いったん暴力に頼り暴力を振るうと暴力は癖になるし。
その仕組みに取り込まれてゆく
30歳が40歳を張倒しても大した事はないが
中学一年生が二年生を張倒す事はとんでもない事になる。
今度は二年生全体が敵になる。
順々にリーグ戦を勝ち上がったら、今度は学校外のロクデナシが出てくる。
こうなるともう癖どころか毎日が恐怖との戦いになる。
命が惜しかったら場所を変えて一からやり直すか懐に飛び込むしかない。
それとて田舎出の中学一年では普通はどうしょうも無いだろう。
生まれてこの方、一本もタバコを吸った事はない
当時は悪ガキにまずタバコを吸えと強要される。
むせ返るのを見ていて回りが面白がる。
ところがどっこい父親が家にいる時は原野二線から吹雪だろうが雨だろうが
留萌駅前に毎日タバコを買いに行かされて、どんな事があってもタバコは吸わないと脳裏に焼き付いていたので吸う事は無かった。
次は万引きに誘われる。
ご幼少の時から金を稼ぐ苦労を知っていた俺にはそんな事も出来なかった。
結局は頭が超が付くくらい悪かったので腕力で対抗せざるをえなかった。
通り魔のように
刃物を持っていたら靴を脱ぎ着てるジャンバーに包それ振り回しブッ叩く
仏陀
時代はまだ義理と人情などというものがあった時代で
角を曲がったらヤクザのオヤジか地回りが一人はいた時代だった。
素情は元をただせば貧乏人か戦争崩れが多い時代で
『 実はあの人はいい所の出だぎゃ~なも~』
などと言わるのは不名誉と取られる。
『 なんでそんないい所の出の坊ちゃんが不良になるぎゃ~なも 』
きっと根性無しかこらえ性がないかもと取られ凄く恥ずかしいとされた。
グレには貧乏の出でなければなかった時代
ガキはガキなりに筋を通せば認めて貰える時代だった。
職安に行けば言葉がおかしいと察すると
「あんちゃん何処から来たの 切符とか何か証明する物あるかい 」と聞かれる。
当時は町工場でもどこでも就職すると切符さえ持ってると職安から旅費が貰えた。
仕事さえ付くと今度はその仕事場が自分を守ってくれる。
自分の所の若い衆が殴られたら、職場全体が対処する総力戦になって守って呉れる。
そうなら為にも身の振り方や作法を覚える。
それが同じ釜の飯を食うと言う事になる。
一定の役目を持った地回りや弱気を助け強気を???で任侠などと思ってる地元ヤクザが居なくなって街はすっかり浄化されたが
おかしいじゃないか目に青タンを作って歩いてる子が居て誰も助けないなんて
もしここ崖下村をそんな子が歩いていたら追い駆けて行っても訳を聞く
たった25戸くらいしかない村だが
西からツラツラと考えても、ここまで何も聞かれづに来る事は無いだろう。
二の腕に女の名前を彫ってシマッタ爺や大工か第八かのオヤジや町長様や自称吉本興業見習いの手品師などがいらっしゃる。
ここより先にも超面倒臭いオヤジがいる。
みんな身体を使って苦労して世界の海や街で稼いできたオヤジ達なのだ。
パン屋から金物屋に魚屋まで自営業や小商いは常に決断を求められる。
こんなに仕入れて売れるのか 銭はと日々決断の連続なのだ
そのかわり根性が座ってるオヤジやおっかさんが多い
弱気を挫き強気を助ける為に大店法を解除して町や通りに多様性が無くなった
小商いの商売人は常に通りに面して立って居て通りの人を見ていてくれるのだがいまは無い、
そんな街の通りを歩く田舎出の小さな子はどんなに辛かったろうと思うと
いま一度街のあり方を考える時期に来ている。
灯りは付いていても真っ暗闇の街をさまよったRyotaは
今の時代に生まれた俺の姿だったのかも知れない