種子島に上陸したポルトガルのフランシスコ、ナンチャラから鉄砲を二丁買ったその内の一丁を国友に持込み同じ物を作ったのが始まりらしい
砂鉄は砂浜なら何処にでもあり1ミリにもならん様な粒が磁石に付くがそれをコツコツと集めて溶かして叩き伸ばして丸めてと
それだけでも想像を絶する。
火縄銃と弓は有効射程距離はさほどの差はないらしく50メートル程度なら正確に飛ぶのは弓が勝っていたらしいが
火薬によって飛ばす殺傷能力は鉄砲の方が勝っていてさらに音が凄いので、ビビらす効果は鉄砲の方が遥かに勝っていたらしい
弓なら見えるので狙って撃ったと分かり刀で おりゃ!おりゃ~と払う事も出来るが
鉄砲は誰を狙ったかわからんで とにかく、誰かがとりあえずバッタと倒れる恐さがある。
それでもヨーロッパの中世では火縄銃は雨が降ったり銃身を休ます為に休憩時間があり敵と近い為に敵と世間話をしたらしい
熱田神宮草薙館で真剣を持った時は軽いと思って
そこに居た見張り係りのオヤジに思ったより軽いと言った。
返った言葉は
「 真剣は人を切ると言う心の重さです 」と言われたが
この鉄砲は持った瞬間重いと思った。
同じ鉄でも鍛造品は重いので火縄銃と刀は鍛造度合いが違うのかと思った。
人間には眼で測る見た目と言う目方重量がある。
俺は鉄類は毎度持ってるので材質の見分けである程度は眼で重量を測る事ができ持上げる時に腰の入れ方が違う
今は重い物は機械で持つが昔は手で持つ事が多く重量を眼で測る事が多かったが
その人の経験則から来て同じ物を見ても経験が甘い者は測りが違う事はよくある事で
二人で同時に同じ物を持つ時は格が違う者と持つと怪我をする事があり
その時に怪我をするのは大概は足を引っ張られ熟練が怪我をするのだ。
それは物だけでなく対人間でもあり喧嘩になったら測りそこねて怪我の元になったりする。
現代においてはロシアとウクライナで相手を測りそこねた結果がロクでもない事になっている。
物でも、者でも、見た瞬間に感じる重さ感は結構当たりそれは経験則から来た第六感で
その第六感を狂わすのは大概は自分の傍にいる者、近いば近いほど身近に居る者によって狂わせられる。
あ~んた~などと酔わせて言い寄って来る者には特に要注意なのだ
ナンマンダブ~色即是空~
国友一貫斎作
その後江戸時代になり世の中が平和になったら空気銃を作ったり
反射望遠鏡を作ったり万年筆を作ったりとなってゆく
近くにキャノンがあったりヤンマーがあったりと滋賀や岐阜は意外と先端工業と古い物が混在してる。
滋賀県長浜市国友町国友
鉄砲を売った方