渡り鳥がクワクワと群れをなしてシベリアから戻った時に
隣で最後の店子の婆さんがオッチンで日曜29日に通夜があった。
まったく人の話は聞かないで家にヘビが出たキツネが家の前を通ったと言っては駆け込んできた。
俺の処は銭が無いので古材で暖房をしてるが煙突に煙が上がると
マキくべに来たと言って俺がこれから見ようとする朝ドラをBSナンチャラで先に見たと朝ドラの内容をクッチャベル
だまれババ~と 毎度同じ話で逃げられた嫁さんの話を聞きやがり
下手すりゃ~親より長い付き合いになった。
今日は告別式だが行かずにここを通るだろうからここから見送る事に
俺がここの土地を買って約31年になるがその時は勝手に呼んでる崖下村にはおよそ40~50人ほど住んでいて子供会もあったが現在は8人ほど
ここが水産会社の倒産で競売に掛かりおよそ1600坪が売りに出されたので
いつか住んでもいいかと買う事にしたが
元々住んでいた住民と話し合いをして土地を分ける事になって
残った土地はバブル期もあり現在の評価価格の8倍以上で競争入札になりおよそ1200坪をセリ落とした。
その土地は子供達がよそに住んで居た漁師は一代限りを条件に住み続ける事を許した。
やがて降って湧いたようにマリーナー計画が持ち上がり一気に時価があがったが
この後の経緯(いきさつ)は本一冊書けるほどの事があったがまだ書けない事もあり端折るが
その数年後に買って置いた漁師集落の土地にクソ生意気でイケイケの俺が移転をして来た事で数年はトッ掴みあいの喧嘩もありで揉め事や小競り合いはそこそこにあったが
昔の漁師は今の様にDNAなど無かったので海で遭難した時ように身体の何処かしらに目印を入れていたので知らない者には充分威嚇効果はあったが
俺自体はその手の喧嘩の仕方は充分心得ていたので小競り合いの喧嘩する事は都合が良かったのだ。
喧嘩する事はお互いの隠れた意見のぶつかり遭いの出る場なのだ。
すぐ時間をあけずに翌日には酒を2本持って訪ねて行き続きを酒を呑みながら聞く事に終始する。
なぜ2本かと言うと1本は自分のハラに入れて持って帰るのだ。
あらかた話が出終った処で俺に対する要望を聞くが
大概はこの時点でほぼ決着は付いていて漠然とした思いで大した要望など無いのだ。
何か困っていそうだと気付いたら出過ぎない様にして半歩先に出てやる。
ここは目の前に防波堤があって海が見えない為に漁師のオヤジもオッカさんも堤防に梯子を掛けてよじ登って海の状態を見るのだが
そこそこ高い場所もあり危険で転倒事故も起きていた。
堤防は国か町かどこの持ち物か知らんが希望者は10人以上いたが勝手に堤防に固定する金具を作って貰ってもらったりと
よその土地に入ったら身銭を切って共存共栄しかなく後から入った者は一歩下がる事をしていかないと
移住した側も何も楽しくない疑心暗鬼の警戒ばかりの人生で終わってしまうのだ。
漁師は天候で左右される為に自動車学校には行けずに免許を持っていないので自転車が多く
パンクすると町の自転車屋に押して持って行くのだが元々修理屋なのでここでパンク修理を出来るようにしたが
ひとり当たり年に1~3回程度しかなくパッチ価格などさほどしないので無料でやるとそれはウニやアワビやタコになって戻って来た。
元々質素な生活の集落対策費など大した掛からんのだ手のある者や技術のある者はテコとなって手伝う
俺はネタニヤフに言ってやりたいお前達はバカで無能者なのかと
もう窓から福田こうへい大好きな婆さんのカラオケも聞こえる事はない
婆さんに作って貰った煮魚の皿は貰っておくか!
合掌
スミちゃんから亡くなったこと昨日聞きましてビックリです。そして誰よりも貴方がショックと寂しさを感じているのではと想像しました。子供たちよりも貴方と顔を合わせることが多かったと思いますので家族の一人を失ったような喪失感でしょうね。嫌味のない良い人だったですね。私も短いお付き合いでしたがショックです。いずれ会うことになると思いますがその時は思い出話をしたいと思っています。
野辺送りのバスを見送りました。
もう歳なので悲しみはありませんが
寂しくなります。