野辺地千石船

「 若い子に仕事は何の為にするの 」とたまに聞く事がある。
もっとも真面目な話はこっぱずかしいので酒を呑んで聞く事が多い
そうすると九分九厘 「 お金を貰う為 」と答える。
それは自分の人生を凄く勿体無い事をしている。
仕事は今すぐなのか近い将来なのかの差はあるが自分以外の誰かの役に立った度合いに応じて銭が貰えると思う。
もし金の為だけで仕事をしてるとしたらそれは結構不幸な事なのだ。


むつ市「よしの湯」で風呂入って
「道の駅よこはま」で一宿一飯をし4日朝明るくなる前に出発すると今度は船が凄い風の中にド~デンと置いてある。

千石船の原寸大を復元したものだと言う。
「みちのく丸」全長32メートル 積載トン数、千石、150屯
留萌の船場町は船を作る場所で船場町 そこで木造船を作ってるのを何度も見て来たのでこれを作る事がどれほど凄い事かはおよそ想像が付く
木造船を作る時は崖などに曲がって生えてる、その船の曲線にあった木材でさらに水に強い木を切出す処から始まり
それを木の筋を切る事が無い様に大きな蒸し器で蒸しながら船に合わせて曲げる。
木造船は山を見る処から始まる大変な作業なのだ。

千石船は北前船となって日本海を明治中期まで航海をされて来た。
船主はこれだけの船を作り大黒屋光太夫や高田屋嘉平など船頭に預けるのだから船頭になる人物はやはりカシキの頃から相当の人物であったのだろうと思う。
その船頭達はやがて一本独鈷になり船主になってゆくが大黒屋光太夫の様に途中で難破しカムチャツカ、オホーツク、イルクーツクと10年の歳月を掛けロシアを縦断する羽目になった。
エカテリーナ二世から帰国の許しを貰った光太夫達は怪我や心折れたりで数人をロシアの地に置いて来ている。

ここにこの船がある事がわかっていたなら
みんないい仕事をしてるね~とここで野宿をし風を聞き吹付ける塩を一晩感じてみたかった。
また必ず近いうちに来るぞ~

千石船を見てシマッタので木造のゴミ箱さえなにか悠久の時を感じ有難く見えてしまう。ナンマンダブ~ナンマンダブ~

夏泊半島に入る。

地元の車とすれ違いで俺が路肩に落ちた場合を想定してスーパーキャリーデフロック付きを買ったので車が通れれば何処でも入ってゆく

こういう岩を見たらおりゃ~とケリ飛ばして見たくなる。

対岸は下北半島だと思う海が東に西にと変わるので方向感覚が来るって来た。ちょっと危ないかも
大昔地下街を歩く生活のせいか酷い方向音痴になってしまい完治するまでに数年掛り酷い目にあった。

こんな海辺の田舎まで ま~いいけどよ~
誰であろうが光太夫になる前に半島人であろうが誰であろうが手を差し出してやるのが海の男だと思うのだが

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