もう時効と思うので書いて置こうと思う。
今から30数年前に経営してたバイク販売店にある16歳の子供が店に来た以前から何度も来てた口数の少ない子だった。
原付バイクの免許書を見せてスズキのガンマ50を新車で呉れと言った。
見た目ではわからないが動きが少しドンくさかった。
俺はガンマは止めてクラッチ操作の無いスクーターを買う事を薦めた。
その子はガンマ50を買うのが夢でその為に数十万を貯めたと言い何度言って諦める事はなくこちらが折れてしまった。
納車してから数日でフロントカウルを少しだけ傷を付け交換してくれとバイクを持って来た。
俺は高価なのでまた転んで傷を付けるだろうから運転が上手になったら交換しようと交換する事を頑なに反対した。
その子は違うバイク販売店にゆき交換を頼んだがその販売店は交換が面倒だったのか忙しかったのか
部品だけ渡し交換は自分でするようにと言ったらしい
その子は部品を持って俺の店に来た。
俺は丁度留守で部品を置いて店の裏道を通って帰った。
店の裏道は一時停止が何カ所かありその数十秒後に二度と店に戻る事は無かった。
いまはその道は公園にして通り抜ける事は出来ない
その子はクラッチ操作が下手で止まって再スタートが上手く出来なかった。
40キロで走る車は秒速11メーターですれ違うにはたったコンマ数秒の違いでしかない
たったのコンマ数秒なのだ。
バイクを売るべきでなかった、どこかで言う事を聞いて呉れたなら部品だけ売らなかったらと
何か所もの運をスルリスルリとかわし運を使い果たした結果だった。
浜の倉庫に無傷の走行70キロほどのヤマハのRV250を15年ほど預かっているが
もう誰もこのバイクの縁者も相続人もいない
ある日突然昔なじみの奴が留萌からバイクで俺を訪ねて来た
その時も丁度留守で若い者が俺が居ないと言うとバイクを預かってくれと言い残し駅まで歩き汽車で帰ったそうだ。
汽車から見えるどんな海を見て帰ったのか
バイクは置いてゆきそのまま二度と取りに来る事は無かった。
どれほどの悩みがあったのか何か所もの運をスルリスルリとかわし運を使い果たした結果だった。
生きてゆく事、命を繋いでゆく事は物凄い偶然で生きてゆく
明日かも知れないその偶然を毎日毎日大事に生きてゆくのが生きる者の務めなのだ。
どうしたら命を繋ぐ事を出来るのか悔いなく生きる事が出来るのか
どうしたら運を使い果たす事なく平和に暮らせるのか
俺のようないい加減で乱暴者が考えて考えて得た結論は
強運を誰かに送り分け続ける事、
日々いま生きてる事と生かされてる事を感謝する事だと思う。
ボートも預かったままになっているいつか時間が来たら事の顛末を明らかにしたいと思っている。
RV250は浜に置いていたら錆びて朽ち果てるだろうから、いつか帯広の大正二輪館に置いてこようと思っている。
とってもいい奴だったので天国にいると思うので取りに来る時は帯広大正町に行ってくれ