さ~どこにいくべ~

冬の仕事も終わりに近づいたし申告が終わったら恒例の旅に出る、
今回は何処にいくべ~日本のヘソと言うべき舞鶴から和歌山か山陰か越後かとはたまた東北かと考えるともう毎日がわくわく状態なのだ。

広島県庄原


蒜山 出来る限り旧道を走るのだが何処を走ってるかもわからんで腹は減って来るは店はないはで見つけたのがここ蒜山で焼きそばを食った。
初めて食べるイノシシをゴチになった。

地元の普通の日常を見れたらいいと思っているので
いわゆる観光地には行かないので一流の接待などはして貰おうと思っていない
顔を知られていないこそ旅で
それは普段の自分がどうやって暮らして来たかが自然と滲み出て
そこには見知らぬ自分をどう受けて呉れるかという自分が試される場だと思う。

旅は今迄の総決算でもあり右に行こうか左に行こうかと新年度の予習でもある。

修理工と言う日常の仕事そのもが旅で
何が悪いのだ、原因は何なのだ、対策はどうしょうと未知への旅をしてる様なものなのだ。
毎日の仕事が旅でムッタシ来る事もあればまんまと予測があたりニンマリする時もある。
こんなワクワクする事は日常の中に足元に沢山あるのだ。

角をまがったらそこから旅と言ったのは永六輔
作られた接待やおもてなしなどあまり興味はない
切ったらチ~が出るようなムクの日常を垣間見れたらうれしいのだ。
フェリー代別、燃料代込み一日5000円の予算でさ~どこにいくべ~

ナースウェア


搔き集め固めた雪を飛ばす為のブロワーインペラ


その裏側、除雪機を使ってる人も大方の人はこの裏側を見る事は無いだろう。
ブロワーで大事なのは普段見る事の無い裏側の構造で
現在のこの形になるまでは結構な苦労をして来たが
しばらくはこの形以上の物は出て来ないだろうし今までの物よりはそこはかとなく美しさがある。
裏側から見ると翼延長線の根元は中心には向いていない事がわかる さらに丸い輪の構造がとても重要な役目をしている。
このメーカーはベルトも通常の赤ベルトより数段強度の高い物を純正品として使って来たが
この形になって凍結やベルト切れなどが無くなって来たし遠くに飛ぶ様になった。
機械も純粋に機能を求めるとそこに美しさまでが感じられるのである。
これが外から見える部分になるとデザイン性を求められて形に歪な物が出来たり、その外観の為に作業が難しくなったりコストが増えたりする。
機能性のみを追求しデザインは二の次にした結果が美しさを醸し出し
普段見る事が無い場所や物にも本来の美が存在する。


中頓別公園  航空自衛隊 F104戦闘機 最高速マッハ2
俺は自衛隊を思う時に我々は戦わない為にあると言い切ったノーファイトとの出逢いを忘れる事は出来ない。

日曜日にN先生にメシをゴチになり話を聴きながら
最初から見て呉れを追求する政治や芸術やデザインより本当の美しさは普段見る事のないうち側の中から沸き出るものなのだと思った。

俺は世の中で注射ほど嫌いな物はない それが毎日毎日テレビニュースで注射する場面が流れ恐怖に震えてるが
それでも時期が来たらコロナ予防注射はしようと思う。
一つには誰かに移さん為に
もう一つはなんの変哲もなく機能性重視のナースウェアが美くしいから

八戸南部せんべい

あれから三日しか立っていないがもう大分前の事に感じる。
眼の前に居たトラックと何処ではぐれたのか思い出せん
多分厚田道の駅か望来かだと思うのだが
わナンバーユニックは俺もよく乗るが積荷にもよるが4駆しか乗らん俺にはとても運転はしにくい
この路線を冬走るのはとても大変な事なのだ。
さらに普通免許で乗れるトラックは給料も安い
冬には鮮魚運搬トラックに乗った時期もあったが
いまは農天気に暮らしてる俺には戻りたくない仕事の一つでもある。
わナンバートラックは荷台確保の為に運転席では足を伸ばして寝る事は出来ない リクライニングがせいぜいなのだ。
あと何年身体を張って稼げるかわからんんが 出来る事なら一生を身体張って終わりたいと思うし
手を油で汚し身体を使うその世界で過したいし、その世界から出たいとは思わん

ホルモン焼きが食えたら牛ステーキなど一生喰わんでもいい
ここに居たら海鮮など普通にある。
ただ喰い方に問題がある。
国会で牛ステーキだの海鮮だのとニュースで聞いた時にはなんの話かと思った。
俺は扇動はせんが国会議事堂でデモがあったならチャンスがあったら行ってみたい
カッと来たら後先考えない性格なので戸が開いていたら中に入る事だってやるだろう。

頭はいい連中なのかも知れんがこれほど末端で身体を使って稼ぐ者達を小バカにし嘘を付きまくる連中はかつて居たのだろうか?

頭がいいと言えばピーチ航空を新潟で途中下車した東大卒らしい男が居たが
買えない訳でもないだろうに たった一枚のマスクに人生を掛ける。
34年間生きて来て自分の人生で生きていてよかった。
嬉しかったと
誰かに救われた事も誰かの手を引き上げ救った事も無かったのだろう。
ポケットに入っている小銭を世界の子供達の為に募金箱に入れた事もないのだろう。
どんな悲惨な場に、舞台に、居るのだろうとそう思う時に俺は奴が可哀想でならなかった。

舎熊のセーコーマートには焼酎ボトル募金箱があるが中に大量の小銭と一緒に千円札が数枚入ってるのだ。
それ見る度に500円で暮らしてる俺は凄い奴が居るなといつも思うのだ。
そこはいつも猛吹雪の時は避難場所になっていて無事に立つ事が出来たそのお礼なのか

34歳のピーチマスク男には春になったらもう一度北海道に来て231を歩けと思った。
牛ステーキ海鮮連中やガ~ス~野郎、お前たちは北海道の地は絶対踏むな汚れると
猛吹雪の待機中にニュースを車内パソコンで見て猛烈に腹が立った。

翌朝

札幌からやっとこさ戻ったら一度も逢った事がない八戸の人から機嫌直せとばかりに
八戸南部せんべいが届いていた。
大した役にも立っていないのに感謝感謝ありがとうございます。
いつもの悪い癖で散々食ってから写真を撮った。

国道231

24日に朝は8時半に崖っぷち村を出て札幌に向かう
浜益で天候が変わり電光掲示板に望来から先に行けないと出てるが
戻るのも451号を走るのも大変なので行ける処まで行く事に浜益から30キロ弱の厚田道の駅に着いたのが11時半
これが限界と道の駅に入る
風に立てて止めなければないのだがすでに満杯で止める処が無く
横に止めてしまった。
たった1時間程度でこれだけ埋まってシマッタ


ハイ、ローにデフロック付きはやはり違うトレーラーを引いたまま
午後1時過ぎになって脱出して望来に向かう。

この231は通行止めも道路管理者も慣れてる。
除雪車に数台づつ後ろに付けて前進させてくれる。
14キロ先の望来を目指し指示通り進むが
俺の車は2~3日は閉じ込められてもFFヒーターも装備も食料もあるので最後尾を走るのだが
それでも所々直ぐ前の車さえも見えなくなり置いて行かれたらどうなるかわからん
そう思った時に
脳裏にはアフリカ大陸をブチハイエナに襲われ必死になって走るヌーの心境になった。
一団から落ちこぼれたら命はないのである。
ぬ~ナンマンダブ~ブチハイエナ様ご勘弁を~

途中で大型トラックに乗用車が正面衝突は数台あった 他にも追突されたり落ちていたりとその車を避けて殆ど歩いてるのと変わらん速度で望来まで来たが再度通行止め
だけど乗用車がこの前も見えない酷い吹雪の中で半壊になるほどの事故を起こすのはよくわからん
路肩転落ならわかるがこの231から落ちた車を知ってるが発見されたのは春の山菜時期になってから発見されたのだ。


俺が除雪車に乗ったら其処ら中を壊しなぎ倒した物が春になったら出て来るべ~
先導車をつくづく見て改めて税金だけは払って置こうと思った。

今度は除雪車の後を俺が先頭で15キロ先の八幡を目指す。
今度は少し見通しが良くなりスピードも上がりヌ~から一歩昇格のチーターに襲われるシマウマになった気分だった。
で結局は札幌の目的地に着いたのは午後5時過ぎだった。
帰りは良くなってるべと思って八幡に出るがまだ通行止めで当別にでて275を走る。

稲田線は前を軽が走ってるのだが反対車線はまったく走っていない
此処は路肩に落ちる心配はないので行ける処まで走る事に
やはり峠の家は今日もカーテンを閉めていない

一体此処はどこと言う中を走り家に戻ったのは午後11時本日走行はおよそ230キロくらい走り稼いだ銭は一日掛かって燃料代込みで2万円ポッキリ

そりゃ~あんた牛肉ステーキと海鮮料理と一食7万も食わせて貰ったら何喰ったか忘れんべ~
喰った物は覚えていても誰と喰ったかわからん忘れたと
こんなクズ女やクズ野郎やガースーが出現したのはすべては国民に問題がある。
選挙を棄権した者は政権に白紙委任状を渡したのと同じ事なのだ。
一切文句は言ってはならない

もうすぐ3月

来月は毎年恒例の半月休みに入る今年は出来るなら舞鶴から滋賀、和歌と縦断かまた東北かはたまた瀬戸内かとそれか再度山陰かと悩みに悩んでいる いま行かんと歳なので次はないかも知れんのだ。
田舎に行って商いを見たい
ここで、これで商売になるのかと言う商売を沢山見て来た。


陸奥湊 朝市

商売をする人達は銭の嵩ではなく
その場に立つ事、仕事をする事が大事で その立ってる場所がその人の舞台であり人生なのだと思う。
仕事とは自分以外の誰かの役に立った度合いに応じて銭と言う点数が貰える。
それは一円を稼ぐ人はその一円に価値がありタダで貰える百万には大した価値もないし苦労の元になる場合もある。
自分の手で稼がんで濡れ手で粟の銭は
それは使い道を間違え何かを買う事は出来るが維持をしていけないで
持ってシマッタばかりに維持費で悩む事になり売る事も出来ない状態にハマってしまった人達を商売柄沢山見て来たし俺もその内の一人だった。

問題はその一円であれ千円であれどう稼ぐかであり、その手法や場を持ってる事で
明日も明後日も自分の手で稼ぐ事が持続的に出来るかにある。
それが心の安定を生み長い間に風貌にも表れて来る。
場を持つ事は中々難しく それは支えて呉れる人達があっての商売になり
銭は一つの流れの中にあって堰き止めるといずれは回って来なくなり場が立たなくなるのだ。

商売は一種の頼母子講でもあり その人が演じる人生ドラマなのだと思う。
その人達にとっては何も銭出して文化や芸術をわざわざ見る必要はないのかも知れん
場は田んぼであれ、海の上であれ、工場であれ自分達が芸術家であり演者なのだから

来月は何処に木戸銭を払いに行こうか時間に縛られずに動くにはやはり車を持って行くしかないのだが
舞鶴までフェリー往復6万は大きい
飛行機で行って現地でキャンピングカーも結構なお値段だし
出来る限り旧街道走る様にしたいのだが慣れない車は乗りたくないしバイクは全部4年前に手放したし
どうしたらいいべ~

稲田線峠

結局はステーキ会食や銀座三兄弟や高級ラウンジの口にするでけでも汚れそうな自民党の為のオリンピックだった。
巨額の金が動くと本人は動かんでも親族が上手に動く
オリンピックももはやパンドラの箱はそこら中に埋まっており地雷もそこら中にあるだろう。
さ~さ~会長~そっちの箱は開けてはなりませぬ安全な道はこちらでございます。
なんだコイツラ誰もが人類史上歴史に残る大変な時に

陽が呉れるのが早いので地方に出ると戻って来るのが夜になってしまう。
夜に稲田線を戻る時にいつも思うのは単なる偶然なのかとも思うが
それともそこに住む事によって同じ考え方になる何かがあるのだろうか不思議なのだ。
あまりにも不思議なので昨年そこを通った時に当主らしき人が涼んで居たので車を止めて立ち話をした。
その場所竜西は車では行けないが北に歩いてゆくと留萌幌糠チバベリ沢に出る。
南に歩けば雨竜オシラリカ国領に抜ける山道があり山道と山道が交差する場所にある。
南行っても北にいってもどちらも空の狭い食ってゆくのやっとの土地なのだ。

その人はタオルを肩に掛けた、いたって普通の人でなぜと言う思いは聞かないで終わった。

増毛鉄道遭難の碑が建つ阿分から恵岱別峠までおよそ25キロある
増毛から道中には信砂御料殉難碑がありそれを越えると丸山靖生の小説D級地帯の舞台になった御料がある。
小説D級地帯は小説と言うよりは戦後開拓農家のノンフィクションと言っていい
のちに恵庭にお住いの丸山靖生さんとお話をする機会があって
やはり小説D級地帯はノンフィクションだったと伺った。
右手に小説D級地帯に出て来る信砂岳を見ながら走るとやがて恵岱別峠になりロックフィルダムが見える。
そこから4~5キロ坂を下がってゆくと右手に初めての人家が見える。
その家は暑寒岳の箸別側の避難小屋とよく似た外観になっている。
箸別側の避難小屋はどんな豪雪でも避難が出来るような作りになっていて一階が雪に埋まると二階の窓が出入り口になり俺自身も実際に冬の避難に使った事が何度かある。

なぜなのか恵岱別峠を挟む二軒は夜通しカーテンを閉じる事がないのだ。
夜道や荒れ地に慣れてる俺でさえも増毛に戻る時にさぁこれから峠越えだと思う時に
友との永久の別れを済ませ帰る時も辛い時も自分の力の無さを思い知らされた時も
この家の窓から見える灯りを見るとなぜかほっと出来るのだ。

この峠道を歩いて学校や買い出しに里まで通った人達は一寸先が見えない猛吹雪の日には道筋の人の家に泊めて貰ったそうで
その人達は春になると市街地に出たら土産を買って持って行ったそうだ。
増毛阿分から空知北竜和40キロの峠越えの道に四季折々の様々な人達の時間が流れ過ぎ消えて行った。
増毛側の一軒は以前からの知合いで普通の人 普通の農家のオヤジなのだ。

帰り道の竜西の一軒屋も逢ってみると普通の人 普通の農家のオヤジなのだ。

東京オリンピック

ボロボロのオリンピックも最初からケチが付いてその原因はすべてが金が端緒となってる様に思う。
最初は招致に向けて数億円の裏金ドッタラコッタラ 次はエンブレムがドッタラ ナンチャラコンペのやり直しで一千億円以上がぱ~と 暑さ対策だとかで札幌移転で数百億円がぱ~
何度ケチが付いたら目が覚めるのだ。
ずさんさでは引けを取らない俺が言うのもなんだが原因は前政権のずさんな計画にある事は間違えない
さらにコロナで小さな逆らいようがない飲食店は休業させてもオリンピックは何が何でもやると言う。
普通に考えても多くのオリンピック選手は競技で生計を立てる選手と言っていい
その選手が選手生命の危険をコロナで犯してまで東京に来てオリンピックに出場するメリットはあるのか
開催しても世界中から来てGOTOトラベル世界版になる危険性は充分考えらるのだ。
それでも選手団を国威発揚の為に東京オリンピックに派遣する国があるとしたら
その国事態に問題があり その国は何処かおよその想像が出来る。
オリンピックが国策である事は1980年モスクワオリンピックボイコットを見ると間違えない事なのだ。
その当時の選手を代表して参加をしたいと言ったのは柔道の山下泰裕選手だった。
東京オリンピックはもはやどちらがバップを払うかIOCが音を上げるか日本が音を上げるかのチキンレース状態に入り
巨額の利権が見え隠れするのだ。

復興五輪とは言っても今だに汚染水の見通しすら立っていない廃炉なんていつの話なのだ。
自分世代で処理も出来ん物をさらに稼働させそこで出た廃棄物は食料生産がメインの北海道まで廃棄物を持って来ると言う。
誰かが処理を受けなければいけない事は分かるが それは今迄の物の処理を受ける話で受け皿が出来たから原発をドンドン稼働せと言う話ではない
自分で処理を完結させれない物を作っておいて退職金などナンノコッチャなのだ。

なぜに政治家はこうまでもムキになるかと言ったら裏で動く莫大な金と利権があるからなのだと思う。
今時水戸黄門や時代劇でもあるまいし現金を直接手渡しでバラ蒔く政治家は収監されても給料を受け取る。
国会議員は約2200万円の報酬に領収書抜きだよ~領収書抜きの経費年1200万と年720万円の使いみち自由の事務費、加えて政党全体で350億円の政党交付金 これは後でコッソリと国会議員皆で分ける。
こんなに儲かる就職先はないのだ。
それでも足りないと利権に走る。
何処に議員としての矜持があるのだ。

この光景は何も発展途上国だけの話ではない 日本でも数十年前には普通にやった話なのだ、ただ違う事は少しいいオートバイ印のツナギ服だった程度なのだ。
俺もブレーキライニングやクラッチのアスベストや希硫酸ガスなどの危険性は誰にも教えて貰っていない
ただ咽るからヤバイなと思って気を付けた程度でいまの日本では考えられない作業だと思う。

日本は確かに良くなった それは病院の先生や役所や政治家の指導もあったろう。
政治家はなぜに日本は良くなった、良くしたと、その思いを矜持を大切にせんのかわからん理解出来ん

この手の動画見る度に この人達の幸せとは何なんだろうと考えさせられる。
家で待つ家族なのだろうか 美味い物を食う事なのだろうか ゆっくり寝て見る夢なのだろうか なんなだろうと思う時に
もしかしたら一日一回何かしらの微笑む事とふっと気が休まるひと時なのかも知れんと思った。
普通の人、普通の生活こそが涅槃寂静の悟りに近いのかも

男遜女陽

日本男子で男尊女卑と本気で思っている野郎はまず居ないだろう
誰が当て字をしたか知らんがせいぜい「 男遜女陽 」程度だろう
森さんはもう近所の爺ちゃんになったのだ 世界の恥とまで言って野郎までがケシカランと追討ちを掛ける必要ないと思う。
世界はどうか知らんが日本は男遜女陽が永い歴史の中で培われた風土なのだ。
野郎は謙遜遜譲を美徳としてネエチャンはいつも明るく太陽の様にと願い生きて来てる。
ここは浜なので魚を木箱でよく貰う一人では食い切れないのでその場に居合わせた皆で分ける。
その時に均等に持ってゆくか全部持って行くかしないで小魚を残し大きいいい魚だけを持って行く奴は日本ではやはり嫌われるのだ。
野郎は七人の敵と毎日闘うが家で待つ家族を思う時にどんなに腹立つ相手でも思いをすべてを口に出す事は出来ない
言葉を呑むのも日本男子なのだ。

立憲民主党のレン、ナンチャラ言う叔母さんの様に毎度眉間にシワを寄せていたら野郎も勤労意欲も無くなるてもんなのだ。
世界中になんと言われようが男と女は違うのだ。
もし男の子が路上で躓き転んだら
男親は起きる為に手を差し出してやる事は無いだろう 自分で起きるまで見守って貰うのが精々で
千尋の谷に蹴落とされないだけでもマシなのだ。
だが女の子だったらサッと手を差し出して貰えるだろう。
5歳の子は5歳の苦労があり20歳は20歳の苦労があり、その時々の苦労で養った知恵を使い自力で困難を乗り越えるのが男子たる者なのだ。
そこで養った知恵は生きる知恵となって稼ぎ家族を守ってゆく
外で七人の敵と闘う男を包むのが女子の本懐と思うのだが
俺の姪っ子にも男女平等とウーマンリブ運動、中ピ連、榎 美沙子の様なのが居るが好きに勝手にやっとくれと思っている。

職人は仕事を教えては貰えない身体で覚えなさい、盗んで覚えなさいと教えられる。
現在はテメ~の命が掛かる事でさえ聞いて無かった、教えて貰ってないと言う
お前はバカと
それはただネットで調べる事と自分で図書館に通い本を読み調べる事とは
月とスッポン以上に大違いで外に出て風にあたり道々の景色を感じ歩く、自分の目で並べてある本の背表紙を見るだけでも全然違って来る。
肌で知る風の流れを知るそれは感覚として残り命の危険が迫った時に逃げる方向を指し危険を事前に察知する事が出来る様になってゆく


北緯45度5分 経度141度46分 河川の環境調査の為にチームを組んで定期的にダイバーが潜る この日は天候はいいがマイナス20度以下になったり閉じ込められたりと・・・・・・・・・
みんな元気ですか

冬は冬山の荷物運搬を30年以上やり夏は海を仕事とやって来たが男子本来の危険を事前に察知する能力が文明と便利さで落ちて来ている様に感じて仕方ないのだ。
文明が便利さがどんどん平均化し男女平等になってゆく
俺は何もかも平均化で格差ゼロでいいとは思っていない
そうなった先には夢が無くなってゆく様な気がしてならないのだ。
俺が言うのもなんだが目標があるからこそ道を間違えないで進む事も出来ると思うのだが

チヨちゃん~

留萌市役所のすぐ傍にあった錬成館で喧嘩に強くなりたいと邪まな考えから柔道を習った。
当時は畳敷要員から始まり留萌を離れるまで数年通った。
内地では南光中学でも柔道をやり近くの警察署に行けば柔道が出来たので
その後バイクで何度も転倒したが頭だけは打つ事はなかった。
邪まな考え方は40代まで続き勝ち越しを続けて来たが それは負ける者は努力と根性が足りないと思い続けて今でも何処かにその気持ちはある。
なにせ少し上の年代は竹槍と根性でB29と戦おうとした年代で総理や政治家などをする人達は戦争中もいい処の坊ちゃんで前線の悲惨は知らないだろうと思う。
竹槍は無くなったが生煮えの根性論は残り
それが百田 尚樹や水田水脈などと言うバカが出現する余地を残した。

第一回東京オリンピックの時は弥次ヱ町の新幹線ガード下でスポーツ感覚で喧嘩に明け暮れてる時代だった。
その時代は今より庶民のオリンピックだったが
現在のショービジネスと化したオリンピックに血税を使う事の意味は無くなったし
スポーツで鍛えた根性世代の代表格がつい本音がポロっと出たのだ。
そりゃ~近所の爺ちゃんじゃないのだからお辞めになるのも仕方ないのだ。

男尊女卑とまではいかんでも日本人の多くは嫁は全自動掃除機ルンバか全自動洗濯機か自動皿洗い機と思っているのは確かなのだ。
それが証拠に一旦嫁の支配から逃れた日本人の80パーセント強の野郎は元嫁どころか実子の養育費すら払っていない
そんな奴は春が近づくとこの辺りアチコチで雄叫びを上げ
頸椎捻挫のムチ打ちも恐れずに角をガチンコ、ガチンコとぶつけ合いし勝った者だけが種付けして逃げ切るオス鹿と大した変わらんのだ。


第一回東京オリンピックから5年後
チヨちゃん~ チヨちゃん~
あなた好みの~あなた好みの~女に~
これが大ヒットするが実際には嫁があっての野郎なのだ
それは充分承知してるのだが日本の男は外に七人の敵を抱えて忙しく疲れてるのだ。
世界中に言われたくね~のだょ~

かなり恐い話

2019年3月 舞鶴港 こっち見えるのは俺の軽バン 向こうに見える船は・・・・・・・

これはかなり恐いニュースで そうりゅう、が無線マスト損傷で3時間連絡が取れなかったとあった。
事故後浮上しても3時間も連絡が取れない
それは嘘だと海でもメシ食ってる俺は疑っている。

潜水中は地上との連絡手段がない潜水艦では内部で高度な判断が常に要求されるハズだと思うが
自衛隊同士の事故であれば違うかも知れないが
民間が相手の場合は相手の船舶救助の為にも当然に118にすぐ申告しなければない
今回は相手が大き過ぎたが
118通報が無い場合は民間人の救助は後に回った可能性もある。
潜水艦には乗った事はないので知らないが一般の海事従事者でもかなりの確率で衛星電話を持っている。
乗員は誰も持っていなかったのか 持込む事は禁止されてるのか
それであったとしても緊急用アンテナは常備していなかったのかと
機密事項としても不思議な事だらけなのだ。
勝手な推測だが自衛隊と言う立場から118に通報する事すら忘れてシマッタか後回しになったのか公表が遅れた言い訳にアンテナ損傷を言っている様に思えてならないのだ。
もしそうなら国民を守る事が優先事項だと思うが立ち位置を勘違いしてるのか海自呉基地第1潜水隊群上部の問題なのか
潜水中は外部との連絡が途絶え高度な判断が要求される潜水艦はそれで大丈夫なのかと

1962年10月キューバ危機の時にアメリカ軍による警告の爆雷を受けた核を搭載したロシア潜水艦は核の発射を決定するが
潜水艦副艦長ヴァシーリイ・アルヒーポフのただ一人の強い反対によって核発射を止め浮上し世界戦争は回避され世界は残った。

どんな職業でもすべてのアイアンサイトを見つめ指導する者は高度な人間性と崇高な理念を持たなければならない
もし出来ない者はその職から即刻降りて立つべきではない
恐い話でいったい日本はどうなってしまったのだ。

くしくも20年前の2月10日に愛媛県立宇和島水産高等学校の練習船がアメリカ潜水艦と衝突し沈没している。
またかと言う思いを強く抱いてる関係者もまだ多くいるだろう。