あきれる 3

IMG_1501
栗キントン~ヒノノニトン~ヒノノニトン~とヒノノヨントンで38号線を東上して帰りに
新たな基地を作る資材を上芦別の北都物産さんから買いました。
北都物産現会長は生まれ持って会長になるべくしてなったような人で
内地から戻って右も左もわからん海の者とも山の者ともわからん俺に
機械などを何も言わずに沢山買って頂きました。
もう20年以上もご無沙汰しているが 木材を見て感慨もひとしをなのだ。
増毛に来てしばらくしてから片手が不自由な新聞配達のオジサンに留萌の道路でバッタリ出くわした。
朝晩新聞を配達して貰うだけで何もこれった付き合いはなかったが向こうから
「 元気かい増毛で儲けてるね 」と言われた時は
自分の身体が不自由なのに雨の日も吹雪の日も新聞の束を不自由な身体に括り付けて配達して
こんなに一生懸命生きてる人にまで俺は気に掛けて貰ったのかと涙が出そうになった。

本当に俺の運の良さは多くの人達に蔭ながら支えられて来た。
雲のような多くの人達に受けた恩を返す事など出来ない
いまの俺に出来る恩返しはせめてゆっくりして貰う事しか出来ない
その為にもここの広さが必要なのだ。
ゆっくり出来る場があればお客さん同士で雑談も出来る。
見知ら者同士などの雑談には多くの効用があり江戸時代の持続した繁栄はあらゆる意味で木賃宿にあったのでは
ないかと思うのだ。
お互いの情報の交換と他業種の背中を見れる事が繁栄に繋がったのだと東北や北陸の様々な奥地を歩いた時に感じた
背中に教えられる事は多く それは感じる感性や環境が自分に育った事を意味する。
IMGP0770
3年前に適当にその辺にあったバイクに荷物を積んで人に逢いに青森大釈迦村へ

不思議で仕方ない事はここ増毛で貧困の子を見た事はない 旭川や滝川など12号線ではあきらかに食っていないと思う子は何度か見てる。
余計なお世話だとは思うが 一声自分は増毛から来てる事を告げ海を見に来たら寄るように言う事にしてる。
中歌崖下村に居た時は本当に訪ねて来て呉れた子が数人いる。
本当に来てくれた時は嬉しい
それが多くの蔭ながら応援してくれた世間にたいする俺の恩返しだと勝手に思っている。

ここに来る汽車は無くなるらしいが枝葉を切って幹だけで木は育つのか~オリャ~

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA