ほとんどの人は乱暴な面とやたら優しい面と二面性を持っていると思う。
ただその振れ幅が多いか少ないかだけで
乱暴な面は社会で受け入れないのと優しい面を出してる方が生きて行く上では楽だから そうしてるだけなのだと思う。
北海道では鹿などは害獣である事もあるが
ハイ~ハイ~じっとして頂戴 静かに静かに は~い は~い ドンと一発~ ゲームの一環として狩られている。
実は狩猟の免許を取ろうと思って通った時期があったが なぜかその時は滅多にでない優しい面が出てる時期だったのか
講習を終えた時点で止め それ以後行っていなので狩猟免許も銃の所持免許も申請する事はなかった。
結果から行くとそれは俺にとっては大正解でいい判断だったと思っている。
人にとっての害獣駆除は理性があり自分を厳しく律する事が出来る人( 回りを見る限りかなり怪しいが )にやって貰うのが一番
開運町界隈を縄張りに走り回っていたガキの頃は道銀の斜め向かいに小林鍛冶屋があって真っ赤な鉄が様々な形に変わって行くのを飽きるほど眺めて 路地を左に回り有楽トンネルの隣のトンネルに出る、
そこの肉屋では豚が半身吊るされていて解体され肉になるのを見て 原野二線は密殺場があったので豚の味は知っていた。
そこを通り過ぎてまた左に回ると人が入れるほどの大きな木の桶が沢山あって、それを横倒しにして散々遊んでから
お金持ちの白い顔した子が通う幼稚園のガキに石をぶつけて泣かせてから路地をまた左に回り今の浪速湯の斜め向かいの第一自動車に行き
飽きるほど色々なエンジンが動く様を見て それから飲み屋街で拾って後生大事に抱えた一升瓶を西田雑品屋に売りにゆく
これが大体のコースだった。
俺がもし小林鍛冶屋が無かったら もし第一自動車が無かったら修理屋としての職人の道は歩んでいないと思うし
昔の職人の厳しい世界を知る事は無かったかもしれない 修理屋をやってる間は乱暴な自分は少しだけヘッコンでいる。
技術は盗んで覚えれと教えられ手取り足取りなどは無かったし見てると怒鳴れる事も多くあった時代に
大きなプラントごとに刺身のつま程度の維持管理の機械屋として
工事現場の飯場を渡り歩いた、その狭い場所を交代要員が来るまで同じ顔を見続ける事になるが
乱暴者の多かったトンネル現場や工事現場は上には上がいて、その中で青二才が生きるすべを叩き込まれた。
やってはいけない事も教えて貰いそれは今でも守っている。
相手の失敗や弱みを責めない
相手の身体を笑いものにしない
目上はどんな奴でも立てろと
どんな相手でも指はささない
指の無い奴が自分の頭に指刺さってしまいました~と自虐ネタで頭に突き立てるのを五分同士が笑うのは構わないが
その場面を年下が笑うととんでもない事になるなど
修理屋の生意気なガキだった事で現場では沢山、身体で教えられた。
すべては小林鍛冶屋や開運町界隈から始まってる気がしてならない
俺は思うんだが今は店や通りは綺麗になったが身体を使って働く場面が見えない
金を稼がない事務所は裏に作って職人の働く場面が沢山見えたらいいなと
まったくいい時代に生きたと思う。