雑草

昨日午後から波が堤防を越えて来て窓ガラスに当たっている。
ここの窓ガラスは6尺×6尺の複層ガラスだがいつか割れるのではないかと思うので冬はガラスの前に雪を積んでいるが

夏は水槽浄化の為に水に強い草を植えてるがドンドン大きくなって大きな窓に日景を作ってくれる。

町に新しい駐在さんが赴任して来ると何かしらの怪しい草を栽培してるのではないかと中に入って来る。
特に若い駐在さんは全然関係ないワイファイがドッタラコッタラなどと世間話をしようとする。
俺は親切心から若い駐在さんの捜査能力を鍛えてあげようと
如何にも怪しい奴の様に出来る限り眼を合わせない様に反らす様にクビを90度横に向けて話をする。
サッサとこの雑草はなんでわざわざ植えてるのですかと聞けばいいものを~
ま~花でもない雑草をわざわざ育てるのは確かに怪しい
ウマダシヨウの間にイケない草を植えてるのではないかと横目で水槽の中をチラチラと見るのだ。


雑草は管理が難しい

本当にこいつは悪い奴だと思う奴にあった記憶がないが最近あれこれはチョットおかしいと思う者に立て続けに遭ってる。
明かに年齢は半分以下で規模と言う言い方はおかしいが規模は10分の1以下だろうと思う奴に俺のやり方は無駄が多いとか、ここをこうすると良いとか言われたり、
また他の者には生活態度がドッタラコッタラと言われてしまった。
俺は回りで見てると好き放題で常に一か八かに見えるので説教をしたくなるらしい

どうもスマホとやらになってから何でも知る事は出来る様になったが知ってる事と出来る事は違う様な気がしてならないのだ。
知らない事をスマホなどで字面だけで知るのと人に相対して教えを乞うのでは全然違うのだと思う。
このコロナになってからオンライン授業とやらが流行っているらしいが
教えて呉れる先生の一挙手一投足をしゃぶり尽くす様な教えを受けた者とオンライン授業やグーグル先生やスマホ先生に習った者との差が
逢った事も無い相手を批評したり叩く好戦的な現象に繋がっている様な気がしてならないのだ。
何かを知る事は楽しいが
冬の水の冷たさや焼けた鉄の熱さなどを肌で知ってやっと半回りでないかと思う
いまはチコちゃんに叱られるテレビをまったく見ていないが
もうなんでも知ってる事など大した事ではなくなる。
それよりは身体で実体験をした者が雑草の様に生き残っていくだろうと
自分が生かされる場所は何処なのか、どのレベルなのかと考えてしまい若者の話をうわの空で聞いてしまった。

レスキュー

海は恐い波打ち際をチャプチャプやってるのが一番だがレスキューとなるとそうはいかない


クルーズ船アルバトロス
直読みア~ホ~鳥が2017年に3日間漂流していた南太平洋トンガの漁師を救助する。
海でも陸でも民間で誰かに手を差し出すレスキューをするのはア~ホでなければ出来ない

最初のコンパスが動く処は船が旋回して漁船を風下に抱きかかえ波から防いでいる事を示す
途中で一人海に飛び込むが普通の精神状態では飛び込む事はないと思うが
3日間も漂流していればわからんでもない
救助が終わり救命ボートを吊り上げる時にバウにいた作業員二人のうち一人は骨折していると思う。
海の揺れる上での救助作業員は毎度危険と隣合わせなのだ。
この後クルーズ船アルバトロスの乗客は募金で15000ユーロを集めこの船を失った漁師が再起する為に贈った。
景色より食い物より一生の土産話になっただろう。

15年以上前になるが無人で漂流しているボートを見た事がある。
結果はあっと驚く為五郎だったがその後乗員は無事回収したが
海の上では焦りが一番禁物で何か起きた時を想定してイメージートレーニングをしておくことが大事だと思う。

美的センスゼロの俺が言うのもなんだが
美的センスとしては大きい船が小さい船を助けるからいいのであって逆だったら悲惨の一言になってしまう。
それは日常でも大きいものは小さい者に譲る事が美的センスから見てもいいのだと思うが
狭い桟橋を歩きすれ違う時もデカいボートオーナーが真ん中をデンデンと歩くのは美しくない
コンビニに車を止める時もいい車こそキチンと止めるのが美しいのだ。
いい車に乗るのか、いい服を着るのか、胸の内に持つのか
その価値観は自分が決めるもので
みなそれぞれが自分の中に王道を持っているのだと思うが


そうするとこんな事は起きない
昨年秋 左川口シャケ釣り場所からおよそ80メーター先でボートが釣りをしている。
ボートを持ってる王者の釣りとは言えん漁師じゃないんだから今年は止めよう。
さらに川口は太古の時代から流れて来た岩が必ず暗岩としてあり危険この上ないしぶつかればソコソコの銭も掛かるのである。

明けましておめでとうございます。

ナンノコッチャ年明けから仕事をして稼いでシマッタ

古い町並みを見て歩くのが好きでそれもいわゆる観光地は殆ど行く事はない

郡上八幡

町並みを見てつくづく思うのは現代の商店街がシャッターを付けた事で世相が変わってしまったのではないか言う事で
時間から時間まで稼ぎました後は自分の時間で一切ダメと言うなら勤め人をするべきで その程度の覚悟では商いをやってはいけない
商いは来て呉れた人と一緒に楽しむ道も沢山あるのだ。

この引き戸の商店が営業が終わった事を知らせるのはサラシのカーテン一枚なのだ。
俺がガキだった頃に空き瓶をぶら下げて留萌駅前の酒屋にたった1合の酒を買いによくいった。
買いに行くのが遅い時はカーテンが掛かった戸をドンドンと叩いて引き戸を開けて売って貰った。
売る方も夜中だろうが戸を開けてくれる。

昭和は戦争を経験した人達が商いをして平和に対する思いや覚悟が
いまの世代とはまったく違いその思いが地域を守って来て
小商いの商人も簡単に破る事が出来る閉じまいで誰が来るかわからんでも戸を開ける、その覚悟と
商いに対しての覚悟が違ったのではないかと思うのだが


上越高田

現在の成長戦略とやら言うが商いを戦いにしてはいけない
バイクで転んでも頭を打たない程度の格闘技は少しだけやったが強い者だけが残るならそれはもう人間社会ではない
商いは地域に必要とされ地域と共に育ってゆくのが理想なのだ。


宇陀

見ず知らずの他人を標的する犯罪が増えた事は何かがおかしい
地域の安全を考える時にこれからは小商い店は三階建とシャッターやドアを禁止したら
世の中は変わるかも知れんと思うのだが
防犯が悪くなった為のシャッターか
銭以外は一切シャッターアウトのシャッターが治安を悪くしたのか

俺の処は壊れた電動シャッターを外し引き戸にしたが明るくなってよかったが
戸三枚分の さ~サラシを買う銭がない~

正月は鳴物で サラシに巻いた~

嫁さんに逃げられた俺が言う
昭和の恋さんは待っては呉れるが平成や令和の恋さんは待ってはいない
待ったのは小室佳子さんくらい

あと一日


弥生の里 熊野の山々
毎年この年末になると歩くのもやっと言うほど疲れる。
区切りとしてやっておく事や思い出すのもムッタシくる事やあれやこれやと今年は多すぎたなんでだろうと考えてしまうのだ。

人類の歴史は500万年あるらしいが
俺自身は石器時代か縄文時代あたりに生まれていたらきっと今よりはマシかと思う時がある。
こまごました事大嫌い片付けも整理整頓も出来ない
一つの事を考えたら他の事は一切出来ない性格なので
住んでる傍に穴でも掘って魚や鹿でも捉まえて焼いて食ってそこに骨でもなんでも掘り込んで一杯になったら家族を連れて魚や鹿の居る処に移動
上司も会社も客もヘッタくりもない家族が食っていくだけの生活
それって毎日が釣りと狩猟のレジャーで毎日がキャンプ生活
なんか考えると結構面白いかもと思ってる。

う~ん着てる物が違うだけでこんな感じのオヤジは沢山いるぞ~
釣針がドッタラコッタラ 潮流れがドッタラコッタラともう目が祖先帰りしてる。

縄文時代と弥生時代を考えると
どうも俺の回りは縄文系が多いなと思いながら今日から年賀状を書こうと思う。
本年は真にありがとうやんした~

闇金方式複利成長戦略の限界


ヤマハOEMの除雪機をベルト交換した けっこう面倒
家庭用除雪機は栗山にあった石狩造機が最初に作り始めて次はヤマハがアメリカからTOROを輸入して販売を始めた。
TOROは日本では考えられない作りでモンキーとハンマーがあれば殆ど直るのではないかと言う作りでビックリした。
それは国土の広いアメリカでは修理は基本自分でやる事を想定した事を思えば理にかなっていた。

その後ヤマハは自社で作る事になり雪国の二輪販売店の冬の裏作として資金繰りに貢献したが
ホンダも加わり一大市場と成長するが
何を思ったのか二輪ルート以外の量販店にも各メーカーが卸す様になり現在に至る。
俺は思うがヤマハの中古部品はあまり売れない 売れないと言う事は壊れないのだ。
ヤマハの技術なら量販店で売らないでも充分売れると思うのだが
ホームセンターで売る事は資金力や訴求効果でドンドン売れるが
その代わりに二輪販売店は売上は落ちて冬の仕事を奪い後継者を奪い
全体的には二輪販売店は減少の一途を辿るに至り
現在は石狩から稚内までおよそ300キロ間に自転車がパンクしたら直す処は数軒しかない
だが除雪機は壊れても誰も命の危険などないから自分で治す者が現れるのは必然なのだ。
まった規格部品の集合体の除雪機はどうにかなって動いてしまうのだ。

生産終了して35年ほどなり部品が無いので他のキャブを付けるがいたって快調

量販店に降ろす事で田舎の二輪販売店が息子に次がせる事も出来ずに閉店終業してしまうが
メーカーが今までメーカーを育てた販売店を守る気構えがあるなら
多少の総台数は減ったかも知れんが夏冬通しでメーカーの為に稼ぐ販売店がこれほど減る事はなかったろうと思う。

「 クッソ~なんであのガキより俺が後ろなのだ~」と販売店同士を競わせる為に
年に一回北海道中から傘下の販売店を200社ほど集め売上順から前列右に並ばせた。
それは前年対比何パーセントの成長をする設定で
その差はアデ~レでさえ驚く複利で毎年毎年成長する事を求められる。
いま販売台数が100台を2パーセントの毎年成長するなら
翌年は102台5年後には111台を売る事になるが
そんな事は絶対出来ないなぜなら平均20パーセントのロストユーザーが居るからなのだ。
それでもバカの一つ覚えの様に成長率をいい 結果は量販店に頼み
既存販売店を殲滅してゆく
販売店は販売店で なら売ってもろくに儲けが無いなら修理で稼ぐのが当たり前で
歳食ったユーザーが居たら
「 旦那~今更買換えても使い方が慣れる前にアッタラコッタラ~ 」
と修理売上に走り買換えを進める事はなくなってしまった。
まったく卵が先かニワトリが先か状態になるが
メーカー自身が生んだ卵を卵焼きにして喰ってしまったのだ。

冬は解体中古部品業となってるが機械は余程の使い方をしない限り壊れる処はほぼ決まっている。
なので部品取りに持っていても残骸はほぼ同じ物が次々と残ってしまう。
これらはまとめてスクラップにするのだが
個々に外し売りに出す事は他者がやっている中古部品価格の暴落を招いてしまうのと外す手間と発送手間代にもならないのだ。
自分では業者間の付合いはマメにやって来たと思うので
閉店する店から次から次へと持ち込まれるのだ。
まった雪国の二輪販売店の苦しさもよくわかるので言い値で買い取る事が多く決算をするとナンノコッチャとなってしまう事が多いのだ。

メーカーは成長成長と言って卵を産みだしても卵焼きにして喰ってしまっては成長などありません
闇金の様に複利で成長重視する消費文明は無理があり終わったのだ船と違い壊れても陸地の除雪機は今ある物を大事にする事も大事と思う。
健康でありさせすればどうなっても生き残るれるのも末端枝葉の強みなのだ。

枯れ葉にチョロッと緑を混ぜて

新規のお客さんの修理は断り続けてるのには除雪機の整備や配達で毎度忙しい
24日は小樽まで配達に

9時に出る時はこんな天気で  これから120キロ先にトンネルやカルバートを16から18ほど通り小樽に
途中浜益から望来まで猛吹雪で先が見えなく
着いたのは1時で4時間掛かった。

お決まりの南小樽市場に寄って色々買う


帰りも吹雪にあう

25日は大荒れでほぼ視界ゼロ状態に
俺の家の前の道路は一台止まると対向車はやっとすれ違う
そんな中でも宅急便の集荷は毎日来るが
そんな状況でも宅急便のドライバーさんは恐ろしい事に右前輪に輪留めをする。

この吹雪の中でも道路中央側にしゃがみ込む輪留めをする行為はいつか事故になるだろうと思う。
そうなった時は第一当事者も第二もお互いに不幸になるだけだと思うのだが
さらに24日と25日はクリスマスプレゼントの配達で深夜になろうが配達が終わるまで帰る事は出来ないでいた。
吹雪で何処走ってるかわからん中で雪囲いで表札もろくに見えない個人の家を探して配達をする。
北海道の田舎では道路から家まで数十メートルなど常識!当たり前で
その間を雪を漕いで家まで歩く
靴はと言えば会社がどっかに大量発注した安手の靴で
車と言えばアイドリングストップで車内は冷え切っている。
やめた方がいいと思うので会社に意見はするが戻って来る事はない

日本列島は3000キロはゆうに超えると思うが雪など見た事もない所から半年雪降る処まで一律に決められ
それを上層部が言うなら逆らわないと固く守らせる構造は巨大になるとよくある話なのだ。

もすぐ車に落ち葉マークを付ける事になるが
その枯れ葉デザインを黄昏た年寄りに付けさせる事を考えた奴の頭の中身や何も言わんで製品になるまで従う構造は
アベノマスクも同じなのだ廃棄にも俺達から取り上げたミカジメ料が使われるらしいが
そんなバカなとアベノバカマスクとパワーアップさせつつある。

枯れ葉マークも多少デザインを変えてチョロット緑など混ぜた位にしても枯葉は残し
最初に考えた奴に気を使うデザインどれほど腐った落ち葉なのだと思う。

それでも先に希望は必ずある。
物事は一方だけに揺れる事はない右に揺れたら左にと
今迄は東京で決められた事が地方に流れて行く
それはテレビでも同じで東京目線で作られたモノが一方的に流されるがこれからはそうはならない
地方が独自に早く安価に発信する事が出来る様になったのだ。

北海道中の淡水魚を集めて飼育してるが
近くの川や沼でもよく見ると不思議が一杯で尽きる事はない


5センチほどの川カレイを採取して3年掛けて18センチほどに大きくしたが やはり淡水だけでは無理があって現在は飼育を止めた。
カレイとハナカジカは人を認識してると思う時がある。

八分に感謝

相談と雑談の違いは相談は結果を求めるが雑談はどうでもいい話で結果は求めない
中にはそれでどうなのよと詰将棋の様な会話や揚げ足取りの会話になる奴もいるが殆どは押し付けられる事もなくどうでもいい話で
その人の姿もセットになり
そうかだから今この人はこうしてるんかと気付きもある。
これが本で学んでもダメとは言わんが本でもドラマでも後から上手くマトメてる場合が多いので実際とはかなり違うと言う事が多いのであまり信じてしまうのも考え物な場合もある。

相談事は結構されると言うか修理業は壊れてどうしたらいいべ~と相談されるのがメシの種なのだ。
全然商売に関係ない相談事の多くは胸に結果を持って来る。
その自分の考えてる事に対して同意をして欲しい場合が多くたとえ正論であっても
その誰でもわかる正論を自身が実行に移せる能力と環境下にあるのかが問題で、
それが出来ないから現状があり やはり自分自身が答えを探す旅に出るしかないのだ。
賭け事ではないが勝負ごとを色々やったが先に行けば行くほどほんの僅かが達成出来ない
それは目標をほんの僅かを下げると数倍の余裕を持てると言う事になる。
現状は維持したいが苦しむの嫌と言うのは中々ない
苦しんでいるならやはり今の場を少し下げて立ち止まる事も必要で
750ccのバイクを買ってローンに苦しいいのなら125でも充分だべやと場を下げる事も大事なのだ。
様々なバイクを乗ったが大したかわらんのだ。
八分の生活も中々快適なのだ。

俺の回りはロクデナシやヤサグレたオヤジやお姉様が多いが見てる限りでは小ズルい奴やセコイ奴は居るがコイツ本当に悪い奴だと思う奴にあった事がない
人生もここまで来て腹をすかしメシもろくに食えない事も経験したし冬は山で仕事をしたので一応遭難もした冬の川に転落もした
借金もそこそこに抱えたが
それほど悪い人生ではなかった。
経験では悪い事より圧倒的にいい事が多いがそれは自分自身の物事の捉え方の問題で
精神科や診療内科では悩みや苦しみの90パーセントは自分自身が作り出した妄想と考える先生もいて
それはタダタダ話を聴いてやるしかないと言う先生もいて
その為に先生自身が病んでしまう人もいる。

誰かが言った死ぬこと以外はかすり傷と
まったくそうだと思う生きていさいすればそこそこにいい人生が待っているのだ。
経験上どにもならん事は笑って誤魔化せ 時が一番の妙薬になる事は多く
自分が生きる、それは誰もの生きる権利を認めて奪う事は決してやってはいけないと言う事なのだ。

雑談

昔若い十代の子を預かった事があって少々凶暴で自傷行為が激しかった。
その子の生立ちと態度に自分の若い頃を見てしまった。
それから平岸の心療内科がいいと聞けば連れて行き旭川市立がいいと聞けば連れて行き曙がいいと聞けば連れて行きと一年ほどやった。
その時の俺の認識では心療内科は精神科の一歩手前の科と言う認識だった。
やがて自傷行為は無くなったがその後も次々と問題も起き
なんどアンカーを抱かせて海にと思った事やら
カンが異常にいい奴で俺がムカついてる時は船には中々一緒に乗らん奴だった。

大阪の心療内科の問題は建物が消防法適合とか合法とか言う問題ではなくガソリンに火を付ける奴がいると言う問題なのだ。
ガソリン販売を厳しくしてみても自分の車か除雪機から抜けばいいので防ぐ事は出来ない
これが列車内やホームセンターなども防ぎようがないのだ。

自分はこんなに一生懸命やってるのに他の者に対比させて今の状態はどうなんだと言う怒り
その気持ちが熟成され社会に向いた結果が見ず知らずの一般を巻き込み電車を襲ったりする。
解決する為の方法は沢山ある。
落ちこぼれた者にとって再起を夢見る事が出来ない状況や社会の不公平感が絶望にと追いやる。
その怒りを持った者をそれを個人の努力の問題と片付けるのは簡単だが、
さらに弱い見ず知らずの者に向かう事は性善説にたった人間社会では防ぎようがないのだ。
防ぐ手立ては準備段階で思い留まって貰うしかない
それには脳裏に少しでもいい思い出が必要で
その思い出を与えてやる事が出来るかどうかに掛かっている様な気がしてならない
それは地域であり職場であり趣味の仲間なのかも知れない
隣町が小平だがある日止められた。
たまたま車検書が積んで無かったが警察官は「 あ~たまたまだね 」と
今度来る時あったら車検書を見せて下さいと言われ放免になった。
スピード狂いの俺でもそれ以後小平市街地は徹底してスピードは出す事はない

狂った奴でも脳にほんの少しのいい思い出を残せるかどうかに掛かっている様な気がしてならないのだ。
ほんの少しの小さないい思い出を少しづつ無理なく積み重ねていく
それは行政の問題ではなく地域に住む者がお互いに手を取り合っていくしかないのだ。
どう見てもヤサぐれてる奴には元ヤサぐれてるオヤジが頭の良さそうな奴には元頭の良かった奴と得手不得手はあるが
無理せずま~ま~こんなものかと言う程度で持続させて行く事が大事な様な気がしてならない
阻害からは何も生まないでさらに危険を招く

不公平感を持つ時にそれが納得のいくものでなければならない
アイツは頭がいいから仕方ね~やとか親が金持ちだから仕方ね~やと
そう思う時になんだアイツはと一番に思うのは政治家の姿勢が大きい
たった一日で100万だとか皆が困っているのに銀座三兄弟とかま~恥ずかしくもなく続きそれは怒りの対象になっていく
清貧であって欲しいがせめて皆の稼ぎのピンハネで食っている事は頭に置いて行動して欲しいと思うのだが

日々どうでもいい様な事 雑談が地域を相手を救うかも知れん
そんな訳で年明けは欲の塊となって皆で白やら黒のマスクして宝引きだ~

犬も歩けば

春に熊野古道の看板を見ただけで今更修験者になる訳でもないしと入口でバックして来て帰り道は愛知県が近づくと色々思うと事があって鳥羽からフェリーで伊良湖岬と名古屋をワープし静岡から岐阜敦賀と戻ったが
名古屋で流行っているらしい台湾ラーメンを食ってこなかった事はずっと心残りだった。

それがこないだ札幌に行った時に厚別北海楼で台湾ラーメンを食って来た。
中国訛りの日本語と言うのかオネエチャンの言葉がやたら愛想がいく聞こえる。

本場名古屋でも台湾ラーメンはこの愛想で食えるのだろうか
と思うほど北海楼は愛想がいい、声のトーンが愛想が良く聞こえるのだろうか
名古屋に結構長い事住んだが名古屋人に愛想を求めてはイケないのだ。
名古屋は大きくわけて東の良い処と言われる出と西の工場や港湾関係の出とにわかれ西にはドンコ競馬や中村競輪などがあり
パチンコなどは名古屋が発祥の地と言われているが
俺は賭け事は一切しない それは賭け事を裏から見た経験があり
半世紀以上前のある日 手配師のアニーに大門の傍にある競輪場に連れていかれアルバイトをした事がある。
耳に赤鉛筆を差しミカン箱に立ったオヤジに言われた数字を書いて紙を三角に折るバイトだった。
競輪は競馬と違い馬の機嫌や場場の状態など条件が少なく
一定の条件の元でやる為に配当が少ないが予想がしやすいらしく結構な人数のミカン箱オヤジが居た。
一レースが終わるとサクラのアニーがオ~オヤジ~当たった~と大げさに車券を振り回しこれで一杯呑んでくれ~と百円札を振って向かって来るのだ。
ミカン箱オヤジはオヤジで、ありがと~な~も~う、などと語尾を遠くまで聞こえる様にやたら伸ばすのだ。
これはボートを売る様になった時におおいに役立った。
ボートを買う人は漂流を考えて進水式でご祝儀を呉れる事がよくあった。
そんな時は集まってる皆の衆の前で蟻が十匹ありが~とう~ございます~と
最高金額は一月食えるだけ貰ってシマッタ事が二回あった。
そんな人に限って漂流はしない

競輪場の常連はまたやってると思うが知らん者はそれで結構買うのだ。
俺はと言うとここまで来て小学もまともに行っていないので字が早く書けんし字によっては鏡文字を書くので
クビになって現地解放になったが
電車賃もないので歩いて東に向かい出来たばかりの新幹線線路沿いを南に歩き続け元塩町まで戻る道中何時間も歩いて二畳半には食う物はないしと歩きながら色々いっぱい考えた。
こまったら外に出る陽にあたる歩くは今でも心してる。

千原町 ここのひだり側をゆっくり歩くとメシ食ったかと声を掛けられた。

いまも賭け事はしない

小っせい奴が

小っせい奴が小っせいキャリートラックで恒例の年末札幌詣でに二日間いっていた。

機械でも物が壊れる時は加速していく人類が石を道具として使い始めてから土器を作るまで10万年掛かっているが1903年の師走にライト兄弟がせわしく空を飛んでからわずか66年後
間寛平が生まれてから丁度20年後にアヘアヘ、ア〜メマ~と月に人が行っている。
こないだはどっかの成金が宇宙に行ったらしいが外国にも行った事がない上に船酔いする俺には
100億も掛けて、なんか他にする事はなかったのかと可哀想にみえてしまった。

人類が月に行ったからと言ってウサギから餡ころ餅でも土産に貰って来たのか
俺を始めどうでもいい雑学は増えたが庶民に何かいい事でもその後あったのか
歴史年表を見る度に俺にはなんか誰かにダマされて
現代は自分の幸せではなく満足が誰かの不幸の上に成り立っている様な気がしてならないのだ。
そう思う時に食って行くだけの俺は
なんかこの「 小っせい 」と言うフレーズがいたく気に入ってしまったのだ。


網走北方民族博物館
この時代は皆が芸術家で上手い事、焼けたとか網目が上手く出たとかで
そんな事で幸せを感じメシがいつもより美味く食えた時代だったと思う。
土と水があるだけでもう充分の小っせい幸せでいいではないのかと


望来から崖下村方向を見る。
海沿いを北上しトンネルを幾つも越えて崖下村に戻るがこの時期にこの坂を下り思うのは
現在は満足はしてるが幸せとはほど遠い俺には
冬の西日はターニングポイントは幾つもあった事を思い出させる。