見ようとする者に見え~

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元大工だった兄~がラーメン屋に転進して作った釧路ラーメン 隣がガソリンスタンドここで燃料補給をしなかったのが間違え釧路地方ではスタンドが見えたら補給したほうがいい

昨年から釧路は3回目だが何か見えた気がした。
市内やアチコチ回り帰りは道東道の旧道を帰ろうと庶路インターチェンジを降りるが帰って来るまで392号線と思い込んでこれは凄い国道と思って走ったが実は道道242号線だった。
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滝が見えるここでもまだ道を間違えてる事に気付かない
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庶路ダム 思い込みは恐ろしいまだ国道392号線と思っている。この国道は途中から242号に切り替わるはず何かよくわからんと思いながら走ってる。
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まだ国道でないと気付いていない酷道この後数十キロ走りやっと舗装に出るスタッドレスで良かった。
昔は和歌山県の国道はこんなのが普通だった。

釧路や帯広に数回来て何かが違うと思ったが
38号線から道東ではどんな奥地でも廃屋は中々無い事に気付いた。
日本海側では農家は百姓と言い
富良野ではナンチャラファームと言い
道東ではアグリファクトリーと言う
同じ北海道ではないのだ、
もう狩勝峠周辺と峠を超えた先には何も学ぶべきものはナイ

修理工で独身で自営業は心底遊ぶと言う事は出来ない
何を見ても勉強と思い商売に反映させようとする寝ても覚めてもなのだ。
稼ぐ大変さが身に染みてるのと生来がセコイので500円以上の物を自分の為に使うには大大決断をする。
悲しいかな3日間の休憩と思っていてもどこかにメシの種はないかと探してしまうのだ。
なんぼ探しても無い物は無いのだ。
天塩山脈を越えた向こうとは土俵が違うのだ。
廃屋が無いと言う事は片付ける余裕があると言う事なのだ。
それに比べて日本海側は夜逃げ同然の廃屋だらけ片付ける余裕すら無い、
さらに石碑は結構な銭が掛かると思うが石碑もアチコチにやたら滅多らある。
読むとご先祖様がここに入植し苦労の末に美田を作りナンチャラカンチャラ子孫一同とか
田んぼに水引いたドッタラコッタラを記念してドッタラとあちこちにやたらある。
増毛では飯場が雪崩に合い18人もオッチンデも何処からか転がして来たようは無記名の石が二個あるだけ残された家族が記念碑どころでない、どれほどの苦労をしたかを表してる。
何もかもすべてが違う

富良野はなぜかやたら学校があった
丘陵地の地下には目には見えない巨大な水タンクが沢山あった目に見えない物になぜ気付くかと言うと、魚を見るのに小川を探して歩くが突然小川が消えてその先には地下タンクの空気栓がある。
何もかもが違うのだ。

無い物はなんぼ探しても無い 
与えられた条件で生きてゆくしかない事を痛感した。
増毛はパッとした観光地でもないし小規模な一次産業の地なのだ。
外に売上を求めつつ地元を重視しなければメシは食っていけない事を思い知らされた3日間だった。
そこら中の川の中を見ながら麓郷の小野田そばを食って一泊して戻った。
小野田そばの店内にびっしりと名刺や小さな紙が数百枚以上貼っていた
一枚はそば一杯食ったと思うが700円掛ける枚数と売上を計算してシマッタ
悲しい~

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