プーチンを一国の大統領と見たらおかしな事が就任以後沢山あり これはプーチン個人の資質の問題ではないのか
それならプーチン個人相手と思う時に人たらしと言われた秀吉のやり方は参考になってゆくのではないかと思う。
秀吉は家康を戦わずに屈服させる為に妹の朝日姫を離縁させて人質として送り
それでも駄目となると生母までを人質として送っている。
送られた側も絶世の美女でもあるまいし 粗末に扱う事も出来ないしで困ったろうに
世代交代の時に普通に親殺し子殺しが行われ、さらに嫁さんから妾さんと大量に居た時代に現代ほどの肉親の情や価値があったとは思えないのだ。
では人質の価値とは
「 お~お~アイツがょ~俺に頭下げてょ~大事な奴を人質に寄越して~ょ 」
と言う自分の満足と自分の価値がある事を周辺に言いふらすネタを送った事に意義があったのだと思うのだが
狂ったプーチンを止める事が出来るのはバイデンが秀吉の様に一段高い処から降りて秀吉は何歩歩いた知らんがプーチンににじり寄り着ている陣羽織をプーチンに着せる事をやったら停戦に持ち込めるのではないかと思っている。
日本の現代は愛知県稲沢市出身の信長と名古屋市中村区出身の秀吉、愛知県岡崎出身の家康にいい処も悪い処も背中を見て引き継がれて作られたと言って過言ではない
世界で誰でも知っているトヨタ、ホンダ、ヤマハ、スズキも三河遠江地方の出身者に寄って占められている。
この地方は現在に置いても50サイクルと60サイクルの切り替え地方でありウナギの捌き方にも背開きと腹開きの境になっている。
機械工具も西はドイツ式、東はフランス式と別れていて間違えると現代でも出先で作業が出来ない事もある。
蒸気機関が持込まれる前の日本では寒くて耕作地に適さない東側と急峻な西側との境目にあり耕作地に適した土地が多くあった事が様々に時代を作って行った事に繋がっていったのだ。
米が貨幣として流通した時代に農作物を如何に沢山手に入れるかは力の源になっていった時代に
京では年から年中プライドだけでマリ蹴りとお茶の掻き雑ぜに明け暮れていった その様を近くで見た事も三河遠江が抜きん出た事に繋がっていったのだと思うのだが
その土地その土地に根付いた文化と歴史がありそれを覆す事は一代で出来る事ではないし無理が生じていく
そう思う時にウクライナ大統領は相手を見間違え性急過ぎて大統領に向かなかったのではないかとも思うのだ。
せっかちの俺が言うのもなんだがもっとゆったりと山や海を見る時間を作る事も大切な事なのだと狂ったプーチンの一連の行動を見て思う。
血が飛び肉片が飛ぶ戦争は政治の最大の失敗なのだ一刻も早く停戦を