自助・共助・公助

戦争は政治の最大の失敗であり政治家の犯罪でもある。
下々もすべての犯罪には時効はないと覚悟する事が必要なのだ。
中々出来ないがどこかで埋め合わせをする事と二度と同じ事はしないと誓い続ける事が必要なのだと思う。

震災から10年たったとニュースで流れるが当時は個人としてはやれるだけの事はやり切ったとの思いがあるが
逆に商人として学んだ事もある。
最初は自衛隊の車両が優先で一般車両がフェリーで東北に行ける様になって暫く立ってから物資運搬に行ったが何処も道が瓦礫をただ脇に避けた状態でパンクするから路肩には寄るなと言われた。
そんな中で小さなプレハブでローソンが営業をしていて灯りを求めて人が集まっていた。
商いとは通りに灯りを点け続ける事なのだと知った。


寒さ凌ぎになればと思ったが服は葬儀用の服が必要と言われ防寒着などはすでにあると言われた。
震災からたった数日で大型トラックが来て着る物や食料は貰ったとアチコチから聞いた。
そのトラックで駆け付けた人達は阪神大震災を経験したナンチャラ組や全国の関係者達で
親分の命令には四の五の言えない統率力が素早い行動になった。
その行動は自分への何処かで世間様への穴埋めにと頑張った者や免罪符になった者も居ただろうし
自分の人生で他人様に喜んで貰える喜びを知った者も違う道への切っ掛けになった者もいたろう。
真っ当なシノギの世界に移った者も多く居たろう。

2011年秋、震災の年に暴対法5年しばりが出来た。
これは人として生きる事を拒否されたと言っていい地方条例で組を離脱しても5年間は口座を持つ事も家を借りる事も出来ない
いまや仕事に欠かせない携帯を持つ事も出来ない
宅急便を受け取る事すら出来ない
これでは菅内閣総理大臣様の言う
「自助・共助・公助」で立ち直りをせと言うのは出来る訳がなく
公助が一番最後に来るならなんの為に国にミジカメ料を払って
なんの為に乞食官僚を囲ってるのだと思わさるのだ。

これなら以前の仲間に共助を求めるのは当然の事で
震災の年に出来た5年縛りは人生で初めて折角芽生えた他人様に喜んで貰うと言う喜びの芽を摘んだのは確かなのだ。

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