俺は駅前の景観は持ち主だけの物ではないし、そこから進学や就職などで旅だって行った者達えの残すべき景観で応援歌だと思っている。
いま駅前の建物を力足らずで手放す事になったが
色々な好条件で買い手は居たが言葉だけで何もかもを信じるほど甘い世界に生きて来た訳ではない
そんな中で俺はシェーンを無宿人と言ったところ
今度の買手のうしだやさんのお内儀に「 シェーンですね 」ときつく言い直された。
そうなのだ無宿人ではないのだ、少なくとも懐に入った客人なのだ
深く反省をしたと共にそんな、お内儀に汽車を降りて来る人達や何かを探す旅人達の駅前の景観を託そうと改めて思った。
今日昼下がりの倉庫の前に見覚えのある顔が立って居る。
見ない振りをするが何度もお辞儀をする。
一月前に本州に戻ると言ったシェーンだった
苫小牧のフェリーに乗船寸前でもう一度と思って乗れなかったと言う。
もう一度ここに戻りたいと思って考えて考えて一月の放浪の末に戻って来た。
俺にとってもクソ狭いチマチマッた、ここ増毛の壮大な実験が始まる。
4年前のクソ寒い1月に大都会札幌で赤平出身の姉妹が寒い暖房も無い部屋で餓死をしている。
俺なら、ここのクソ狭い崖下村なら助けてやれたと今でも思っているし、これからももし出会えたら俺なら助けてやれると本気で思っている。
その根拠はどこに?本当なのか?
この舞い戻ったシェーンを自立させる事が出来たなら充分な根拠がある事にならないだろうかと思うのだが
なんにせ無事だった事を祝して祝杯をあげ呑み過ぎた。