16日朝集福寺

16日夜明けと共に敦賀釣公園を近江八幡に向けて出発


福井県と言えば原発と言う位あるのでこれも原発かと思ってしまったが石炭火力だった。
石炭を運ぶベルトコンベヤーが凄く大きく3隻の石炭船の中にハングル船名の船が1隻港側にあるデリックブームを使い石炭を荷揚げしていたが全部終わるのはいつの話と思ったら帰りもまだ荷揚げ作業をしていた。

俺の大恩人でもあり足元どころか足の爪の先にも及ばん森本正義さんは
常に商人は政治の世界には近づくなと言っていた。
この毎日韓国がドッタラコッタラ言ってる時にハングル船名の石炭運搬船が入港しているが
なんだこの政治のマッチポンプはいまや政治は何を目指してるのか信じるに値はするのかと思う。
相手が誰であろうが無駄を省き利益と将来を見越して商いをするのが商人(あきんど)。

明治に出来た北陸本線沿いに看板めっけ
何か線路の向こうが明治から分断され凍結保存がされて居そうで気になるので戻ってガード下をくぐる。

出ました内地の雪国特有の二重屋根に土壁
土壁は北海道でもペーパンなどに行けば見られるがこの二重屋根は内地の雪国特有の物だと思う。

さらに進むとこの藁葺屋根に瓦風トタンだと思うが屋根を載せた構造の家々があちこちに沢山ある。
北海道の屋根は単純に雪が良く落ちる事がメインで屋根に対して特別な思い入れはないと思うが
内地の奥地にゆくと屋根に何か特別の思い入れがある様に感じる。
この丸に違い鷹の羽は全国アチコチにあるがここは集福寺で北近江になる。
北近江と言えば浅井長政で浅井家の家紋もこの丸に違い鷹の羽
お~お~浅井家の子孫だろうかこれが北海道には無い内地旅の醍醐味なのだ。
住民の話を聴きたくしばらく付近を不審者風にウロウロしていたが朝早く人を見掛ける事がなかったので断念し先に進む

他所から来て言うのもなんだが折角集福寺があって北近江にこの建物 景観もヘッタくりもない
だいたい都会のコンサル会社が自治体の酋長に
「 旦那~こんな現代風の箱物どないでっしゃろう~おおきに~ 」
と揉み手で提案するのだろうと思うが
未来は過去の延長線上にありバイクも自転車も急激にハンドルを切ると倒れ車道側に倒れると車に引かれ即ナンマンダブ~になる。

丸子船発見

北前船から小浜に降ろしたコンブやシメカスや棒タラなどの荷物はこの丸子船を使い琵琶湖を横断し京や大阪に運ばれ
北海道では今や相当古い場末のキャバレーに行っても棒ダラを食う習慣は無くなったが京の棒ダラ料理は残った。

前回沖島に行った時に地元の古老に聞いた処によると途中で荷物を横取りしたのが堅田の湖族らしい。
内地はこの山の常を越えると隣村をクソ味噌に言う傾向がありその辺りは北海道とは違う北海道は歴史が無いぶん領土意識はない
ま~よそ者にとってはそれも面白く
「 わたしの耳はロバさんょ~人の不幸は蜜の味 」状態なのである。
腰の曲がった爺ちゃんや婆ちゃんが言う分には大した事はないが現代の顔を見た事もない弱い相手に言うのは気狂いにスマホ状態なのだと思う。

俺は毎日顔を見た事もない相手とメールのやり取りをしてると顔が見えないぶん過剰に反応してしまうが
揉め事は直接電話で話をする様にしているが意外といい奴が多く
チマチマとセコイ奴はたまに居るが本当に此奴は悪い奴と思う相手には遭った覚えがない。

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