基本的には修理屋を稼業としてるが とう言うよりしていたと言う方が正しい
修理はまず現状に気付き原因を探す、そこから想像を働かし対処をする。
推理がゲームのようにピッタンコと言った喜びと使う人の顔が報酬となる。
どちらかと言うと銭は副産物と言っていいのが修理屋の醍醐味と言ってよく
使う人の顔の見える範囲の仕事が修理屋の面白さでもある。
小さな修理工場にゆくと今でもテーブルにお菓子が置いてあり 近在のお客が集まりお茶を飲み駄法螺を語って居る。
結果は修理代の内訳はサロンの会費を払ってるに近い店が今でも残っている。
現代ではある程度の技術力とサロンの会費を両立出来た工場だけが生き残ろう事が出来るのだろうと
思う、
樺戸本を読んでから最近時間があれば遠回りなるが275号線を走る事が多く
財務実態は知る由もないが国道275号線にはそうとしか思えない工場や店が多くあり
一つの商売の有るべき姿と成功事例として見ている。
12号線とははっきりとした違いを見る事が出来る。
多分275のサロン会費は米とか野菜ではないのかと思うのだが
職人と言う仕事は言葉では表せれない微妙な手捌きや六感などの世界で
修理屋は職人の分類には入らないと思う。
殆どが予習と復習で大概は左に回せば外れ右に回せば締まる。
それを頭で考えるようではマダマダなのである。
右ウインカーはどちらから見ても右ウインカーなのとネジを右に回してる裏の手は同じ作業なのに逆に回す。
乗り物を扱う修理屋は右左は身体が覚えていて右手が右と言う認識はあまりない
それが証拠に修理屋は右と左が分からない奴が多い
メシ食ってる最中に左右ウロウロ迷い箸をする奴は修理屋かもしれないぞ
修理は時間が掛かるか早く出来るかの違いくらいしか無く 時間が何年掛かって良ければ誰でも出来る作業でもある。
もっとも見習い工ならかなりケツを蹴り飛ばされる事にはなるが。
昔のメーカーは小さいがゆえに使う人と近い位置にあり市場調査もよくやり
作る側も喜ばれる物を作ると言う、それが良い物を作る原動力になった事は間違いない
返り見て、
機械組立工が兵器を作り 輸出し手にし使う人を想像などをしたりする事を考えると
日本人と言う作業員の人の根幹を揺るがしかねない仕事になる可能性もある気がするのだが
動き流れるものは後ろ姿が華かなと思うようになりました。
永くないかもナンマンダブ~