デカい大地の小っせい奴

毎日雪との闘いで気分直しに当別迄配達に行って来た。
北海道は広いがカーナビに当別町青山〇〇〇番と入れるだけで玄関先まで着いてしまった。
9文字これだけで着くなどデカい大地なのに凄いなと思う。

青山は暑寒山系の裏になるが石狩まで大きく回り道して片道100キロ

生振から東に入り劉連仁記念碑
劉連仁氏は強制連行で沼田明治炭鉱に行くが逃げて終戦を知らずに当別に13年も隠れて住んだという。
昭和33年と言えば北海道はまだまだ貧乏暮らしだった思うが、ここに居たとしたらさほど高い山でもないのになぜに見つからずに13年も暮らせたのか
今年俺はスズメバチ駆除に青草を燃やしたらミニパトが来て・・・・・・
冬は煙も上げずにどうやって暖を取ったのか
冬の食料は?もともと中国ではそんな暮らしてたのか
これだけ根性と体力があれば13年間なら歩いて帰れる場所なら歩いて戻ったろうと思う。

俺が昭和38年に津軽海峡を青函連絡船で渡った時はもう歩いて戻る事は出来ないと覚悟をしたのを覚えている。
それから穴グラではないが愛知県や関西周辺をアッチコッチ転々とした。
日本列島は異国から来たら歩いて戻る事は出来ない
そう思う時に異国から来た人を在日だのなんだのかんだのと差別するのは情として人間として偏狭でセコいケツ穴の小さい、頭でしか考えられない小っせい奴なのだと思う。

劉連仁記念碑を左に見て弁華別からさらに左の山奥に入り配達完了
帰りは町場に出たので念願の天ざる1650円を食った。
美味かったが150円予算オーバ~ 俺も小っせい奴なのだ。

2 thoughts on “デカい大地の小っせい奴

  1. 「俺も小っせい奴なのだ。」そう思っているのは貴方だけです。子供食堂などに寄付しているのを知っている私には小っせいどころかとてつもなくでかい人に思えます。

  2. あの~お言葉ですが 
    ベンツのコンバーチブルが安く売っていたので最後に買おうかと思ったけど
    よく考えたらクラッチべダルが無い車に乗った事はないし
    冬は波が車にモロに被るここは錆びらすだけだと思い止めました。
    ここに居たら稼いでも何もたいした使い道がないのです。
    食えないのはその子の責任でないですからね
    何かの足しになったと、たいした物を食わんでも
    美味く食う為の自己満足ですがな~

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