからんで とにかく、誰かがとりあえずバッタと倒れる恐さがある。
それでもヨーロッパの中世では火縄銃は雨が降ったり銃身を休ます為に休憩時間があり敵と近い為に敵と世間話をしたらしい


火縄銃の実銃を持つ事が出来る。

熱田神宮草薙館で真剣を持った時は軽いと思って
そこに居た見張り係りのオヤジに思ったより軽いと言った。
返った言葉は
「 真剣は人を切ると言う心の重さです 」と言われたが
この鉄砲は持った瞬間重いと思った。
同じ鉄でも鍛造品は重いので火縄銃と刀は鍛造度合いが違うのかと思った。

人間には眼で測る見た目と言う目方重量がある。
俺は鉄類は毎度持ってるので材質の見分けである程度は眼で重量を測る事ができ持上げる時に腰の入れ方が違う
今は重い物は機械で持つが昔は手で持つ事が多く重量を眼で測る事が多かったが
その人の経験則から来て同じ物を見ても経験が甘い者は測りが違う事はよくある事で
二人で同時に同じ物を持つ時は格が違う者と持つと怪我をする事があり
その時に怪我をするのは大概は足を引っ張られ熟練が怪我をするのだ。
それは物だけでなく対人間でもあり喧嘩になったら測りそこねて怪我の元になったりする。
現代においてはロシアとウクライナで相手を測りそこねた結果がロクでもない事になっている。
物でも、者でも、見た瞬間に感じる重さ感は結構当たりそれは経験則から来た第六感で
その第六感を狂わすのは大概は自分の傍にいる者、近いば近いほど身近に居る者によって狂わせられる。
あ~んた~などと酔わせて言い寄って来る者には特に要注意なのだ
ナンマンダブ~色即是空~


国友一貫斎作
その後江戸時代になり世の中が平和になったら空気銃を作ったり


反射望遠鏡を作ったり万年筆を作ったりとなってゆく
近くにキャノンがあったりヤンマーがあったりと滋賀や岐阜は意外と先端工業と古い物が混在してる。

滋賀県長浜市国友町国友
鉄砲を売った方


滋賀県長浜市三田町三田村氏館
鉄砲を買った方 直線距離にして3キロ程度

各務原から近江


名残り惜しいが閉館時間になったので今夜のお宿 浅井三姉妹の郷 道の駅を目指す。
出口で子供連れ夫婦らしき者が今にもつかみ合いになりそうな喧嘩で殴り合いになったら止めに入ろうかと言う位の大喧嘩をしていた。
そう言えば逃げられた嫁さんとは俺が一方的に怒るだけで夫婦喧嘩をした記憶がない 喧嘩をしないから仲が良いとは限らんなどと思いながら
熟年離婚が流行っているらしいが俺などは何処かに嫁に行ける可能性のあるうちにもっと早く離婚をしてやれば良かったと思っている。
男のひとり暮らしは短命に終わるらしいので男も趣味を幾つか持つ事が肝心で
趣味もひとつだと思考に偏りが出来る様な気がするのだ。

ま~経験者として大富豪でもなければ熟年離婚はやめておけと
語れば長くなるが苦労をするのは確実に嫁の方だと思う。


半世紀ぶりに大垣を通ったが当時は大垣と言えば柿と野猿の印象があったが
ビックリ大都会になっていてさらに車の洪水で店を見つけても流れから外れる事が出来なくて晩飯も食えない
浅井三姉妹の郷 道の駅まで1時間チョットの予定が3時間掛かった。
近くのコンビニで夜食と酒を買って道の駅で車中泊をする。


姉川三田村氏館跡

三田村氏館跡 傳正寺一角だと思う。

正確にはここには数軒のお寺や神社が混在しており正確な地割が通りすがりには出来ない


三田村氏館土塁跡 姉川の戦い当時の物が現存する。

内地は500年以上も前の史跡がそこら中にあり、そこが北海道と大きく違う
北海道のご先祖様と言えば縄文人かアイヌの人達だが移住和人にとってはかけ離れた人達で実感がわかないが
内地は家のすぐ前に当時の墓や名残が普通にある
山の常を超えた向こうに住む奴らに ご先祖は滅ぼされたと言う意識を墓参りや線香を上げる度に持ったとしても何も不思議ではない
それが山ひとつ超えると全然違う空気感を感じる元なのかも知れない

内地はたとえド田舎でも田舎暮らしがしたいと移住をしてもそうは簡単にはいかないだろうと思う。
その点は北海道はさほどのご先祖様もいないので海沿いは特に土着意識が少ない分移住はし易いだろうと思う。
北海道でも海と農村の大きな違いは海は獲物を海から腕一本で獲って来るので土地の様に固定したものではない
さらに保存が効かない海産物は腐らす前に分ける気質を持っている。
農村は区切られた土地の中で収益を上げなければならず、其処に1人増える事は共倒れの危険性があり
農村の次男坊や三男坊は出ていく運命にありそれ故に逞しくなるのだと思うのだが
「 たわけ 」の語源は田を分ける事から来てると思うのだが
田舎者が都会に住む事は出来ても都会者が田舎に住む事はかなり難しい

物事必ずいい面があれば悪い面もありどちらか都合のいい方ばかりを選ぶ事は出来ない
もし移住して自分に都合にいい面ばかり欲しいと言う場合は銭に糸目を付けずに100パーセント自給自足出来る施設か國を作る以外にない


早朝6時頃

早朝6時
如何によそ者が入って来る事が無い地域なのか
高価な道具類が多分昨日からだと思うがそのまま置いてあり
この事からしてここによそ者が入って暮らす事はかなり難しい事がわかる。


本日のお目当て日本の歴史を替えた村と言っていい国友
俺は村とか大字小字など言う字に憧れがあり町と言うと村から一段下がった中途半端な印象があるのであえて町とは言わない
ここ国友は日の本の歴史を変えて来た処で現在も普通に人々が暮らしていて現代の各地の宿場町の様に観光化された観光地ではない
見る物に、見る物に切ったら血が流れる様な無垢の重厚さをひしひしと感じ
ここでもまた深く深く長考をしてしまった。

各務原航空宇宙博物館 きぼう


ISS日本実験棟 きぼう 実物大模型


ISS日本実験棟 きぼう 実物大模型内部に入った。
宇宙飛行士は宇宙ステーションのすべてを知り尽くしていなくては何かあった時には戻る事は出来ないだろうと思う。
「 え~えとこれは何だっけ! 」などと言った時点で宇宙のゴミになるだろう。

ここまで見て来て疑問がひとつ
ふぎゃ~と生まれた、その時点から努力をし「きぼう」を持てば宇宙飛行士になれるものだろうか?
物心が付いた時から整理整頓が出来ない
俺は整理整頓が出来ないのは頭が悪い証拠だと思ってるしさらに乱暴者と来てるので
どんなに努力をしたからと言って宇宙飛行士には絶対になれない
ふぎゃ~と生まれた時点でその者が持ってる能力はほぼほぼ決まっているのだと気づいた。
ただエンジンも同じで農機具に使うエンジンはF1などには使えないF1のエンジンもパワーバンドやトルクの出る回転域が違うので農機具には使えない
その回転域にどれだけ幅を持たせる事が出来るかが設計者や使う者の腕の見せ所でもあるのだ。
努力すれば何でも叶うと言うのは間違いなのだ。
ここまで見て来て自分の持った適正を伸ばして行く事が大事と気付く
この歳になってもっと早く気付いていたならと
それと人間は必ず歳を食う事をもっと実感として思っていたならと


日本人宇宙飛行士の面々
海外でさえ行きたいと思わないので宇宙になど行かんでも一向に構わない
そんな俺が負け惜しみでツラツラ考えるには宇宙飛行士の頭は相当いいだろうから
一を聞いて十を悟どころか一を聞いて百くらいを知るのだろうと思う
しかしそんな人がここ崖下村に居たら下々との共通の会話や同じ速度の会話が成り立たずきっと双方共に面白くも何ともないだろうと思う。
それはもしかして宇宙飛行士の不幸の始まりかも知れない
適材適所居るべき場所に居て適正を早く知る事は大切な事と強く思った。

フェリーの中で見た映画『 ゼロ、クラビティ 』ではこの宇宙服を着て宇宙を彷徨っている時に何時の方向に見えると無線で言ったが
それはその飛行士の正面が12時で皆が共通の12時を持っている訳ではないので正確な翻訳と思えない
その他のセリフもどうもいい加減だと思った。
北海道には十勝型事故と言う事故がありそれは同じ速度で走ってる車は止まっていると錯覚する事で
この宇宙船は物凄いスピードで移動していても回りも
同じ速度で移動してるから船外活動が出来るのであってゼロ、クラビティではその辺りがイマイチでドラマをつまらなくしている。

十勝型事故は船も同じで防ぐには方位角が重要で方位角が変わらなければ両雄いずれぶつかる。


ℍ2ロケット先端フェアリング
宇宙でこれを開くには400本以上で止めてあるボルトを火薬で爆破して開く
大きすぎてカメラに収まらん

ふん!宇宙飛行士には絶対なれんが除雪機ならなんとか・・・・
小生は負け惜しみを思うのでありますが
せめて『 きぼう 』と言う言葉は枝葉の庶民の為に残して置いて
船名は『 あけの明星 』とかにして欲しかったと思うのであります。
思い越せば能力以上の負け惜しみが散財をさせて生活苦に落ちる原因だった。

岐阜各務原航空宇宙博物館


ここには初めて来た。


Z式一型偵察機 レプリカ 時代の最先端機能美
同じ宙を舞う姿は鳶のニッカポッカや足袋の様な美しさがある。
新品の仕事着を着る時は着たまま寝て自分の身体に合わせろと教えられた。
災害現場に駆け付けた政治家でもあるましダボダボやシワなどプロではないと


Z式一型偵察機のエンジン ル、ローン 80馬力 実機
クランクシャフトが回るのではなくシリンダーが回転しそれによってシリンダーの冷却がなされる。


四式重爆撃機 三菱ハ42エンジン 実機


救難飛行艇 US‐1A


同じ乗り物でも1886年に乗り物として自動車が初めて走ったが航空機はその僅か17年後に空を飛んでいる。
それからまったく別の道を歩んで来ている。
片方は見た目の美を重視され片方は機能を重視されていく
その機能重視はひとつの型に向かっていき鉄の塊のエンジンさえも美しさを見せつける。

武士のたいした役にたたんハッタリの裾が長く後ろに引きずる長直垂と農夫の着る野良着ほどの違いがあり
いざとなったら野良着の方が遥かに役に立つのだがそのパッチワークに美を見出す人は少ない


三式戦闘機計器盤 飛燕


零式艦上戦闘機計器盤
なんだなんだ撮ったのは2023年3月17日なのに
画像に亡霊の様な日付が入ってるぞ~
ナミアムダブツ~

初めてまじまじと各種計器や操作盤を見るが、これは修理屋でも中々持っていないテスターを積んでいるのに等しく
その計器を確認しながら現在の車なら車自体がコンピューターで制御される物をパイロットが各種の機械を操作し温度が上がればフラップを開き温度を下げたり
気化器の空気の量や燃料を調整したりエンジンを冷やしたりとしながら三次元空間を飛んでいる。
それは修理工がエンジンを修理しながら飛んでいる以上のものがある。
現在のエンジンのアナログキャブレターには基本構造が2から6通り内蔵されているが顧客がキャブを選ぶ事は出来ない
それは顧客に使いこなす技量がない為でこの機械にはこれと、
お前は黙ってこれで我慢せと宛てがい扶持になる。
たまには交換して眠っているパワーを引き出す者もいるが、それは例外
この時代のエンジンを除雪機か何かに載っけて販売したら使いこなす事が出来なく即クレームの嵐になるだろう。

ここまで見て来てひとつの疑問が沸く
科学は人類をアホ~にするのではないかと
科学は楽をする為に発展し楽を出来る物がいい物として売れていく
コンバットのサンダース軍曹が背中に背負ったBC無線機で
「 チェックメイトキング2! チェックメイトキング2! 」と呼びかけた無線機はバッテリーも重く重量は20キロ以上はあっただろうに
ここに来た当時、漁師は一方通話無線機を使っていた。
「 カッキョク、カッキョク テンコウワハレ ドウゾ~ 」
「 オメ~ソコニ網サスナと言ったべ~バカヤロ~ ドウゾ~ 」
「 バカヤロウとはナンダバカヤロ~ ドウゾ~ 」と日わ暮れて行ったのだが
無線機の急激な進化によって
漁組無線局のお姉さんは今は町の水道の集金をしている。
「 オメ~に12回逢ったらひとつ歳を食うのだから一回くらい来るな 」と言いながらこちらも日わ暮れていく

それが現在ではどうだそこらの子供から大人まで何が楽しいのかテレビ無線機を背負わずに片手で持ち一心不乱に使いながら黙々と歩いている。
進歩なのか人類の退化なのか
この疑問は展示物を見ていくに付けて大きくなり・・・・・

タカミやカツノリが生きていたなら一緒に旅したらどれほど楽しかったかと

トヨタ博物館から再び岐阜へ


1886年 世界最初の実用ガソリン式内燃機関自動車ベンツのレプリカ

驚くべきはデファレンシャルギアも付いていて2000年代の車とハンドルが棒で操作するくらいで基本はさほど変わってはいない
旋盤が発明されたのが1780年代で大きな物を加工できる工作機械が世に出て来るのはそれから100年後の1880年代になる
さほどの工作機械が無かった時代に一品づつ手でヤスリ掛けし作った根性に頭が下がる。
機械工になると適正と根性を見る為にヤスリ掛けとドリル研ぎをさせられるが
何が辛いと言って朝から晩まで何日も立ちっぱなし作業が一番辛かった。


丁稚に入った当時故障が多く嫌と言うほど修理をさせられたマツダキャロル
構造が複雑で皆が嫌がるので丁稚でも触る事ができ結果として早く技術習得が出来たと思う。
当時としては画期的な水冷アルミエンジンブロックと現在では普通になってるINとEXマニホールドが左右に分かれていた。
泣き処はマニホールドが左右に離れていた為にエンジンが温まるまで時間が掛かる事と吸気温度が上がらなかった為に加速が滅茶苦茶悪く市内走行では中々三速に入れる事は出来なかった。


これもよく修理した2サイクルエンジン
構造が単純でお客さんを待たせておいてピストン交換をやった。

西郊通り居た時は近くに日比野中央市場があり近隣の蟹江や弥冨からミゼットに野菜を積んで来た。
国道一号線六番町から西に曲がると西郊通りになり日比野の卸市場に野菜などを持って来る野菜農家のミゼットや三菱S4やマツダB4などがガタガタの石畳電車通りに入ると満載の野菜を荷台から落としていった。
住込みや部屋住は早朝通りを竹箒で掃くのが日課でガタイも良かった俺は野菜などが落ちるのを監視していて落ちると
「 待て~待て俺が見つけた~ 」と言って他の丁稚達を押しのけて俺が一番拾った。
野菜はカツれた育ち盛りの丁稚住込み連中の胃袋に入っていった。
当時は隣が材木屋で南隣がタイヤ屋や小さな工場や床屋があって周辺の丁稚達は髪が伸びると仕事が終った床屋に行き住込み見習美容師の練習台になった。
その隣が病院で何かに付けて生傷が絶えず潰して骨の見えた右手を治して貰ったりと
痛いと言ってるうちはクタバランと元軍医殿の凶暴な院長先生にはお世話になった。

元塩町から道徳本町、内田橋、西郊通りと流れて行ったが西郊通り時代も詫びても詫びても足りない時代で
修理工を辞めて西郊通りを去ってからさらにドロップアウトしていき
どうか関わった人達が今は幸せにいて呉れますようにと願っている。
絶対に出逢う事は無いだろうが岐阜に入って何処かで醤油舐め舐めニイチャンに出逢ったなら俺でさえ生きている頑張れと言ってやりたい


トヨタ KC型 トラック
戦中から戦後に作られた全浮動車軸
これも基本は今も何も変わっていない
昔の車を見ると天才的な人が居て現在も中々超える事を出来ないでいる事がわかる。
トヨタ博物館をまだまだ見たかったが展示車を触る事は許されず これ以上見続けていたら車の下に潜って見そうになるのでお別れして


愛知県で片言の日本語を話す台湾人か中国人かわからんが作った念願の台湾ラーメンを食う。
ウェートレスのおばちゃんに岐阜はどっちと聞くが言葉が通じない、片言で
「 ゴメンナサイコトバヨクワカラナイ 」と言う俺の地元でも外国人が労働者として働いてるが
もうこれだけ地球が小さくなったら外国人だの何人だのは無い
そんな了見の狭い事ではこの狭い地球で暮らせない

愛知県は1キロ走るのに平均4分掛かる。
ここから八が30年住んでいた処まで3時間で行けるが様々な思いもありやめて予定通り岐阜を目指す。
ガキの頃から住んだ名古屋市を迂回する様に走るのだが様々な事が脳裏をよぎる。
皆は過去をどう清算してツラこいて生きてるのかと思うが、
「 ツラこいてる 」それは無く皆必死に鴨の水掻きなのだろうと思う。
俺の様にグズグズ言いながら手を油で汚しメシの種の職を持って生きてゆくのもひとつの長生きの選択肢なのかもと思ったり
一日生きたら平均300円を貯めて何処かに寄付する様にしてる。

岩村城下町からトヨタ博物館


岩村城下町 浅見家


浅見家 なまこ壁蔵
岐阜は南を愛知に東は長野と四方を囲まれているが長野と岐阜とは山の常ひとつ違いなのだがハッキリと違い
飛騨や美濃は何処に行っても他県とは大きく違い独自の文化圏だと感じる。

3月31日で沼田から留萌間のJR線が廃止になった。
留萌は留萌川が流れていて駅やほとんどの施設も人口も留萌川の南側にある。
その川を越えた不便な北側に市立病院と高校があったが高校は現在は移転された。
地方から病院や高校に行くにはバスは雄冬からだと日に3本しかなく
市立病院は川を越えた処にあるから水害等の災害があった場合はヘリコプターでなければ病院には行けない
さらにまだ悪条件はあるのだがそれは書かない
留萌駅裏にはそこそこに広い土地があるが一角を道の駅と犬の散歩公園として使われている。
今更だが駅裏にあった空き地に病院と高校を作っていたなら汽車の利用者はもっと居たはずで
少しは違ったのかも知れない

高齢者は公共交通機関のサービス券をやるから免許を返せと言う、ハイ返しました。
結果は線路は廃止、バスなどたまにしか来ません、タクシーは無くなりました、ハイ
ドライバー不足で50キロ以上の物は留萌管内から内地行きは引受出来ませんと言う
送るには旭川か札幌まで荷物を持って行かなければならない


長久手 トヨタミュージアム デューセンバーグ

なぜにそうなったかそれは何世代にも渡る計画や戦略を立てる事が出来ないからで
専制君主の時代には何世代にも渡る計画を立てる事が出来たので
代々続く浅見家やいつ物になるかわからん車と言う物に挑戦した人達がいたが、
それは経営者が専制君主だから出来た事が多い
現在は株式会社になり短期で不労所得を得ようとする株主の顔色ばかりを見る事によって長期的視野を持つ事が出来ない結果が今の状況になってしまったのだ。


数年前まで乗っていた ロードスター
カブリオレは4台乗ったがこれはフロントウインドがよく出来ている。

トラックは1人のドライバーで運べる荷物はせいぜい20トンが限度だが鉄道が一人で運ぶ荷物は遥かに多い
何世代にも渡って全体を見る君主が居なくなって場当たり的な結果を望む民主主義の限界なのか、それとも日本人が主権在民や民主主義にまだ慣れていないからなのか
主権在民とは在民に権利もあるが責任も当然ある。
どっちにせ今は港湾を持ってる留萌線が廃止になった。
折角あった線路は廃止され 留萌もここの様に過疎化は加速されてゆくだろう。


欧米では貴族相手にエレガント(ひぇ~一番似合わない言葉)なサスペンション付きの馬車を作っていたコーチビルダー達が
内燃機関の発明と共に馬車に内燃機関を取付け車を作ってゆく
同じ内燃機関でも飛行機とはまったく違った発展を遂げて行く事になる。


内地に行って初めて雨に降られたが荷台の箱が振動やら冬季間の凍上で隙間が出来て
雨漏りする事がわかったので道の駅から橋の下に移動して寝る。
俺はこう言う貧乏くさいのが大好きで銭が無いから知恵を絞る。

北海道で凍る為に気付かなかった雨漏りと電圧計が異常に下がり始めたと思ったが
それはライトもヒーターも使わない事によるオルターネーターの発電制御だった
同じ車なのに何かに付けて雪国は違う事を実感してしまった。

JR北海道の貧乏くさい社長は絶対に黒字になる事は無い新幹線を作るなら、
北海道に骨を埋める覚悟で銭がないならもう少し知恵を絞れと言いたい

郡上八幡から岩村城下町

郡上八幡から車がすれ違うのがやっとの国道で入口にトラックは侵入禁止書いてあった256号線を登り岩村城下町に行く
これが凄い道でつづら折りのかなり急な道を登ってると雲海の下に郡上八幡が見えてなんともいい景色だったが
対面事故を考え写真を撮る為に車を止める事は出来なかった。


峠を越えてやっとこさ着いた先が和良

岐阜県は車も通らん家も無いような場所でも喫茶店があり
それも早朝6時頃でも営業していてモーニングは名古屋も有名だが内容は岐阜の方が凄いらしい
モーニングは喫茶店で済ますのだが
その形態は崖下村にも必要と思うので
300円~350円のコーヒーでどうやったらこの営業が出来るのか聞いてみたいのだが
それが結構お客さんが居て旅の途中で等々聞く事は出来なかった。


戦後すぐ作られた発動機消防ポンプ 和良資料館
古い機械を見て驚く事は今とたいした進化はしていない
ネジは右に回せば締まり左に回せば緩む 280年も前に発明されたベアリングは現在も多少は変わったが基本は変わらない
これは江差の明治初期に作られた開陽丸を見てもそう思う。
内燃機関も外燃機関もピストンで動く往復運動を回転運動にさせる完成された物と思うが、
一番の泣き所はTDCとBDCがある事で
いま根底から変わろうとしてる。

浜厚真からフェリー乗船時にコロナ予防接種証明書があれば5000円引きと言われ証明書を出した。
事前にカード決済をしていたので、その場で現金で5000円を貰ってしまった。
さらに福井県ナンチャラクーポン券を3000円分貰った。
敦賀からフェリーに乗船する時も5000円を貰ったが北海道ナンチャラクーポン券はQRコードをスマホで読み取りスマホ決済をすると3000円分が買い物に使えると言われたが
ガラ携帯の俺は等々使う事は出来なかった
いまだにガラ携帯を使う俺には話し掛けると答えるらしいAIなど
留まる事を知らない人類は何処に行ってしまうのだと思うと怖い


地名は忘れたが峠を越えた小さな村に石垣


また石垣


またまた石垣
それも城などに使ってる石垣はけっこう乱雑に組んであり登ろうと思うと簡単に登る事が出来るが
普通の民家なのにひとつが大きくキッチリと隙間なく見事に納まっている。
石工(いしく)と言う職業集団があるらしいが、
その職業集団村なのか通りに人が見えたら聞いて見たかったが
何処か他所に稼ぎに行ってるのか人の影を見る事はなかった。
もしかしたら出稼ぎ先はモアイ島かな・・・・
全国にモアイ石と言うのはあって小樽の祝津だか何処だかにもモアイ像があるらしく本家のモアイ像と真正面を向いて対話してるらしい
北海道はそこら中に来たはずの無い義経の墓など関連した地があったりするので、そんな事もあろうかと

これからは正確に歴史を記録されるだろうから、そう言ういい加減な話は無くなるだろうと思うが、なんかつまんないと思うのは俺だけか・・・


岩村城下町
昨年 平村に行こうと思い、ここを夕方偶然横切り
その時の何かいつか見た光景だと感じてまた来て見た。
アチコチ旅をして歩くが縁もゆかりもない初めての場所でもここの景色はいつか見た事があると思う事が度々あり
これがデジャブと言う奴なのかと思ったりしていて町営駐車場に止めて
歩いてゆっくり見た。


一軒ごとに書き出し看板がある


ここにも全部見て回ったら相当出来が良くなると思う。


ここまで来てなぜに昨年春に横切った時に見た事があると思ったのかわかった。
朝の連続ドラマ「 はんぶん青い 」のロケ地だったのだ。
ここを初めて見た時に来た事があると感じたのはデジャブや
大変聡明で美しかったと言う、おんな城主「 おつやの方 」と俺が前世で何か言い交わしたとかあった訳ではなかったのだ。
五平餅食って帰ろうっと思ってよく見ると美濃はうだつの発祥の地なのにここにはうだつが無い事に気付く
面白い

美濃白鳥から郡上八幡

ありがたい事に長い事機械ばかり見て来て、それでメシを食わせて貰う事を許されてきた俺は
永久機関は存在しないと思っている。
もし何もしないで動き続けてる物があったらそれは自分を動かす事が背一杯で外に何か役立つエネルギー、恵みを作り出す事は出来ない
地球は太陽の恵み、外からの恵みを受けて初めて成立ち
地方の村も外からの何かしらの恵み、銭の流入がなければ成立たない ここに移住して来て30年
いまユーチューバーで田舎移住失敗を言っているが地域的なものもあるだろうが
山間の村などはそこで暮らす事が出来る人数が仕事や食い扶持等で自然淘汰的に決まってしまう。
そこに自分の考え方や経済活動のみで移住する事は村全体をレミングの行進に招く恐れがある。
一人で何もかもやります出来ますなどと言う永久機関など存在しないのだ。
田舎移住失敗などすべてが悪い事ばかりでなかったろうに、
せめてそっとその場を離れる事が最低限の礼儀ではないのかと
失敗すら他に転嫁してユーチューブで銭にする根性が好きになれない


この山を越える美濃街道を登って今日の目的地美濃白鳥に向かう。


九頭竜道の駅
道の駅でシッコに利用したら自販機でも何かしらの物を買う様にしてるが
ちょっと驚いた事があったが書かない
出逢ったまだ若い彼に気の利いた事を一言言ってあげれば良かったと思ったが驚きで言葉が出なかった。
肝心な時にダメな奴


美濃白鳥には車中泊をする事とこのラーメンを食べに来た。
道の駅の駐車場で呼ばれるまで30分ほど待ってやっと食った空腹は一番の調味料

これから出来る道の駅はこの様な道の駅になってゆくだろうと思う
北海道で近い形態は網走や岩内の道の駅 留萌も歩いて数分の処に飲食店が数ある。
車中泊やシッコだけに唯々利用だけして一円も地元に落とさなければ維持費は出し前に終り
道の駅の閉鎖に繋がっていく
ここの道の駅は観光案内所もあり歩いて数歩数分の処に飲食店が数あり
何処か居酒屋で一杯呑むのとラーメンを食うのがここに来た理由なのだ。
だがほぼ町の端まで歩いたが高級そうな店ばかりで俺が入れそうな店は無かったのだ!
客待ちのタクシー運転手がいる観光案内所で聞くが無いと言う
俺のいで立ちはツナギに雪駄でさらに面は黙ってると少々ガラが悪い
旅先では地元の普通の話が聞きたいのだが諦めて近くのコンビニで夜食と酒を買って車中泊で飲む
呑むと飲むの違いは誰かと楽しくは呑む 一人は飲む
飲みながらつらつら思うには美濃街道約60キロ間では車にすれ違う事はあまり無かった。
周辺の集落の人は一体何処を走ってるのか不思議でこれは岐阜県を走ってる間中感じた。
有料道路ばかり走ってるとは思えないのだが都市間移動はしないのか?


一昨年行った郡上八幡に早朝向かう
前回は時間が無く素通りだったが有料駐車場に止めてゆっくり見て回った。
なにせ裏道大好き男なので狭い路地や裏道を歩いて抜けて見る。


ガラでもないが小じゃれた場所も好き
郡上八幡ではすれ違う人は子供も大人も皆
「 おはようございます。」と言うが
色気の出始めた高校生くらいの娘っ子は言わない


「 あん~た~橋渡ったらんで~行かないで~ 」
「 別れろ切れろは芸者の言葉~嫌~や~ 」
とかなんとか言いそうな橋


裏はこんな感じ
俺は切っても剥しても表面と変わらないムク板とレンガの北海道の田舎から伊勢湾台風4年後の愛知県の都会に移り住んだ、
いきなり都会に行って感じた事は冬も枯れない道端の草や命すら危なく感じる寒さがない事や化粧ベニヤで作られた街にチマチマ感を感じてしまったのだ。
チマチマの反対語はダイナミズムだと思うのだが
一番のダイナミズムは建物や構造物よりどんな環境でも人の命が生きる様で
そのダイナミズムは裏側や内面にある様な気がしてならない


芸術などは一切理解出来ないが路地に俳句か川柳かわからんが書いてる事は何となくわかる
「 インボイス小商人泣く請求書 」
「 トムクルーズは歳を取らない 」
などなど郡上八幡の町屋は小京都風で庶民とは違ってそうだが面白い
こう言うのは高札でもないし書き出しでもない、なんて言うのだろう
どうも美濃人は好きらしい他でも結構見かける事があった。


美濃はうだちの発祥の地でもあるのだが 後で面白い事に気付く


たまに飛び込んでオッチヌ奴は居ると散歩中のおじさんが言っていた
それでも警告とは書いてあるが禁止とは書いていない
なんと書いてあろうが飛び込む奴も子供でもあるまいし見れば危ないとわかるだろうと思う。


出ました~高名先生設計 郡上市総合スポーツセンター
ま~通りすがりの奴が言う事でもないが
郡上ダイナミズムを感じない
地方によくある箱物はコンサルから出来るまでの過程が興味深々

大野市  

未来は過去の延長線上にあると思うので、その人は過去に何をその眼で見て来たかはとても重要と考えている。
総理が何を持って行こうが その眼で人は条件次第で狂気にもなる事をウクライナ、ブチャで見て来た事はとてもいい事だと思う。
原子爆弾の広島出の奴がま~面白い物持って来たなと思ったかも知れんが銭も一緒に行ったのだ。
聞かんくたってわかる事を少ない質問時間を使いわざわざ質問する方も面白い奴だと思う。
それとも出来レースか~


船内昼メシ
23時乗船と同時に風呂に入ると身体に花鳥風月からピカソまで必ずいる。
俺は人畜無害に見えるので何処に行っても結構話掛けられるがピカソはなかなか理解出来ない
背中に絵が描いてあろうが荷物を無事届ける事で社会貢献度は100パーセントなのだ。


15日 敦賀フェリー RORO船 乗り場
白線を書いてある処は釣り公園で車中泊で釣りをしてる人が沢山いて着が20時30分なので毎回ここで朝まで寝させて貰う。


出発~駐車場から数百メートルで北海道では見れない町並みがすぐ現れる。
今回は食べ歩きをしようと思い最初から食う物を決めていた。
越前おろし蕎麦、飛騨牛にぎり、けいちゃん、台湾ラーメン、蛍イカ、しらす、などなど


曹洞宗大本山永平寺 禅修行が出来るらしい


永平寺おろし蕎麦 900円税別 食う前 坊さん商売上手
摩訶般若波羅蜜経~般若波羅蜜多心経~空~食う~

数十年前から各地を車やバイクでアチコチ旅して歩いたがなんてコッタ
日本に大野市がある事を初めて知った
これだも北海道増毛!知らんと言われても当然だと思った。
感覚では日本海側より太平洋側の方が北海道に一度行って見たいと言う人は多いと感じる。
それは雪が降る土地と降らない土地にあるのかも知れんと思う。知らんけど
永平寺は食い足りなかったので越前おろし蕎麦を再度大野市、久ちゃん食堂で食う
おばちゃんとクッチャベリ過ぎて写真を撮るのを忘れてしまった。
俺が言うのもなんだが食堂と言うより雪よけの庇が付いた屋台と言った店だったのだが
まさに俺が旅先で目指す店に出逢えた。
うんうんさい先がいいぞと岐阜を目指すのだが