留萌版保科有里

俺は電話が苦手で嫌いなのだ仕事がら電話はほぼ困り事でそれも時間も何も容赦がないのだ。

月曜日は瞬間風速38メートルを記録してラーメン屋の窓ガラスがフッ飛んだがもうどうにでもなれと
我慢して朝には駐車場にフッ飛んだガラスの破片を
夏になったら小さな子も来るのですべてを雪の中から拾っておかなければならないと拾い集めてる時に電話が来たもうムッタシなのだ。
電話の向こうでは夢グループの保科有里の様な声で

「 シャッチョ~除雪機が見えなくなった 」と電話が来た。
猛吹雪の中で置いた除雪機が埋まってしまい見えなくなったらしい
ここに水道の集金に来る浜のネエチャンは私もあんな保科有里みたいな声が出せるなら人生も変わったものにと言わせる
怪しいシャッチョと保科有里の掛け合いで元値はなんだった思えるほぼ半額以下になる物を売る昭和の様な夢グループ。
こんな感じで電話の向こうで「 シャッチョ~タスケテ~ドウシタライイベ~ 」と言うがどうしようもないと返事したが昼頃にここが晴れたのだ。
いまなら行けるとスタンドに寄ってから向かった
人類有史以来困ってる女を助けるのが男の役目と思ってる俺は引き返してもいいと行く事に
このスケベ~根性が人類を繋いで来たのだ。


10キロほどは何もなく順調に進んだが浜中の登り車線で突如渋滞が始まり昨年の事もあるので信号でユータンをしようとしが車が2台突っ込んで右折は出来ない ここからは次々と車が閉じ込められてやっと出て1キロほど進んだ処で俺の車が道路に出来た穴にハマり何処か壊れた音がしてアウトに


ここ崖下村から比べたら都会の真ん中で身動きが取れずに車屋さんに電話するが二次被害が出るから行けないと断られる。
エンジンは動いているので通行の邪魔にならん処まで移動して思案する。
段々暗くなり困ったなと思い始めた時にJAFに電話すると留萌は今日は会員のみで順番は百数十台目で待てるかと聞いて来たが
待てるも何も待つしかないのだ。時間は深夜になると言う。
車にはFFストーブもあるし食糧もあるので待つ事にしたが
普段車中泊は何も思わないが車が動けない状態で車中泊は不安が募る。
なんの物標も無い平原で何度も閉じ込められた経験があるのに燃料も満タンでFFストーブも一週間は持つほど燃料はあるのにだ。
歳食ったせいなのか留萌版保科有里に引き釣り込まれた事を悔んでいた。
結果は夜10時には到着しますとJAFから連絡が来てまずは安心
当日は周辺市町村からJAFの応援が続々と留萌に入って来て俺の処には
ここから約60キロ離れた毘砂別から来て呉れカーメンテまで運んで貰い代車を受取深夜戻って来た。
13畳ひと間の狭い我が家と言おうか我が部屋と言うかこれほど住まいが有難いと思った事は近年ない
車は10万位で治るらしいがイスラエルに悪意を持って子供達の住まいを爆破されたガザに寄付した方がましだったと思った。
90パーセントのユダヤ人がこの戦争を支持してるらしいが修理工の丁稚は最初に物事を一面的に見るなと教えられる。

悪い時は悪い事が重なり数日前からタブレットがアウトになって使えないのだJAFに位置情報を聞かれるが説明が上手く出来なかった。
タブレットを買え替えるかスマホに替えるか今更使いこなせるのかと思っている。
切替え時点で慣れるまでしばらく空白が出来るがこの際だからと思ったり

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