世界中が暴力と殺戮で蔓延している。
いま起きてるイスラエルの戦争はWW2でひどい目に遭った国を持たない民 ユダヤ人は可哀想な目にあったから皆で助けようではないかと言うのが根底にあって現在地に入植させたのが発端で
WW2で苦労したはずなのに中東に元々居た住民との間に自分達がされた様に収容所と同じ壁を作り力によって押しのけて行った。
昔イスラエルにはキブツと言う集団農場があって知識人らを中心にイスラエルのキブツに行って苦労した民を助けようと言う流行(はやり)みたいのがあって
元塩町で浮浪児の様な生活をしていた時に
「 お前もいこまいか 」と言われた事があった
その時に日本からそこそこの人数がいったが
その行った人達は現在のイスラエルを見た時にどう思うのか聞いてみたい。
報恩を忘れた国にきっとやり切れない思いを持っていると思う。
報恩とはタテ社会では結構都合よく使われる事が多いが元々は仏教なのだがそんなのはよけて置いても報恩感謝は人として持つべき教えだと思うのだが
世界中から助けられ中東の軒先に仮住まいをしたイスラエルは報恩感謝を忘れたと言っていいかも知れない
立場が変わると言動も変わるのはある程度は仕方ない事なのかも知れないが人として生まれクタバッテいく時に様々な立場を経験して行くと思うが
銭金を超えた人間としての一貫した姿勢を貫ける事が出来たら面白いと思う。
出来ていないけど
この混沌とした世界を見ると何を成したかと言うよりは何をしなかったかを大事にせねばいけない時代を迎えたのかも知れない
俺はどうしてもシックリこないのが検事を止めて弁護士になるなどは立場が変われば言動も変わる見本だと思う。
どんな時にもひとつでいいから変わらないものを持ってみたいと思う
遅いけど
もう10年以上前になるが銭は無いが暇があったので一番安く旅に出る為に倉庫にあった原付バイクK50を引っ張り出して役場に使っていない番号
「ろ949」でロクでもない苦労してシんでも苦労と読むが有ったのでそれを使う事にして保険を掛けて
このボックスにテントや生活用品を入れて旅に出た。
現在このバイクは町のスカンピンパン屋にある。
この通行止めで考えていたら軽トラが降りて来たのでを無視して行った先の常を超えた処に集落があり
天の川ドッタラコッタラ 在原業平の墓があった。
滋賀県マキノ町在原
ここは何が凄いかと言ったらこの集落から一度も出た事が無いと言った爺さんがいた。
それでも一生を過ごしていける事に放浪癖のある俺は感動しました。
1週間でいいので休みたいのだが中々休みが取れない
そうグダグダ言ってられるのも誰かの恩のお蔭で言ってられのだ。
報恩感謝