祝着至極大義

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最近思うのは江戸時代にはどうやってお茶を出したのかが気になりだした。
ポットもガスもマッチも三ツ矢サイダーも無かったろうから どうやってお湯を沸かしたのか、
その湯が沸くまでの時間はどうやって間を繋いだのか
ヤカンも鉄瓶で沸くまで相当掛かったろうにと考え始めたら夜も眠れん
大きな屋敷なら縁側で庭でも見ながらスズメがチュンチュンと鳴いたりしてるのを見ながら寒スズメは美味いだろうなどと考えて間も持ったろうが
一部屋しかない長屋の浪人の所に元上司の足軽頭みたいのが来たら水を飲ますわけにもいかんだろうし
う~ん悩む
話は関係ないが三ツ矢サイダーは毛利元就の遠縁にでもなるのだろうか
会津は長州が大嫌いらしいし 会津では総理の姿や郵便屋の制服を見たらぶっ倒れる婆様も居るかもしれん
 
江戸時代の庶民のお茶に何かおもてなしの原点があるようで気になったら止まらん
湯が沸く間に何か気の利いた話などを元侍の浪人がするとも思えんし 千利休は毎度お湯を沸かしていたろうから参考にはならんし
俺は思うのだが観光業界が「おもてなし」などと殊更言うのはおかしい
 商売人がおもてなしと言うなら商売物をタダでやれ旅館はタダで泊めてやれと毎度だが極端な事を思うのです。
役場なら税金をまけてやれと
う~ん江戸時代のお茶が気になってしかたない
それ以前に遡ると公家の文化で一般にはお茶の文化そんなになかったと思うのだが
それ以前はなんでも水を出したらしいが
北海道のアイヌの人達はお茶を出すには独特の作法があるらしくどんな貧しい人でも作法が綺麗らしい
朝鮮半島出身者の人達も独特の来客作法があり面白いが母国でも同じ作法なのか異国に住む者だけなのか一度聞いてみたいと思う。
「カリが赤木の山に飛んでイカ~」と言った国定忠治関係者の来所作法も面白いが今どきは挨拶もできん若い者が多い

急激なグローバル化で下々の作法は消えつつあると思うのだが身のこなしなどはやはり残しておきたいと思うようになった。

やっと長い事しまってあった海栄ラーメンのノボリを毎日立てる事が出来るようになった。
祝着至極大義である。

3 thoughts on “祝着至極大義

  1. 御無沙汰しております。

    私、、思うに昔は昔なりに湯は日常適温で有ったのでは?
    マッチ、ライター、コンロが無いので囲炉裏には種火の炭が有ったのでは?
    言わば少しの小枝で湯が沸いたのではと仮説が有ると思います。
    復帰以前の貧しい時代の温もりが今の豊かな時代には懐かしく思いだされます。

    話は飛びますが今年も来道を計画しております。
    まだ未定ですが詳細が決まりましたご連絡差し上げます。
    お体に気を付けられて日々ご活躍される事をお祈りしております。

  2. おはようございます。
    囲炉裏は田舎にはあると思うのですが 町ですとカマドですかね~ 江戸の町で下手に小枝折ったりして集めたら 犬蹴っただけで獄門ですから「ワレ~どこの枝を折りくさる 」とか言ってバッサリもありうるでしょうから 
    もしかしてこの辺りで言う小枝(シバ)などを売っていたのかもしれません 
    浪人と言えば傘張が相場と思うのですが そうなれば江戸時代は分業制の始まる時代と思うのですが 元侍の浪人が傘を背負って配達にはいかんだろうし 傘問屋の丁稚が集荷に来るでしょうから お茶などは出さんと思うし わざわざ相手に気を使わせる相手を出向かわせるのは気遣いが無いと取られるのか わからん~

    今度の来道の折りは少しゆっくりしてください
    お茶はありませんがオチャケなら沢山ありますので。
     

  3. おはようございます。
    こちらでは海開きが有りました! まだ少し肌寒いですが潜れる時期になりました。
    RYOさんの言う通り私の発想は田舎ではの発想ですね^^
    都会では薪を調達するのも一苦労ですから大変だったでしょう。

    それから来道の時はよろしくお願い致します。
    お茶よりも力水の方がうれしいですね。

    それではまだ残寒残りますがお体に気を付けてご活躍下さい。

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