20インチだと思うが先々月からテレビが写らんくなった。
ここを握っていると見れるが手を離すと見れないのでクランプを挟むのだが
挟む力がだんだん強くなって時間の問題だろう。
このテレビは地デジになった後に買ったのでもう12年ほどになる。
金額は確か3万程度だと思ったが店員がいわくにはほぼ同じ金額でもっと大きいテレビが
買えますと勧めて来たが部屋と言うか家が13畳しかないのでこれしか置けないのだ。
地デジになった時点でテレビは止めていたが冬になって誰も来なくなった時に言葉出なくなって先生にテレビ買えと言われて買ったのだ。
もう欲しい物は殆どを経験してるので物で欲しい物はない
「ローマで午後1時5分に待っていますわ~」ではなくローマ13章5節らしい
「すべての人は、上に立つ権威に従うべきである」と言うのが続くらしい
アホ臭い俺の宗教に対する考え方は違う
若い時に朝コッ早くから色々な宗教講和を聞いた時期があってその中で思った事は
どんな宗教もその土地に根差したものが長い時間で残って行ったので砂漠の中のアラーもパレスチナ原産でヨーロッパで発達したキリスト教もインド原産の仏教もそこの風土と共にあって全然違う土地ではやはり残る事は中々出来ないだろうと思った。
最近売り出し中の宗教など少し考えるとオカシイとすぐわかると思うのだが
その中でも日本は特別な存在だろうと思うのはクリスマスにはケーキを食い歳初めに神棚にお神酒を上げる。
この柔軟さが78年間も日本国民はなんの因果も無い者を銃で撃つ事をしないで来れたのだ。
もし神が本当に居たら今の世界中の紛争は起きるハズがないのだ。
「神は乗り越えられない試練は与えない」
本当ならウクライナもイスラエルもなんの罪もない子供が犠牲になる事はない
神も仏もすべて自分の内にあり物事をどう捉えるかに掛かっている。
俺の回りはトラブルのオンパレードで絶えず揉め事を持ち込まれるのだが
その多くは揉め事を自分の立ち位置の延命に利用しようとする事が多く
それをタメにすると言い些細な問題を大きくしていく
お互いに自分のタメを横に置いて解決に努力するなら殆どの揉め事の解決はさほど難しい物ではないのだ。
メシアもアラーもキリストもお釈迦もヘッタクリもないすべては自分の中にあるのだ。
リーダーは前に進む時は皆の半歩先を進み下がる時は一歩下がって6秒待って考える。
墓を生前に作ったせいか最近は悟りの境地になっているなんか変だぞ~