環境が人を作る 1


俺の車は46000キロ乗ったスズキマニュアル車だが先月初めての車検から戻ってからチェンジが何かおかしいギヤが入るのが一瞬遅れると言うか何か突っかかる気がする。
なんでだべ~と気のせいかと思いながら修理工の端くれなのと一般道では大した事ではないが急な山道に入ったらギヤが一瞬入らない事は少々危険な時があるので色々考えた。
車検はすべて任せるので作業書も請求書も見る事はないが請求書を見てみる。
中にギヤーオイル交換と書いてあるがそれでもまだピンとこない

一般市販車のマニュアルミッションはバイクや船外機と違いシンクロメッシュ方式が使われている。
この方式はギヤを同調させる為の構造があり、どうもそれが上手くいっていないのではと思いギヤオイルを純正の物を取寄せ交換してみたピンポ~ンで当り ギヤがスムーズに入る。
硬いオイルはシンクロコーンが付き回りし過ぎるのかもしれない。
ミッションに使用したオイルは右の75Wシングル デフはデフロックが付いているのでデフもいつか交換してみようと左の75W-85ギヤオイルをついでに取寄せる。
せっかく気を利かしてやって貰ったオイルが合わなかっただけなのでやって貰った整備者には報告はまだ出来ないでいる。

オイルはピッタリ合った物をと言う事かと
オイルと言えば面白い話があるが又今度

確かに60~70年代のミッションとはスムーズさは違うが一体いつからギヤオイルがこんなにシビアになったのだ。
1960年代から1980年代までフォーミュラレースで活躍した
ブラバムが使っていたギヤボックスはヒューランド製でブラバムが勝続けた秘訣はバイクや船外機などに使われているドッククラッチ方式のギヤボックスにあった。


なんのコッチャ 今月は殆ど休んでいないので休みたかったが
昨日21日は交換したオイルを試せとばかりに山奥に行く仕事が出来た。
ここから108キロ先の山奥の事業所に初めて行くのでカーナビでゆく
なんだなんだ旧炭鉱の立坑があるぞドンドン奧に
ここからまだ奥に入ってカーナビに目的地が出るが途中で道が消えている。
ま~行ってみるかと行くが途中のゲートで性格の悪そうなオヤジが通行書はあるかと聞く
一応話は通っていると思い話をするが知らんと言う すったもんだの末にカーナビでは行けない事がわかる。
この道は最後は数百メーターの崖を歩いて登らないと行けない事が着いてから聞いた。
このままでは時間事に一方通行になる時間帯に間に合わないと気を取り直しお客さんが書いてくれた手書きの地図通りに最初の出発点まで10キロ以上戻る事に
カーナビがあるさと最初から素直に言われた通りにせん性格の悪さが出た。


シカさん秋まで沢山た~んと食って大きくな~れ
沖縄のMさんが口開けて待っているぞ~


最後の人家から5キロ入った処にここに昭和14年尋常高等小学校東分教場として開校、
昭和46年まで小中学校があったと書いてある。
この空の狭い川沿いでは何も作物は取れなく極貧であったろうに
大概の分教場は部落の手弁当持ち出しで建てられ運営されている。
環境が人を作る事は間違えない
北海道や雪が降る地方の人間はどんなにしてもあと4ケ月で雪は降って来る。
どんなに自分が正義だと勘違いしても自然には逆らう事は出来ない
雪国はいまある環境に沿って出来る事を淡々とやっていき回りから孤立する事は日々の生活が命に直結しクタバリかねない事を意味する。
どうもなんでも金さえあれば欲しい物は者ですら手に入ると勘違いしている大都会の人間とは相容れないものがあるのではないかと思い始めている。


露頭炭層

砂利道十数キロやっと着いた~ぞ~
最初に通った道は向かって一本左手の沢で終点はここの崖裏になる。
向こうに見えるのが新十津川のピンネシリの山
ちなみにピンネシリ道の駅とカーナビに入れると北海道~デッカイイドウとんでもない二百数十キロ離れた処に連れて行かれ日帰りでは戻れんので注意が必要

仕事が終わり下山する事に
急な道でブレーキは使えないのでこういう時はマニュアル車はいい
シフトもスムーズに減速出来る。
余裕噛まして崖下村を朝9時に出て現地滞在は小一時間で仕事は完了したが戻ったのは夕方まで掛かった。

大自然の中でここ数日の性格の悪いバカ野郎オヤジのやり取りなど色々考える事があった。

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