忍者Ninnjyaとは何者Nannjya

今週は春に頼んでいた物がやっと入って来て中継地点まで取りに行って来たり下準備の為にアチコチ走って550キロほど走った。
時間に縛られ仕事で走るのは辛いので楽しい事を色々と考えて走る。


熱田神宮宝物館 真剣を持つ事が出来る。

真剣は重いと実際に持った事がある数人に聞いていたので、どれほど重いかと思ったら意外にも軽かった。
この宝物館の宝物をカッパワレない様に見張ってるハシビロコウの様なオヤジが居て
そのハシビロコウオヤジに真剣でも軽いですねと言ったら
「 真剣は人を切ると言う心の重さです 」と言われてしまった。

忍者に付いて色々思考するには、
乱世には様々な職業や世襲制の稼業があったと思うが各地の情報を集めに走った隠密や忍者などは
その場その場で自分自身が判断し危険をかいくぐらなければならない
その為には忍者は出先で切られたりと傷ついたからと言って忍ことを職業としてるので赤ひげ先生に治療を頼むわけにもいかないので自分でその辺りの葉っぱや薬草などで治療したり
集めた情報を何が重要かを整理して伝える知性と危険を回避する動物的感の野生も持ち合わせる必要があるのである。
さらに戦う為の武力も持ち合わせると言うスーパースターなのだ。

忍者が野生と知性と言う両極端なものを持ちわせた先にある中間は感性ではないかと思うのだ。
そこから思案するにも松尾芭蕉は忍者であったと言う結論に至り
俳句などを嗜む者はよいよ妖しいのである。

忍者の里、甲賀は製薬会社や化学会社が多く
薬草に通じたり火薬に通じたりした忍者が居た事が現在に到り
母方にくノ一を持ち 父方に忍者ハットリくんを持ち現在は製薬会社会長などがきっと居るだろうと思うのである。 知らんけど!

服装に関しては実際には黒装束などは無かったのではないかと思う。
あの姿で諜報活動をしていては見られたら言い訳のしようがないし、ましてや刀など持っているなど論外ではないかと思う。
一番は越中富山の置き薬売りや物売りの姿と俳諧師の姿が良かったのではないかと思うのだが
Ninnjya とはNannjyaと言われ正体がわからん様になって初めて一人前になったのではないかと思うのだ。

これ見よがしにバッチなど付けてる奴にはろくな奴はいないのである
恐いオジサン連中は襟の裏に止めていたが最近ではそれすらも見なくなった。


月に一回 この乳酸菌をここから140キロも離れた所から売りに来るオジサンがいる金額にして千数百円だが何かしらの手土産を置いて行く
当然仕入れしてるだろうから利ザヤはほんのわずかだと思う。

伯耆国の出の俺の偉大なる母親はどんなに貧乏しても自分の処に来る物売りさんからは僅かでも買ってやりなさいと言った。

ガキの頃は原野2線でその辺のバス停ほどの小屋で電気も水道もない食うや食わずの貧乏なのに定期的に来るのは紙風船を持った置き薬売りさんだった。
今になって思うのはそんな銭など何処を探してあろうはずもないボロ小屋に物を売りに来る人が居る事自体が不思議だったが
売りに来る方もほとんど人助けだったのだろうと思う。

騙されてもいいと、早くに手放した子供達が内地の何処で世話になってるかわからないからと、
年齢だけは母親を超えたがまだまだ母親を超える事が出来ないでいる。

One thought on “忍者Ninnjyaとは何者Nannjya

  1. 貴方を見ていると偉大なる母上が想像できます。この母にしてこの子ありがぴったりです。
    寛容で人間としても尊敬に値する母上だったことがブログの内容からも読み取れます。
    貴方は幸せです。

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