北帰行2

内地を走っていつも思うのはこういう場所 
急斜面に狭い土地で町まで遠いのに人が住む集落がある 北海道はこういう場所には人は住まない。
場所は男鹿半島
IMGP0743
この場所は冬なら二駆動車なら大変どころか来れないかもしれない
何千年と続く土地で先祖から続く土地に関する思いれが違うのかもしれない
よく耳にするのは武家の落ち武者で身を隠しながら来る日の為に備えていたら500年と言う話はよく聞く
北海道は元々流れ者が主流なので土地に関する思い入れが少ないのが大きな理由と思うのだが

IMGP0744
夕方に秋田から100キロほど北の鰺ヶ沢に到着
普通に道路を走ってるのだが道々に旗を一本立って何かを売っているのを見かけるとユータンをし何かしら売子のおばちゃんとくっちゃべり買い食いをしながら走るので100キロ程度を走るのに一日掛かった。
もうこの辺り津軽になると言葉が違う。
一応商人の端くれの俺が道路の端に傘を立って座って商いをして
一日幾らの稼ぎがあるのかとすぐ思ってしまうが
内地はこのスタイルのまさに物売りが沢山いる。道路に大根を数本とか唐辛子を数パックとか置いて売っているのだが全部売っても稼ぎは知れてると思うし
聞けば自分で作ったと言う その手間たるものは大変なコストで
何か俺には理解不能の金には変えられない価値観があるのか俺自身が変わってしまったのか
とりあえず荷物にならない唐辛子を買いさらに行くと
海岸通りに傘を立てアイスボックス一つを置いてキャンデーを売っていた。
姉が北見に居る、逢いたいと言うおばちゃんからキャンデー買い食い
気を付けての声を聞きながら北に向かう。

IMGP0754

昏くなって鰺ヶ沢に着くが凄い風で飛ばされそうテントどころでなく
さらに天気が悪くなったので観光協会で素泊まりを紹介してもらう。
条件は飲み屋街が近い事と料金が3000円程度と安い事
「いまやってるかどうか分かりませんが聞いてみましょう」と聞いてくれた場所が鰺ヶ沢駅前の尾野旅館 素泊まり3500円
昏くなってから着いたのでよくわからなかったが中はビックリ
地区100年は超えてるらしく床も階段もビカビカまるでピアノ板のよう。
さらに中の造りは和風旅館そのもで
勿体ないと思ったのは何度もの改修で外観から中が想像できない事
何代も続いた旅館は娘は嫁に行ったので私の代で終わりだ~と女将は言う。

IMGP0750

荷物を下ろした所で早速 夜の町を探索に女将お勧めの居酒屋「なら」に行く地元の人が集まるらしい居酒屋は元呉服店だったのが廃業で居酒屋に変身したとの事だった。
マスターいわくなんでも友人の建築設計屋に作って貰った居酒屋の内装は小じゃれたセンスの良さそうな作りで田舎に行くほどよくある都会志向の作りだった。
中のお客さんも背広姿が数人で何を話してるのか津軽弁で早口で全く分からない通訳が欲しいと思うほどだったが
もっとスラム化した居酒屋に行きたかったので早々に店を出た。
『桐子の店』のような居酒屋をあちこち探すが鰺ヶ沢はどうも都会志向か気に入った店が見つからない
明日は旅の第二目的の事もあるので宿に戻る事に
俺は田舎モンだが都会から来る人に都会志向の店もなんだなと思うのだが

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA