寅と翼

俺は9月の初秋が一番好きな季節で海も一年で一番澄んだ色になり山には食い物がなる
その一番好きな9月に次から次とこれでもかと色々起きていた。

寅と翼を毎日見てその時代にはそうだった思う事があって引き込まれて見ていた
昭和31年には「もはや戦後ではない」と誰かが言ったが昭和38年秋の初めの頃に北海道から名古屋に汽車で二日間掛けて行った時に上野駅から東京駅に乗換の上野地下道を歩いて移動した時に浮浪者の様な人達が地べたに沢山座り込んでいて
その投げだされた足を踏み付けないように避けながら歩いた
名古屋駅に着いて名古屋駅裏にあった人の背丈程度のバラック群を見た時に受けた衝撃は今でも忘れる事は出来ない
何をもって もはや戦後ではないと言ったのか言った者は何を見ていたのか

愛知県は多くの戦闘機を作った地で十代の航空機関兵を戦地に大量に送り出した地でもあったが
昭和38年はその元航空機関兵がまだ40代にもならずにそこら中に居た時代でもあった
一夜にして価値観がひっくり返り矛盾と暴力で生きて来た帰還兵は
今でいうPTSDだったのだろうと思う その人達の中に混じり暮らす羽目になった俺は
その結果は推して知るべしだった
そんな事を思い出しながら寅と翼を見たが大筋はそれほど変わっていず時代を忠実に再現してると感じた。
ただこれは少し違うなと思ったのは当時の法廷で裁判官も弁護士も誰も風呂敷包みを持っていない事だった
あの風呂敷包みには観念させる迫力があった


太閤通り

病人は職責を全うしようとする病院やスタッフにその病をかわりに置いて来て病から解放され
犯罪者はその罪を関係者や周辺者に置いて来て立ち直って来たが
置いていかれた方は何倍もずっと引きずる
犯罪に時効はないのだ

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