大江川の堤防を下ってゆくと途中に大同製鋼の頑丈な柵がある
それを見つからないように乗り越えるとやがてカーバイトの強烈な臭いがして
その先に港が見えた。
その港に芙蓉丸の姿を探す。
港に山積みなっていたスケソを拾いにゆく時にセメントを積んで留萌の海を
行き来する芙蓉丸の姿を何度も見ていた。
芙蓉丸を探しこっそり乗り込めば北海道に帰れると思っていた。
今日も芙蓉丸の姿は見えなかった
まった来ようとトボトボといま来た道を帰ると堤防沿いに残さい処理場があり
そこにはズリ山のように沢山のカーバイトが捨ててあり
その中からまだ使えそうな塊や鉄くずや大きなグラインダーの砥石カスも拾って帰った。
堤防下の宝生町に雑品屋があり何でも買ってくれた、わずかなお金だったが貴重な収入だった。
学校など、こんでも生きてさえいればいいと
いつも目尻の下がった泣顔の技術の片桐武司先生は言った。
運のいい事にそんな子供達が少なからずいた南光中学だった。
島から来たと言う川崎の中一の子は被害者も加害者ももしかして俺の姿だったのかもしれない。
金やるから北海道に帰れと言ってくれた朝鮮半島出身のオヤジを今でも思い出す。