御馳走様

野郎の一人暮らしは食生活などの問題があり長生き出来ないと証明されてるが嫁に逃げられて30年になるがどうも俺は例外らしい
それはその日の食う物に困った生活をしたせいか食に関しては貪欲で若い頃は美味いラーメンがあると聞けば海を越えてもバイクに乗って何処までも食いに行った。
現在はさすがにそこまではしないが食欲は旺盛で食える時は食っておけと言う生活をしてるが
それをなぜか知らんが沢山のひとが支えて呉れている。


毎年決まってこの時期になると遠くから青森美人のお姉さんがカレーセットをどっさり持って来てくれる。
その量はひと月は食えるのである。

やっと今年の仕事は終わってあとは雪が降って突然の故障が起きるまで自由になる。
そんな時に今日は合鴨カレーに鶏手羽唐揚げをセットして食う
ほっと一息を付く時に何が幸せかと言うと仕事場で色々考えながら油で黒くなった手で食うメシが幸せなのだ。
初めての修理工としての就職先が日比野市場のそばだった為に朝は早く6時から働き夜はだいたい8~9時頃まで働いた。
大将や番頭さんの口癖は人より1時間多く働いたら1時間早く一人前になると言われて
屋根付いてメシもあたる住込み丁稚だった俺はうんうんとうなずき働きに働いた。
給金は残業代も含めてひと月に部屋とメシ代を引くと6000円を貰えたが夜になるとすぐ傍にあったマーケットで好きな物を
いまは影も形も無くなったが鬼頭合資整備会社持ちで夜食を食う事が出来た自由に使える銭などほとんど無かったのでそれは嬉しいのだ。
その通りは集団就職で東北や信越から来たバッタン子と呼ばれる機織りの子が多く給金日25日の昼休みになると故郷に送金する為に郵便局に沢山の子供達が並んでいた。

書いていて思い出す事は辛かった事より血の気が多かったせいで不義理や不始末など申し訳なかった事ばかり思い出す。
いまは通りの路面電車の石畳も地下鉄に代わり道路拡幅で忘れていいのだょとばかりに何もなくなってしまった。
人様の何倍も多く失敗や不始末をして来たので反省も謹慎も人様の何倍もして来た。
俺は思うのだが今現在ロクデナシでもいつかきっといい奴に変わる時はその何倍もいい奴になる可能性は高いと思うから
失敗したからと現在は利害関係者以外でも袋叩きにするが
四の五の言わんで足を延ばして寝る処と食う道だけは残してやってもいいのではないかと思う。
カレー御馳走様でした。

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