用事があり二年ぶりに稚内に行ってきた。
前日から行きたかったが残った仕事があり断念
海は風が強く波もある。
今の時期は突風が多い時期で春の嵐とか春一番などと呼ばれている。
多くの人が
「 今の時期 北海道はまだ寒いから行くな 」と
引き止めればよかったと思ってるだろう
残された人達は時間を戻したいと玄関ノブに手を掛ける前に
電車に乗る為にホームで皆が前を向いて歩いている時に
時間を戻す為に雑踏の中で後ろ向きに歩いてるかもしれない
冥福を祈ろうが成仏してくれと言おうが何を言おうが亡くなった人は戻って来る事はない
生死が掛かる時は景色がゆっくりとスローモーションで動く
その中で残していく者を思い自分の事はあまり考えてはいないのではないかと思う。
第一当事者がこれからやる事は残された人達が
生きていれば当然あっただろう
賀状を貰い入学も祝ったりと普通の日常があったはずなのだ。
償いは訪ねて来る人をその地で待ち
残された人達の背中を、日常を、半歩下がって一生見守り続ける事ではないかと思うのだが
北海道に行ったきりになってる息子や娘や親の代わりになって状を書き続ける
季節を送る。
思い出すと嫌がる人も居るだろうでも、でも、なのだ。
自分が残された人達の運命を変える切っ掛けを作ってしまったのだ
あるかどうかわからんが一億や二億の銭で賄える事ではないし銭金で償える事でもない
これから生きて稼ぎ 銭を送り季節の品を送り忘れていない事を知って貰い
あった事を自分の身に刻む覚悟が必要ような気がしてならないのだ。
銭は暈(かさ)ではない爪に火を点し背一杯の金額が課された額で
送るにも振込では駄目でたとえ中の銭より送料の方が高くなっても字を書き封書でなければならない
ウトロ発の封書は潮の匂いを運び
それがいつか北海道に行ったきりになっている息子や娘や親からの状となり仕送りとなる日があるような気がしてならない