二日間 山に生活費を稼ぎに行ってきました。 行く度に毎度思うのだがたった半世紀ほど前に幌糠の国道から7~10キロほど入った増毛の稲田線との中間あたりのダムの下に辺りにも何軒かの家があったらしいし
ここ増毛でも信砂御料地から圀堺の恵袋別までに20軒ほどの集落があったらしい それが今では一軒もない
一極集中されて都会に出てしまったのだろうか。なんでこんな事になったかと言うと生活の便利さが大きな理由だと思うのだが北海道に比べて内地はどうしてこんな不便な所に人が住んでいるのかと思うような所に人が住んでいる。
以前にまだ雪がある時に新潟から三国峠のトンネルを抜けた右側の崖下に人家があり煙が昇っていた。
どんな暮らしか経済はどったら事になってるのかと思って下がろうとしたが取付道路がわからず行けなかった。
内地にはそんな車も入れん場所があちこちに沢山あるが北海道はそんな所に住む者はよっぽどの変わり者くらいである。
俺が思うに内地と北海道の大きな違いは歴史の違いで一か所にそれこそ1000年以上を超えて長い事先祖代々住んでる人が沢山いるが北海道はそんな人はアイヌ以外はいない それだけに道内の和人は積み重ねた歴史が無いから
簡単に圀を捨てる事が出来るのだと思う。
俺なんか住民票を数えるの面倒なくらい10回以上も変えてどこがどこだかわかんない
そんな俺が思うのだがもしTPPになれば食糧生産基地でアメリカ型の北海道にも変化が起こり
近い将来はヨーロッパ型に移行するだろう。原っぱはよく遊んだが一度も行った事はないがヨーロッパは極端な二重社会と思う。アメリカには無い車構造なのだが車はどれもかしこもファットなどやミニクーパーなど必要最低限の大きさが主流だが、そうかと思えば極端なフェラーリなどの高級車もある。
こういう小型車や高級車の作り方や会社はアメリカには無い
危機に出くわした場合は小さい事と多様性だけが生き残る秘訣と信じてる俺にはこれからは大きな商売と狭い地域だけに生きる商売と二重の構造が出来ると思っている。
これからは問屋制度の復活と市場と言うかマーケットが復活すると思う。
誰が言い出したのか高付加価値などとバカの一つ覚えのように言い
農産物に至っては生産量の8割が商品の価値ブランドを保つ為に規格外で廃棄されている。片や食う物が無い人がいるのにのも関わらずにである。 これからは高齢化などでどのみち高い物は買えない人が増えるのだから規格外を市場に流す仕組みが必然と出来て来るだろう。
こんな田舎でもなんでもかんでも包装してパックでないと買えない 魚ですらパック販売には一番美味い部分が捨てられ全体の半分も店頭には出ていないだろう、さらに売れ残りと本当にそんな事でいいのだろうか。
パックには大手の製造業者が遠く地方に送る事を考えた発送方法と中身は大して変わらんのに包装紙に描いたデザインだけで全国に売ろうとするセコイ奴がデザイナーなどと企くらんで考え出した販売方法に過ぎない 売る為のデザインの編み出し方法というものもあるが
製造元は一個二個なら手間にもならんからと その発送方法を考えたのが過剰包装のパック包装で納豆の3個セットなどは下敷きを敷いてラップまでして何がなんでも3個を売る。
これらは市場がもっと沢山出来たら過剰包装やパック販売は解消される。もっともっと地域を小さく市場を小さくしたら生きる道があると思うのだが
歌舞伎など一生見んでもいいしフェラーリなどくれるなら貰ってやるが金出してまで乗らんでもいい
土星の輪っこが無くなろうが宇宙船が火星に行こうがどこを飛ぼうが関係ない
それより軽のキャンピングカーが欲しい
これからは一流どころに努めてるとか金を持ってるとかという価値観でものを見てるようでは活きていけません、ただ生きてるだけですがな~魚と一緒、いま目の前にある日々の幸せ、活きが大事かと ハイ。