最近の子供の虐待を思うに確かにどうしようもない奴は存在する。
しかしそれは一体いつ頃からそうなったのか
持って生まれたものなのだとしたら
生みの親は戦争体験した爺様はどうだったのか
どこかで修正したり押さえる術を学ぶ親分に出会う事はなかったのか
後からなったとしたら原因はどこにあったのか
過去に許しがたい理不尽な目にあったのではないだろうか
いまテレビ漫才か何か知らんがイジラれキャラなるのもがあるらしいが
一人の人間をイジルその行為を見ると反吐が出るほど腹が立つ
選ぶ事の出来ない親の事や直し様もない顔姿や弱点を何度も何度も言われる。
言ってる相手は楽しいかも知れんテレビの裏はわからんが
その程度しか放送できんテレビもそれをテレビで見て喜ぶ奴も病んでいる。

普通の人間はどうしょうも無いその怒りをどこに持って行ったらいいのか分からない
俺にはブチコロシテやろうと本気で思った奴が数人いる。
元々バカで言葉を遅く覚え短気で自分の意志を理路整然と反論する事が出来なかった俺は一度は寸での所まで行った。
いま考えるとそれで終わった事は本当に良かったと思っている。
見た目も仕事もパッとせん何かあったらケツを持って呉れる親も稼業の親もパッとせん奴は
どうしようもない怒りはどこにやったらいいのか
見た目はパッとせんホリエモンのような奴でも頭のいい奴は人を踏みつけて
かえってそれをエネルギーに金に変える事も出来るが
頭の悪い奴はどうすりゃいいのだ。
イジラれキャラだから 先祖の国が違うからととぞんざいに扱ったりする。
それが横行してるのは確かなのだ
一時期土下座が話題になったが 本当に土下座させた方が一方的に悪かったのか
相手は溜まり溜まったものが有ったのかも知れないと思うのだが
俺がたまに行く受付の奴は慇懃無礼ないったいどんな教育を受けたのだと思う奴ばかり
で首に巻いてるネクタイや布キレの端をジワジワと引張ってやろうかと思う時もある。 
心のブスがする同じ態度でも相手の置かれてる その日の立場で受ける影響は大きく違うと思う。
そんな奴らが少しづつ今を作り上げたのかも知れない
どんな相手に対しても礼儀と間合いを持ちクドクドと言うなと思う。

元々頭のパッとせん奴は家族と言う小城を持つのがいいと思う。
それは小城であろうが城主である事は間違いないのだ。
城主は誰であろうが寄って来る者を守るのが城主として親分としての品格なのだと思う。
頭の悪い出自のパッとせん奴でも弱い女子供を自分の命を掛けて守る事で世間から評価される道は残っているのだ。

嫁にも逃げられ数の縁起の悪い13畳一間で暮らし品も無く 洗濯はしたけれどいつか干そうと思う洗濯物に囲まれ
年から年中ツナギの上にホーマックで買った980円のジャンバーを油でコテコテにし袖の破れた貧乏臭いジャンバーを羽織った
バカで頭が悪い俺にはコイツ偉いなと思う奴がいる。

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