「一人口は食えぬが二人口は食える」

普段から車など数分に一台程度しか通らん道で人などは一日に数人しか通らん
半分は出稼ぎに来ているベトナム人でそれも若い
それでもラーメン屋ならここで土日だけの営業が出来る。


土日に数年振りで再開されるエビ地酒祭りでここは通行止めになるので嫌味たらしくノボリを立ててみたが
今年からここに住んで車を持ってる住民4人には通行許可書が発行されフロントガラスに張付けてると通行出来ると言われたが
ま~いいやと今日は数年振りで逢う子達や家族達も来て貸切り状態になるのだ
酒でもかっくらってと思っていたが
ナンノコッチャ通行止め時間になってもドンドン車が来る。
いったいどうなてるのかと思ったら今年から一方通行になってるらしい


一方通行はこの先のどん詰まりを解消し流すのは大変な苦労があると思うので役場の努力にご苦労様と言うしかない
そんなんで皆で食おうと思った大量のカキとホタテを急遽 ホタテラーメンに使ってがっぽり稼いでシマッタ
日曜日は早くに食材を売り切ってしまいあとは居合わせた人達と楽しく宴会をする事にして
ワイワイと騒いでしまった。


その辺で拾った材料で作ったラーメン屋の宴会場

何本も貰った酒をかっくらって宴会をしたが皆地方から来てるので雨が降って来て早々に帰ってしまった。
ケッエ雨で溶ける訳でもないのに皆一斉に帰りやがってと思ったが
それでも初めて逢った子供やすっかり大人になった子供も居て楽しく過ごせた俺は幸せな方だとは思う事にしてる。
半世紀前にこの道を進むと決心したのだが俺には家がない
家とは雨漏りがしようが隙間風が入ろうが家族の住む家が最高の家だと歳のせいかつくづくそう思うのだ

「一人口は食えぬが二人口は食える」
実際家賃も光熱費も一人も二人も大した変わらんのだと
いちど掴んだ手は離したらいかんと去っていく若い子達に見えなくなるまで手を振った。

船越英一郎様

昨日地元ホテルの日帰り風呂に行った。
玄関正面に救急車がドデ~ンと止まっている。
俺は嫁からやっと逃げ切る事が出来たサスペンスドラマの帝王船越英一郎状態になり
寂れた北の漁村にあるたった一軒のホテルの湯船に人が浮いてる状態が眼に浮かんだ。
野郎なのか女性なのか女性であってもここは限界集落の町なのでどっちにせ見てはいけないと思った。

ここ数日ホテルは工事関係者で駐車場は狭くなっていて狭い処に駐車した車を俺はそろりそろりとバックさせた。
時間が夕方5時だった事もあり俺がバックしてる傍を次から次と漁師の軽トラが突っ込んで来る。
漁師の野郎どもはツラこいて救急車の横をすり抜けて玄関に入っていく
俺はすげ~な~としばし車の中から様子を見ていたが
夜道で出遭ったらそのダミ声と吊上がった眉毛で失神しそうな小樽真内(現在はこの地名は番号に変わった)の船頭のKアニーがノシノシと入っていく
いまから40キロも離れた北竜温泉に行くのも面倒だしと俺は意を決して真っ赤に染まっているであろう
湯船に向かった。

そこには救急車には乗らんとだはんこいてる風呂場で転んだジジイが居た。
乗らんと言ってる者を無理くり乗せる訳にもいかんし、かと言って置いていってその晩にポックリ行かれても寝覚めが悪いし
救急隊員も浜の漁師相手は大変だなと横目で見ながら風呂に入り浜の一日は暮れていく


墓の画像が送られて来たので姪っ子とあ~でもないこうでもないと思案するが
面倒なのでM町公営墓地に一緒に行って墓石を色々見て回ったが、
意外や意外、その人の生前の様々な人生を垣間見る型や想いがあり墓地はまったく面白いのである。
ここでも船越英一郎状態になり本の一冊二冊くらいはすぐ書けるわいと
こりゃ~黄昏た町のM町中央情報局CAIと言われる暗号名フ~コお姉様と一緒に来るべきだったと思った。

どうせいつかオッチヌのである恨みつらみ、恨(ハン)も現世に置いて行きせめてあの世とやらでは愉快に楽しく過ごしたいと
だから誰でもいい誰かが面白いと思って貰える墓にしょうと
すでに一緒に入りたいと言う希望者が数人いるので横に置く墓誌に自分が入る時は面白い言葉を考えろと言ってある。


今週土日は久しぶりにエビ祭りが再開されるが~
毎回の事だがこの道が通行止めになり俺の店には入る事が出来なくなる
祭り期間中はラーメン屋は逆に黄昏て超暇になる。
港の広い駐車場を使う為にはこの海岸通りを通行止めにするのが一番いい方法とは思うが
ここに住んでる住民には決定する前に事前に一言あってもいいと思うのだが
こ言うのは顔で笑っても眼は笑わない、で結構~恨み貯めちゃうんだょね~ のんきな役所だぜ~

ま~通行止めはベストな方法とは思うし出来レースの公的集まりには一切出ない主義で
自分で代替え案も浮かばないので好きにさらせと思っている。
この通行止めをトレーラーは通年通して行うと通告があったが流石にそれは俺一人の問題ではないので闘ったが
もともと海上保安庁であれ警察であれ役所であれ協力はするが出来れば関わりたくないと言うのは俺の一環した基本方針なのだ。


エビ祭り期間中はドョ~ンとこんな感じになる。
それでも通行止めを強行突破して来る人も居るのでラーメン屋は営業はする。

ここでは食ったカキやホタテは外に掘り投げながら食っている。
貝殻の中に使わない携帯なども埋めて2000年後には新文明貝塚発見などと思っている。

老者舞


多和平展望台から根室半島方面を見る。
この何もぱっとした設備の無い360度が見える展望台もいい
木がちょろっとあるだけで森がまったくないここの冬はどんなのかと思うと恐い
猛吹雪でも森の中に入ると木々がざわめくだけで中は静かで逃げ込むにはいい場所になり
雪原で猛吹雪に巻き込まれたら天候が回復するまで動かないのが一番
その為には車だったら必ず毛布を積んで置くことが必要で防寒保温シートと言う物もあるが
防寒保温シートはピンからキリで買ったら必ず試してみる事が必要
粗悪品はタダのビニールにアルミ塗装もあり命に係わる。


網走方面を見る

ここから弟子屈まで25キロ 標茶まで20キロ
だたぴろい放牧地に家がポツリポツリと見える 人が暮らして居るのだろうと思うが
冬なら雪に閉ざされて町に行く事も難しい中で家族が一番の楽しみなのだと思うが
どうやって暮らしてるのか同じ北海道の西海岸の少し辺鄙な処にひとり住んでいる俺には想像が出来ない
自業自得 覆水盆に返らず


糸魚沢小学校廃校


降りる


さらに降りる

道道から急な坂を1キロほど降りて着いた先が日本でも有数の地滑り地区
砂礫と石の断層が海岸隆起で崖となっている
老者舞漁港(おしゃまっぷ)ざっと見た感じでは100人ほどが暮らしていそうだが
この辺鄙な漁港は一軒づつがかなり裕福そうな建物で同じ海岸淵でも北海道西海岸側とは全然違う
こうして同じ北海道でも地政学的にも同じ経済になる事は無いので自分の住んでる場所にあった出来る事をやっていく事が大事かなと最近つくづく思う。
もっと早くに気付いていたならと思うが生きてるだけでもま~いっかと思う。

この後釧路で用事を済ませ戻ってする事があるので一泊二日の急ぎ旅終了。
大好物の花咲カニは一番美味いと思ってるがロシアからの輸入が減ったのか一匹3000円もした、
普段なら数百円なのにとクッソ~戦争早く止めれと未練タラタラに横眼で見ながら花咲カニは諦めて釧之助でメシ食って霧で見えなかった美幌峠を再度見る為に北見回りで戻る


俺の住処 北海道大字道西小字西海岸字崖下村と俺が勝手に呼んでいる
ほとんどが朽ち果てた空き家で崖下村の住人は10人だけ
ここに来てから数十年になるがいつの間にか住所地名が番号だけになった処も多い
誰が音頭を取って地名変更をしたか知らんがそこで暮らした人達の歴史もヘッタクリもない地名変更はその根拠はなんだったのか頭のいい奴のやる事はわからん

道東駆け抜ける 


美幌峠 道の駅

15日から動けるうちにと用事も兼ねて道東に行って来た。
美幌道の駅で車中泊をするが雄大な景色が霧でほぼ見えない

視界はおよそ30メーター前後 たまに前から車がゆっくり走って来るが
美幌峠は北緯42度38分だが、それが北緯48度、東経38度だったらキャタピラ付きの車両が見えた時点でこの世とはおさらばになる。
緯度一度はおよそ111キロで5度違いの555キロ先では今も殺戮が行われている。

世界の指導者はほんと天狗が多すぎでさらに欲たかりが多くいったいどんな育ち方をしたのかと思う。
お前の様な馬鹿野郎で欲たかりの為に下々は五里霧中、陰陰滅滅の恐怖の中で暮らしをしてると思うと物の値上がりなど大した事はない
命さえあったら大型乗用車は普通車に替え普通車は軽に替えてなんとか時をやり過ごす事も出来る。
どうでもいいからサッサと止めてくれと思う。
あとは自国内で穏便に
穏便とは言っても鴨の水かきなんだろうが野生の鴨は後処理を上手にやらないと不味い


物標もない雪で閉ざされた原野の真っただ中に置かれたら地位も銭もヘッタクリも無い
生きる為には食い延びる事が大事でその為には水と土に近く自らの手を使う者が生き残る。

食糧生産基地の北海道は水産物は釧路 農産物は十勝と北海道の中心は道東で札幌ではない
札幌は地方が作った生産物を横にただ回してるにすぎない、自覚は無いだろうが
北海道には道東、道南、道北、道央と言うがなぜかしら道西と言う地区はない
なんでだろう~

先月自分の墓を建てる為に公共墓地の権利を得たが条件は落日は散々経験したので西向きは却下で東向きにして
墓石なのだがデザインは稼がして貰ったドライバーとスパナを両方に立て中心にオイルエレメントをと思ったが墓掃除をして貰う姪に即却下されてしまったので
あとは修理工兼商人(あきんど)なので、こっそり銭を入れるレジ型にしようかと
チ~ンとおりんを叩く度に銭入れんかいとガシャン!と引き出しが開くのもいいかなと
レジ型は結構多い

連休終了 

29日から普段は土日のみで再開したラーメン屋も今年は1日20食限定で旗日は全部営業して結構忙しくま~ま~で連休が終わった。


峠を越えた処には出汁の出そうな白鳥は沢山いるが
ラーメンダシに使う採卵鳥は鳥インフルエンザで撃滅して美味い鶏ガラは手に入れる事が出来なく
あ~でもない~こうでもないと試食の毎日で29日再開にやっと方針も決まって今年も土日営業再開


太る物は美味い!

背油を使用する事にしたがこれもまた市販の物でなく
自分でチマチマと採った背油は美味いが営業前日は朝5時起きで仕込みを始めるので結構キツイ


屋台に屋根が掛かったような店
午後3時で店は終了してあとはその場に居る人達でツマミ持ち込みで楽しく宴会の日々

ラーメンは昨年よりはおおむね評価も良かったような気がする。
無ければ無いように何とかしてしまうのが物を作る人の本骨頂なのだと思うが
元々は修理工が本業なので人様の作った物をボルトを外してバラシて組むのが仕事で
自分で白紙の上に何かを作る事は出来ない
性格的にも調色をしていてこれでもかと色を混ぜて結局はダメにする性格なので
何も無い処からネジ一本でも野菜でも何かを作る人は凄いなといつも思う。

毎年一回だけ連休に必ず来て呉れる人や常連さんなどで賑わったが
飲食業は儲け度返しでお客さんの顔を見る為に営業してる人は多く
お客さんと作っていると言っていいと思う。

バッカみたい 


三田郷 揚水ポンプ 大正元年

18世紀後半から産業革命が起きて技術革新が一気に始まる。
その時から周辺機器や効率は多少変わったが機械は大した進化はしていない
機械は楽をする為に開発され時間が余った事で余休を楽しんだり作物が余分に取れたりとして生活は向上していったけど人間の質が追い付いていっていない

昭和初期の車やバイクと言った物は持てる者だけが持つ事が出来た。
昭和60年代にハーレーを乗ってるアニーがこれを買う為に友達を失くしたと言った。
土方をやり付合いをすべて止めて買ったと
物を手に入れるのはそれなりの時間と資質が必要であったが
現在は誰でもその気になれば持つ事が出来る。
言ってみれば持つに相応しくない者まで持つ事が出来る様になってシマッタ
もはや物と人との逆転現象が起きてると言っていい
SNSやヤフコメは持つに相応しくない者の集団と言ってよく

沖縄で追跡から逃げるニイチャンが乗ってるスクーターに警察車両で幅寄せして怪我をさせたニュースがあった。
ヤフコメの多くは怪我をさせてもいいと言うコメントが圧倒的多数
怪我をさせても構わんと言うなら それはもはや警察官とは言わん
警察官はその為に逮捕術を訓練しているのだ。
警察官は反省させ更生させ社会に役立つようにするのが任務で
そうしなければ社会に恨みを持つ者をただただ積み重ねていくだけになってしまうのだ。
自分の命や身体を掛けても国民を守る。 それが警察官の矜持
それがなければ武器を持って国民を守る為に自分の命すら掛ける軍人との境目が無くなり
ミャンマーやスーダンの様に軍政国家になってしまうのだ。

どっかのラーメン屋がニンニク入れただの入れないだのと大騒ぎになって貸元は屋号を返還させるらしい
バッカじゃね~のラーメンは庶民の食い物で漫画を読みながら食おうがどうしょうが客の勝手もっとも、
うどん屋や蕎麦屋はいかにも先代に使えて苦労してやっと店を持てましたと言う白い上っ張りに涙の跡がと思う真面目一筋の店主が多いが
ラーメン屋は昔チョットばかしヤンチャをやってましたと言うタイプの店主が多いのでラーメン店で狼藉を行うに場合は外に連れ出されケリの一発も入れられる覚悟が必要なのだが
ラーメンとはそう言う食い物なのだ。

夢ナンチャラと言うフランチャイズも屋号返還などと言わんで
客に合わせれない店は他って置いても淘汰されるのだから いまはしくじった子方を守ってやれと言いたい
SNSとやらも俺はステーブ.ジョブズにいまだに逆らってガラ携帯なのでよくわからんが
SNSやヤフコメを見るとバカになるのが早まるぞ~

江別にラーメンを食いに


エライコッチャ鶏ガラ無い

今年の夏分の仕事がほぼ終わったのであとは連休からラーメン屋を再開し秋頃までやりながら飛び込みの仕事をやるだけ
なのだが立ち仕事が結構腰に来て辛くなって来たので今年か来年まで出来ればいいなかと思って
もうお客さんは来なくてもこれまで世話になった人達が来て呉れたら充分と看板はすべて外した。

連休から今年のラーメン屋を再開するにあたって札幌以外のラーメンを食いに行って来た。
道中茶志内で味の大王ラーメンを食す
店内に居た常連さんみたいなオヤジに何がいいか聞いたらカレーラーメンと言われカレーラーメン700円を頼んだが出て来た処でそのオヤジは
「 今日は俺、塩ラーメンを食ったけど 」と言った。
その浦臼在住らしい土方オヤジはまた来いと言う意味なのかと解釈してしばし雑談をし、
そこら中にある三日月湖の魚の話しになって楽しくラーメンを食った。
ま~どんな店でも食う奴の勝手だが食べログに星ひとつ付けさらにドッタラコッタラ言う奴は損な人生を送ってるなと思うわ。

江別は何処も醤油ラーメンが700円が多く驚いたが
麺は昨年から3割上がりさらに5月頃から1割あがるらしい
家賃の高い都会で特に固定費の電気ガス代なども上がりそんな中でも700円を維持する事は大変な苦労があると思う。
さらにここに来て鶏ガラが無い これにはさすがに困った。
鳥インフルエンザはブロイラーは掛りにくいらしくブロイラーの鶏ガラはあるのだが殆どが骨ばかりで出汁が出ずこれは使えないのだ。
採卵用鶏は身も沢山ついていてラーメンの出汁はこれがいいのだが無く
半年しかしないラーメン屋には中々回って来ない、なんてコッチャ
ブロイラーの鳥ガラを使うしかないのだが それはタレから時間まで行程が殆どすべてが変わると言っていい
採卵用鶏ガラが出るまではあと2年掛かるだろうと思う。
もうその時まで俺はラーメン屋はやれるかどうかわからん
俺の店は殆どが償却資産と手作りの店なのでまだマシだが
他のラーメン店はガスや電気などの固定費の値上がりに食材不足など大変だろうと思うので味が変わったりするのは
大目に見てやって欲しいと思う。
俺は一定の目標は達成したので何も思い残す事はない
人生をやり直すにはラーメン屋をやれが俺の口癖で継続的に繁盛させる事が出来るかどうかはまた別問題だが蕎麦屋、うどん屋、焼き鳥屋などの一品屋をやるのは意外と簡単に出来るのだ。
最低限の設備を作り そこから徐々に設備を整えていくのが失敗もなくいいと思いやって来て
ラーメン専業にしてもそこそこに食って行ける事を示した気がするので
ここでジエンドになってもなんの悔いもないので やれる処までやってみようと思う。

う~ん白鳥なら一羽で200食分は出汁も取れそうダシ、何千羽も居るので一羽くらい減ってもと
江別の帰りに宮島沼に寄っていい出汁が出そうな白鳥やカモでもと思って北村まで行ったが止めて崖下村まで戻る事にした。

先日偶然にも道端で20年振りくらいで若い子に逢って
「 親方元気そうで良かった 」と軽いノリでポンポンと肩を叩かれた。
若い頃なら決して許すノリではなかったが
元気にやっていそうでなんか涙が出そうになるほどそのノリが嬉しかった。

オオカミオヤジ

竹トンボはなぜ宙を舞うかと考えた人は沢山いると思うが紙飛行機やゴム駆動飛行機とは原理がまったく違う
竹トンボが宙を舞うのは動力機関が無いからで手で回して勢いを付けて動力を手から切り離して飛んでゆく
もし動力を積んだら反力によって動力部分の機体は逆に回り飛ぶ事は無い
それを抑える為にテールローターなどが付いている。
ヘリコプターは飛行機と違い本来は飛ぶはずもない物を無理くり飛ばしてると言っていい


海上自衛隊 大湊航空基地 第25航空隊 2021年10月撮影
修理工としてその極限の構造を見る為にアチコチ触れる機体を見て歩くのが趣味に近い


各務原航空宇宙博物館 三式戦闘機 飛燕 実機
終戦2年前に作られた この時点でも操縦席は民主国家とは思想が違う事を見せつける。


飛燕 OHC 倒立エンジン実機


成田航空博物館 機種は忘れた この時に茨城でタカミと逢ったのが今生の別れになった。
仕事を休んでアニキと一緒に成田航空博物館に行くと言ったのを仕事せと諦めさせたのが思い出させる。

機械の構造を見るのが面白く その中でも自動車と空を飛ぶものは全然違う
車は故障しても地上で止まり 見てくれも重視するが飛行機は機能性重視で余分な物は付いていない、すべてが必要な物で固められている。
それだけに何かひとつ壊れたら替えは無く それは即事故に繋がっていく
空飛ぶ物の中で回転翼で飛ぶヘリコプターは飛んでるだけで奇跡に近い飛びかたをしている。
固定翼飛行機はエンジンが止まっても滑空する事は出来てもヘリコプターはボルト一本の破断でも即地上に叩き付けられる。
テールローターに何か例えばバードストライクがあったとしたら機体は反力で逆に猛スピードで回されそのままあっと言う間に地上に叩き付けられる。
ヘリコプターはそれだけ危険な乗り物と言っていい

僅かな時間で消えてしまった事で何処かの国によって撃墜されたと言う人達がいるが
考えるのは勝手だが広めるのはどうかと思うので
自分が実際に相手を倒す時に自分ならどうするか細密に計画を練ってシミュレーションを何度もして完璧にOKが出せる時にあとは善悪の問題で実行出来るとこまで思案する。
それも無い漠然とした事で戦争にも発展しかねない流言飛語を飛ばす事は許されない
いま時代は普通の車でさえ不用意に近づくと警報がなる時代に軍用ヘリに対空ロケットでロックオンをした時点で警報が鳴るし気付かない事などありえない
もし実行するなら至近距離から曳光弾なしの銃撃をするとしても
どうやって我が国のそれも国境を抱えた海上保安庁第11管区の海岸線にヘリコプターを撃墜出来るほどの火器類を持込む事が出来るのか
出来ると思った者は細密なシミュレーションをしてみるといい
国境を抱えた保安庁はウニ一個カッパライましたシャケ一匹密漁しましたなどと
セコイションベン事件ばかり狙ってる訳ではない
それは浜の駐在さんまでが全然違うのだ。
その隙間を搔い潜る事が出来ると思う者だけが敵国に撃墜された可能性もあると言う事が出来るかと思うが
いまの日本がそんな事を出来るほど柔ではない
この時点でヘリが敵国によって撃墜されたと言いふらす事はオオカミ少年と認定してもいいと俺は思う。
オオカミオヤジの根拠を示さずに戦争にも繋がりかねない事を言うのは
大酒飲みで酔うとネエチャン~達~何処から来たのと言う品性が全く無い俺が言うのもなんだが
その人間性を問われ品性下劣と言っていい 根拠を示せと
その為にフライトレコーダーを一刻も早く回収出来る様にダイバー会社に頑張って欲しいと願っている。

東山道美濃旅完


無事に戻って後二回曲がったら我が家


事故を起こしたら名前より年齢を言われる歳になりこれが最後の旅と思って店の看板はすべて撤去してから出掛けた。

思えば別に何処かに出掛けなくとも一人暮らしなので毎日が一人旅をしてるのと大した変わらんのだが
私生活ではひとりになって30年ほどになるが最近は一人立しますなどと言って熟年離婚とやら流行ってるらしいが
ま~そこそこの経験者としては夫婦と付き合ってる状態や同棲との違いは
籍が入ってる為にお互いに責任も生じる、
その責任を果たす場面に出くわす事無く出来るだけ回避してさらに快適に暮らす為には
世界は平和で何処にも食うに困る人も無く
稼いだ銭は自分達の為だけに使う事が一番いいので
その為には世界中の稼ぎ頭の亭主を健康に馬車馬の如く働かせるに限る
それには何がいいかと言ったら
病気にならん様に元気が出る様にと、愛情が有ろうが、無かろうが、食い物に気を付ける事がもっとも重要な事になる。
これが夫婦でない場合は相手の気を引く為には相手の好む物ばかり食わす事が多くなってしまう。
同棲と言うお洒落なものは経験が無いが これが夫婦と同棲の大きな違いなのだと思う。
多少文句があろうが大酒飲みでも暴力を振るわないなら
熟年離婚経験者としてま~ま~メシを食わせて貰えるうちは熟年離婚はやめておけと言いたい


郡上白鳥 道の駅で食ったラーメン 岐阜は何処のラーメン食っても小じゃれてる。

暴力は男同士の喧嘩は1発殴れば2~3発戻ってくるのでまだマシだが弱い者に向かう暴力は言葉の暴力も含めて
マザーテレサの言うように習慣化され加速が付いていくので、
警察でもどこでも相談してさっさ別れるのが一番

若い時に住む家を無くした事があったので
旅とホームレスの違いは帰る家があるかどうか位で気持ちを別にすると大した変わらん
家とは待ってる者がいるかどうかで大きく違い
俺の場合は幸せ者で,旅に出る時は毎回誰にも言わんで出てゆくが
戻って来ると近所が皆かなり怒っている もうこの崖下村がひとつの家の様なものなのだ。


岩村城下町 五平餅

人生はあっと言う間で今の考え方がそのまま続く事は無いと思う。
時代は目まぐるしく変わり変化に追い付いて行かない者も出て来てると思うが
付いて行かない事も立派な選択肢のひとつだと思う。
チャットGPTとやらもそんなのやってるとアホになると思うし
最近はひろゆきナンチャラ言うヒゲのアニーが有料相談で一刀両断の元に物事を言って除けるが
これは生身のチャットGPTと言ってよく もしそれが唯一無二の回答と言うなら
その陰に隠れた自分の収入なり地位を支えて呉れてる様々な人間模様を見落としてると言っていい
いまは動画は必要な事以外は見てはいけないアホになる。
旅に出て思うのは
自分の肌で感じる五感を大事にする時がもっとも大切な時代になったのだと思う。

東山道美濃旅 完

若者よ一人旅に出ょ

4月15日に24歳の若者が人生を詰んでしまう行為にでる。
俺には前回の元総理襲撃事件とはまったく違い
自分の人生の不満を他所にぶつけた様にしか見えないのだ。
ひとには様々な考え方はあると思うが
俺は基本的には個の塊が集団でまずは自分の事は自分でやれと思う。
いまの境遇もまずは自分の力で変える事を目指し
それでも力が尽きそうになった時に誰かに助け求めるを事をしないといつまで立っても自分では何も出来ない奴になってしまう。

冬は一寸先も見えなくなる冬山で何十年も仕事をして来たが集団に頼る者は道を覚えない
トド松を見たら左に15度曲がって次は右 次はと教えても何回行っても道を覚えない
それは物標が無い場所では自らの命を落としかねないのだ。
一人だからこそ自分の環境で自分の時間軸で自分に合わせて考える事も出来ると思うのだが


未来ある若者よ一人旅に出ょ~


北海道到着 ウトナイ湖道の駅に泊まり太陽に向かい走る。


新川
この辺りは同じ北海道でも雪は少ないが日本海側に比べると寒さがきつく
地蔵さんも毛糸の帽子にマスクと腹巻をして貰っている。
なだらかな丘陸地帯で平地が多く北海道の中でも特殊な地形をしていて苫小牧など南からの風を集めて石狩平野を吹き抜け石狩湾を荒らす。
その逆は石狩湾の風を集めて苫小牧湾を吹き抜ける。
両方の海域は密接に繋がっている為に波予報は両方を見る必要がある。
他にも寿都や瀬棚など地形由来の風が突然吹く事で知られている。


北海道を貫く街道
北海道は本州とはまったく違う成立ちではないかと思うのは北海道と九州は石炭が取れるが
本州では石炭が取れたのは福島県でわずかに取れたとある位で他は聞いた事が無いので
北海道は全然違う成立ちを経過してるのではないかと思うのだが
旧産炭地は苫小牧から稚内に掛けた線で多くが産出されて来て
その事からも北海道は数千万年前から現在の姿は決まっていたのかも知れない


空知平野に入る。


砂川市立病院
旧産炭地だが現在でも大規模露天掘りをやっている。
北海道の炭鉱は夕張を中心に12号線と452号線に挟まれる地域がもっとも沢山の石炭を産出して来て
現在も住民に炭鉱気質を垣間見る事が多い
九州は遠賀川気質と言われるが九州地方は歴史も古いだけに気質が凝り固まっていると思われるが
実際に九州出の集団の中で働いた事があり
北海道人には考えられないほど拘りが強く中々難儀をした記憶がある。
危ないオジサン達が集まる業界でも北海道はぬるいと評されるほど北海道はぬるいらしいが
ひとつには半年続く雪と言う逆らってもどうしようもない季節や
古来からの土着民はアイヌの人以外はおらずに全国の寄せ集まりが暮らす土地だからなのかも知れない
ぬるいは優しさにも繋がる。


正面の山を越えた麓が俺の住処